血液型とわたし

No.13 渡邉裕規選手 宇都宮ブレックス所属

写真は宇都宮ブレックス所属、渡邉裕規選手。血液型はB型。わたしもB型。だからなんだって話なんだけど、女子は血液型占い?が大好き、たぶん。人間がたった4パターンで分類できるわけないんだけど、わかっているがわたしは気にします。それには理由があったりして。

気にするようになったのは小学生の頃。それはクラスメイトがみんなの友達手帳みたいなやつ作るって言って、プロフィールみたいなのを聞き回っていた時期(わたしが小学生くらいの時はスマホがないし、そういうの流行った)。その時にわたしのプロフィール書いて持っていったら

「えええ、だからかぁ。やっぱり」

「何のこと?????」

 小学生の時、わたしのクラスは大きないじめがあったんだけど(かつてのブログを読んでください)、あたしともう1人Yちゃん(「いじめを克服するまで 番外編」に出てくる強くかっこいい信頼出来る友達)はクラスの中でも、ちょっと立ち位置が他の子たちとは違っていました。わたしも彼女も仲間はずれになることはあっても、完全にハブられないというか。今思えばいじめグループの思うようにならないことから、強制的にいうこと聞かせるためのお仕置きみたいな感じだったかもしれないなって。それと、プラスして、いじめグループの外のわたしたちの方が楽しそうであることへの嫉妬かなぁ。ともかく私たちはちょっと変だったのかもしれませんね、男子女子合わせてもクラスの中では浮いていたかもしれません。ちなみに彼女はAB型。彼女の両親はA型とB型。お姉さんはA型でした。お姉さんはわたしの吹奏楽部時代の先輩で成績も非常によく、先生の信頼も厚く、絵に描いたような優等生で今は教員です。Yちゃんが、「姉と比べられていろいろ面倒」とよく言ってました笑笑。

ともかく、ちょっと変だってきっとわたしは思われていて、わたしの血液型がクラスのみんなの知るところとなったときに、さっきの言葉が出てしまったのでしょうかね。やっぱりなって、、、ちなみにうちの息子、中学生の時同じセリフを言われたらしいよ。

「B型ってなんかあるの??『ヒカルB型かぁ、やっぱりな』って言われたんだけど」だって。

 プロローグが長くなりましたが、というわけでこの前、ストーリーで血液型アンケート取らせていただきました。ご協力いただいた方ありがとう。結果は日本の人口の血液型分布より若干B、ABが少なく、Oが多少多いという結果。日本はA>O>B>ABで40:30:20:10なのですがO型が40%近くいらっしゃいました。アンケートを実施したのはバスケ専用垢ということもあり、体育会系が多かったのではないかということと(25年前ではあるが、大学の講義『スポーツ科学』で当時の日体大の約80%がO型であるというデータを聞いています)、あとはこういったアンケートに参加することがO型さんは好きなのかもしれません笑笑。

 そして、わたしの今までの人間関係は血液型がつきあいによって偏っています。実際にわたしの友人知人は、というと

①家族:父B、母O、弟O。旦那とその家族全員O。わたしの子供たち、娘、息子2人ともB。

②中学の親友AとO。高校時代の仲間達8人中7人がB。1人だけO。大学の麻雀仲間4人中3人がB、1人だけO。今でも信頼できる長く付き合ってる親友は2人ともAB。

③好きになった人、憧れや片思いの相手もしくは振られた相手全部A。わたしを好きになってくれた人、長く付き合えた人、わたしを振り回してくれた人、全部O。

④わたしを嫌ってくれる女子。小、中、共にA。『優等生になりたい??』(前書いたブログ)に出てくる、わたしに嫌味をぶつけてくるあのあたりの女子はAです。

こうやってみると、A型さんと相性悪いように思うけど、3人仲間の時は間に必ずA型さんがいた気がする。わたしがこういう性格だから、Aさんに嫌われるところはあるからいつも気をつけてはいます。しかし生まれ持った性格だから、傷つけていたらごめんなさいだけどね。O型さんは面白いんだけど、頑固な方が多いから、Bは柔軟だから(違った言い方をするといい加減ともいう。しょっちゅう考え変わるから笑)ケンカが絶えない。その時Aさんが間に入ってくれてたかなぁ。

 血液型は結構気にします。前述したけど、A型さんに嫌われるとこあるから。好きになってもいつも振られるし笑。男友達もB型多いんだもんな。でも恋愛関係になったことがないですね。お互いにそういう感情にはならないんでしょうね。だからBの男友達は大好き。わたしも向こうもお互いを好きにならないから。だから友達でいられるじゃない。面倒なことにならないで済む。

 ちなみにわたしはO型さんに好かれる傾向にありますが、前の職場とかでも子犬のようにわたしの後ろをくっついてくるやつとか、わたしに構ってくる上司は全部O型。でもね、わたしはめちゃくちゃ気を使う!!O型に気を使う!!でも気付いてないあたり。。。しかも、自分が気を使ってあげてると思い込んでて。。。。だから余計に気を使う!!!母と弟は超わがままです。O!!!この2人も旦那もそうだけど、話聞いてる風で全然。右から左に受け流すんだもんな。それなのに、わたしのことを話聞かないでわがままだっていうのよ。お前だお前って言いたい。

ちなみにマコさんってOだね笑笑。きっと頑固者に違いない。結構ああ見えて人を振り回してるタイプではないかなぁって勝手に想像してます。

おもしろいよね、血液型って。これ、半分ネタなんで。お気を悪くなさらずに〜〜〜〜🤣🤣🤣

Bリーグ2021−22シーズンと私

 書き出しに迷っている。。。

昨シーズン2021−22は語り尽くせないほどの濃い内容。どこから始めたらよいものか。

「運命って信じるか?」(黒バス、青峰とサツキのシーン)

とあるアニメのセリフ。元々運命論者であるがどうして、いろんな人たちにこの出会いや、また自分だけじゃない、みんなに起こっているであろう出来事を忘れず生きていってほしくてブログ書き始めたほど。宇都宮ブレックスや比江島慎選手、渡邉裕規選手を応援している理由はこのブログで何度か述べている通り。2020−21シーズンが終わってオフシーズンの間にマコ友さんが増えたことが直接の原因かもしれないけど、そもそも、あの時の富山戦(2020.12.9)にブレアリいってなければマコさんをこんなに応援していない。その後マコドラができて真っ先に入会していない。じゃないとマコ友さんとも出会っていない。アウェーに行こうとしていない。こんなにたくさんのブレ友さん達と仲良くできていない。13番地ができて、入会しようと思っていない。なべ友さんと挨拶していない。農業体験に行けていない。なべさんと芋を掘ることもできなかった。

やばいと思うよ。たったあの日の選択が私をこんなに幸せにした。

農業体験の時、なべさんが言ったんです。

「タイミングとかね、僕大事にしてるんで」

嬉しかった。私も同じ。あの時あのタイミングだからこそ、今私がここにいるわけだし。でもね、運命もまた信じていて、今まで出会った人たちって、どんなタイミングであっても出会っていたんじゃないかって思う。私の人生に決まっていた、影響を及ぼす人たち。出会ってくれたみんな。1億3千万弱いる日本の人口の中で出会って関わってくれた人たち。考えればキリがないし、みんながみんな私みたいな考えじゃないと思うけど、それでも私はそう信じている。

 昨シーズンはブレアリ以外でもバスケを観戦しようと元々思っていた。初はpre越谷(代表戦は除く)。越谷に行った時、だなぁ、カメラ欲しくなってしまったんだった。下手でも、みんなみたいに自分だけの写真が欲しい。そしたらバスケだけでなくなんでもない日常やそこにある風景なども撮りたくなって、SNSなども楽しくなってしまったし、おかげさまで休みの日は必ず予定を入れて、体が休まる時がない。寝てる暇もない。ありがたいことなのかな?いろいろな出来事や、起こってることを関連づけて考えたら今まで自分の身に起きていたことをいろんな人に知ってもらいたくなった。ブログを始めた。読んでくださってる皆様には感謝です。語彙力がないので毎回言葉を選ぶのに苦労するのだが、、、

 東京や群馬なども行ったが、大イベントは広島。残念ながらコロナ禍で美味しいものは食べれなかったんだけど、コンビニ弁当だって、レストラン探しまくった挙句の先に辿り着いた?楽しい思い出。駅までの道のりを迷いまくったのも、あのタイミングも、参ったな。本当に一生忘れない思い出、私にとっては。その後の大阪。笑える出来事もあったし。秋田にも行ったけど、ドライブは大変だったけど、秋田戦でのマコさんの惚けた表情は忘れられないよ(その後、真田さんに連れて行かれて目が覚めたらしいな)笑。富山では富山ならではのマコ友さんにも出会えました。富山観光はできなかったんだけど、ここキレイなとこだった。富山駅の周りは都会で整備されてて便利がいい感じであったし、運河の周りや立山連峰がまたすごい。普通に観光で行きたい場所。

 昨シーズン最大の出来事はなんていったってシーズン優勝。ワイルドカードでチャンピオンシップに臨めたものの、いいカードで、対戦相手はシーズン中から最大とも呼べるライバルチームたち。アニメの展開みたいだったよね。ギリギリでも、最後まで集中力を切らさず勝ち進み優勝した。

やばいって。

シーズンが終わって、チーム編成が変わるのは仕方がないことだけど、でもみんなの未来がそこにあるのなら応援する。前に進むことが最良の未来へ向かう道。

そして、オフシーズン中、私にとっては初めてのファンイベント、なべさんとの農業体験。ファンサやばいね。これは特別なんだと言い聞かせて、これ以上贅沢にならないように戒めよう、自分を。

ありがとう、なべさん。

私、やばいって何回言った???笑

そして、マコさんが何回か言ってた言葉。私もいつも同じことを思っています。だからマコさんが好きなんだ。

「今ある自分は関わってくれてる方達のおかげ。どんな出来事にも出会った人たちにも感謝を忘れずにいようと思っています。」

平成の大合併〜出身地がなくなるということ〜 ②

2022.1 年明けまだ雪深い実家前の公園にて

ⅱ.青森市合併後。浪岡地区の今。そして。

 現在は、当時の活気があった街とはかけ離れてしまった。元々弘前市と青森市を結ぶ国道7号線沿いにあり、JR奥羽線が中央を走り、土地が安いこともあって、私がいた頃は両市のベッドタウンとして、注目されていた最中であった。今は見る影もない。青森市街から遥か離れている浪岡地区に手を入れている余裕も青森市にすらないだろう。あの頃、人口が30万に足りない青森市は浪岡町の2万の人口がほしかただけだ。浪岡町でなくてもよかった。当初は浪岡ではなく他の町村との合併を考えていた節があるがそこの町村が合併を拒んだらしい話がある。賢い選択だ。浪岡と合併したばかりの頃は人口30万に達し念願の中核都市になった訳だが、今現在の青森市は人口27万ちょっとで減少傾向にある。

私の父は合併反対派の人間。当時の総務課長。実際に行政を握るNo.2である(当時、共同通信社を賑わしていた張本人)。そんな父の元、だから私も合併反対なんだろうと言われれば影響がないわけではない。しかし、合併後どんな様になるかは容易に想像がつく。あの当時まだ具体的ではなかった頃、浪岡町民っていう聞こえより、県庁所在地で、自分が青森市民であると言いたかっただけ。実際、町民に問うても、「合併したら何がダメなの?青森市出身ですって言える方がかっこいいじゃない」と言ってる人がどれだけいたことか。他、青森市との合併に協力したら、青森の仕事回してくれるらしい(土建関係)とか、そんな噂がどれだけ聞こえてきたか。そんなわけないであろう。仕事もあるかもしれないが、ライバルも増える。努力するなら別だが、甘い汁だけ吸えるわけなかろう。

 そして、結果、浪岡地区には手入れをせず、浪岡でやれた仕事は青森の会社にとられ、倒産、インフラはボロボロ、大きな病院は一階建ての診療所に。帰省するたびに、道路が穴だらけ。車で帰るので、リアルに寂れた感が身に染みる。浪岡中学校は水泳部が強く、私の同級生は千葉すずと一緒にアジア大会でメドレーリレーを泳いだ子もいるくらい強い部で(その子の他にも全国クラスが多数いる)、プールは50mプール。今は水も入れてもらえず、体育の授業ではスイミングに行くらしい。アホらしい。本当に。こんなに変わるのだ。青森市と弘前市の間にある地区が過疎の村のようになってしまうのだ。普通の地域であれば考えられないだろう。青森自体の行政力もあるだろうが、あの時の安易な民意で浪岡町は死んでしまったと思っている。でも合併が決まってからはこの末路にとっくに想像がついていた。

 大学の講義では住民自治は素晴らしい制度であると学ぶが、もっていけるのは議会まで。そこで否決されたら終わり。結局民意は届かない。

 だからこそ、有権者の一票は重いんだ。そもそも合併推進派の町長を当選させたのは浪岡町民。後になって合併は反対だって言ったって無駄。自分達のもっている一票がどれだけ重いのか心して有権者であることを自覚すべきだし、しっかり勉強してくれ。子供たちよ。

 私が地域貢献したい理由はここにありました。栃木県は東京から近い。でも東京と違い、人間らしい生活もできる(語弊があったらすみません)。自然豊かだし、いい景観の写真が撮れるスポットもたくさんある。そして目指せる地方分権がそこにある。

 行政だけではなく、経済も併せて、これからは地方から中央に向かっていく時代。日本経済をスポーツ振興で盛り立て、まだまだ伸び代がわからないbリーグが先導してほしい。そして、大手のスポンサーがついてなくても、地域のブースターさんが支えている宇都宮ブレックスが鍵になる。まさに地方から中央に向かうベースがもうできている。今はまだまだ大手のスポンサーがついているところが有利な気がするが、これから先はどうなるかわからない。そうなった時、元々地域ブースターさんで支えている宇都宮ブレックスは壊れない。

 なべさんは、宇都宮に貢献したいと言ってくれた。私は地元にも、今住んでいるこの地にも何もできてないが、そう言ってくれたなべさんを応援することはできる。だからとても尊敬しているのです。私にはなべさんについて行く理由がある。

 私に、何ができるのか。何もできてないし、これから先もどうすべきかわからない。目標があってもどう動いていいかわからず、毎日もがきながら生きています。残りの人生半分過ぎました。

 さてどうする。模索する人生はまだまだ続くのです、たぶんね。