かわいくなりたい

タイトルとあんまり関係ないんだけど、キャップが似合わない上に、前髪入れてしまってそこがとてもかわいい比江島慎選手の写真を上げておきます。(昨シーズン、優勝時のもの)

欲望は尽きない。

お金が欲しい。エステに行きたい。カメラの技術が欲しい。いいカメラが欲しい。いいレンズが欲しい。一生に一度でいいから外車に乗りたい。できたらSUVに乗りたい。痩せたい。あと20年遅く生まれたかった。輸入住宅を建てたかった。ログハウスの別荘が欲しい。動物病院で働きたい。理系に行けばよかった。校舎の踊り場で告白されたかった。モテたい。キレイなロングヘアに憧れる。目が大きく生まれたかった。賢く生まれたかった。実力を発揮できるメンタルが欲しい。自信がつくだけの努力をすればよかった。あの時告白すればよかった。好きになって欲しかった。私を一番にして欲しかった。色白に生まれたかった。謙虚で女性らしい性格になれればよかった。誰からも愛されるキャラになりたかった。足が速くなりたかった。球技が得意になりたかった。体育の成績で5をとりたかった。丈夫な体で生まれたかった。スタイルが良くなりたい。巨乳になりたい。色っぽくなりたい。ほんのりピンクで可愛らしい唇が欲しい。筋の通ったスッキリした鼻の形がよかった。女づめになりたい。美しい指先の方が羨ましい。

あの人の彼女になりたかった。

全部私にはなかったもの。今でも手に入らないもの。でもそれらがあったら、今の私はないのです。きっとこれからも手に入れることなく死んでいくのでしょうが、欲望がある限り、前へ進もうとして、神に少しでも抗おうと努力するのでしょう。毎日葛藤しながらより良い答えを見つけようとするのでしょう。

ないものを追い続け、後悔を重ね、傷つき、後ろを振り返ってはまた一歩づつ前へ進もうとする。自分と向き合って、それでも生きていくしかないのです。

一生辿り着かない迷路を死ぬまで進んで行かなくてはならない。迷って迷って考え抜いて最良の茨の道を進む。それが等しく人間に与えられた運命です。みんな同じだ。あなたも私も。

だからこそ生きていく価値がある。

喜怒哀楽

比江島慎選手 

 バスケットボールはまだマシな方と思うが、サッカーなんかだと国際試合はお国によってはラフプレーが目立つよね。会場の観客の煽り方もハンパないし。ラフプレーは良くないんだけれども、日本人はおとなしすぎる民族であることには違いない気がする。

 マコさんは昨シーズンCS優勝した時、感情が顔や行動に出てしまったときのことを「普段はポーカーフェイスなんですけど、感情が出てしまいました」と語っていた。わたしから見ると、とってもわかりやすいんだが、一生懸命顔に出さないように努力しているのだろうとは思う。

必要???

私はまだ何も分かってなかった頃、このブログでも触れてたけど(最初の方のブログ、小中学校、高校の頃の話、高校恋愛編で詳しく書こうと思ったんだが、まだ続編書けてないっす)、あまり感情を出さない様にしていた。そして、顔に出ないということは客観的に物事を見ていることになり、自分は冷静である証拠だと勝手に思っていたため、それが正解だと思っていた節がある。

 どうやら日本の文化なのだろう。冷静沈着、わめかず、大声を出さず、クールに。。。女性も慎ましやかに、男性の3歩後ろを歩き、目立たず、おしとやかに、というのがいい女の条件。日本の文化を否定しているわけではないけど、理想の女性像をこれに当てはめてしまうと、今の世の中、セクハラを取られるでしょうね。脇道に逸れてしまったけど、慎ましくいることが日本の文化であるからわたしもそういう価値観で育ってきてしまったのだろう。わたしはこの後、高校生の時、感情をぶつけることで自分の殻を打ち破ることができた。

 いつもクールな人なんて、ちっとも魅力的じゃない。

 かつての上司が韓国出身であった。彼女は日本が大好きで、日本の会社に就職したかったんだそうだ。彼女は言い訳も失敗も隠さない。誰かのせいにすることもある。でも必ず謝る。言い訳はしても、感情をあらわにして、泣きながら謝ってくる。韓国は泣く文化だと聞いたことがある(違っていたらごめん)。最初はだから、泣いて媚を売っているのだろうと思ったけど、違うとわかった。日本人は泣くことがみっともないと思うところがある。「そんなことで泣くのか?泣くくらいなら最初からちゃんとやれよ。泣いたら許されると思っているのか。。。」言ってしまったり、思ってしまったり、またこの言葉を言ってる人を見たことないかな?いかにもそれらしく装って、泣いてる人は弱い人、こんなセリフを吐く人は強くて冷静な人、そんな図式が出来上がっているね。

わたしは言いたい。泣くくらい悔しい思いをしたことがないのか。泣いても自分を認めてほしいと思ったことはないのか。泣いても取り返しがつかないほど後悔したことがないのか。であれば可哀想な人だ(嬉し涙と人が亡くなった時の悲しみの涙は、これだけは許されてるから別)。感情って隠せるものではないはず。殺せる感情なら、それだけのものしか経験してないってことだと思う。長い人生の中でそんな寂しいことってある?

これと同じで、怒りも、喜びも、なぜか日本人は体全体で表すのが苦手なようだ。だからなのか、そもそも目立つことをよしとしないところがあって、ビジネスにおいても交渉が下手。PRが下手。日本人はとても勤勉だし優秀だと思う。だから世界でもトップクラスの技術、開発もされているのに、それをビジネスに活用するとなると世界に先を越されてしまう。

学生時代、仮想空間の中、各国と仮想ビジネスで競ったことがある。資本金1000万で1年後、3年後、10年後どうなっているか。わたしは手堅く安牌なビジネスをしていた気でいたのだが、初期に資本金の倍も借金してるヨーロッパやアジアのチームに10年後は結果、何倍も利益に差をつけられ大敗。しかも相手は小学生。思うに、思い切った行動を起こす勇気がない。感情が爆発するほどの衝動も同じ。心が耐えられないんでないかな。

 そうはいっても、私たちが学生の頃あたりから最近の風潮は変わりつつある。相変わらず水面化?ではまだ女性が慎ましいのが好まれるように思うけど、就職の採用なんかでは自己PRは重要なファクターだ。他人と違う点やリーダーシップ、考える力や伝え方(交渉術につながる)は重要な決め手になる。そのため目立つことが第一歩だし、だからこそいわゆる陽キャ陰キャという言葉が生まれ、目立つ人がチヤホヤされるからいいんだと、またまた違った目立ち方の解釈が世の中を蔓延っている。どちらにせよ、自分を出すことが苦手なのは間違いない民族なのであろう。

 まだまだ、感情は表に出してはカッコ悪い。でも目立ちたい。偉そうなことを言いたい。感情をあらわにせざるを得ないほどの経験をしたこともないのに?なんでそう思うかって、要するに楽なんだよ、自分の感情を殺す方が。自分の感情に向き合うのって、知らなかった自分を知る事だから怖い。そこに向き合えてない人がまだまだ多いように思う。そうでない人もたくさんいて、わたしはありがたいことに、経験値が豊富で影響力の多い方達に出合う縁に恵まれてきた。何が悪いって、そういう感情を表に出すのがカッコ悪いっていう風土が悪いっていう話。わたしら団塊ジュニアでも半々だと思うな。前からこのブログで書いているけど、色々な価値観や哲学、文化、、、過渡期なんだ。日本経済においても、一番お金を動かしているのはこの世代(人口が一番多いという点でも)。良くも悪くも、影響力が大きい世代なのではないかなと思っている。

 変革時に影響力のある世代。団塊ジュニアが日本経済を変えられる。ミクロな見方をすると、会社の生き死にはこの世代が変われるかにある。第一線で活躍しているのはもっと若い世代だと思うが、人口が多く、今までの変革時は全てこの世代が関わってきたのはリアルに覚えてるだろう(金融ビックバンにしかり)。若い世代がもっと動けるように準備してあげるのはわたしらの仕事かもしれない。

まだ自分の殻にこもってる人がいたら、破ってみない?自分の知らなかった感情に触れることは勇気が必要だけどね。

私について②

(イメージ画像)

 淡い夢を見た。ちょっぴり悲しい夢。セピア色の夢。(好きな漫画のパロディ)

その日は何もする気がおきず、疲労のため、どうやら眠ってしまっていたらしい。

涙が溢れていた。

それは小学校の時仲良しだったクラスメイトが何か話しかけてる夢。最後の一番大事な部分が聞けず、目が覚めてしまった。彼女は高校卒業後、国家3種で外務省に就職した。ギリシャに行くよーって言って最低3年はギリシャだよっていって、その後会えていない。

どうしてるかな。一緒に沼地に行ってトノサマガエルや(青森出身なのでトノサマガエルはいる。いないのは仙台平野と関東平野)、ミズカマキリ、タイコウチ、その他いろいろな生き物とって遊んだよね。彼女の家には黒猫2匹いて、猫アレルギーの私でもかわいくて通い詰めていたっけ。

彼女に怒られている気がする。

「泣いたり喚いたり、容量が悪かったり、でも正直で、生き方が下手でも、やるって決めたことはやりきってたでしょ。カオリ(私の名前)が羨ましい。自由で、わがままでも許してもらえてるじゃん。」

「あれから成長できてる?◯◯◯◯◯◯、、、、」

ギリシャに行く前に会った時、言われた言葉。今なぜ夢に出てくるの。最後の部分がわからなかったよ。

 私はいつでも自信が持てず、ずっと何かに迷って、後悔して、一歩踏み出せず、グダグダしていて、毎日の生活も、仕事もそうだ、迷いを払拭するように、考える間を持たないためにがむしゃらだった。

 でもでもでも、、、

最近はとても楽しいことがいっぱいだ。新しい出会いや、出来事がたくさんあった。ただ、その出会った人たちの頑張りや可能性を見てると私が置いていかれてる気にもなってるのかもしれない。私は?

私らしくってなんだ。最近は考えるのも面倒になって何するのも面倒だ。

4年前に仕事のために別でアパートを借りてた頃、よく集まった職場の仲間。将来や未来のことを語り合いながら退勤後ご飯をよく食べたりした。一番若いやつは、この私たちとの出会いが転機になって海外に留学した。

「このままでも楽しい。高校の友達とかと一緒にいるのは楽しいし、このまま普通に結婚して、友達と呑んで、、でもいいと思っていた。でも自分の可能性ってまだまだあるし、初めてなんだ、こういうことを真剣に考えるの。時間が勿体無いと初めて思ました。」

もう1人も、先の未来のために転職した。そしてこの彼は

「生きていくための手段なら日本だとたくさんある。メキシコに留学していた頃は、生活がいかに大事かって考えさせられた。生命力が日本人とは違う。生きたいように生きないと後悔する。まだまだ知るべきことが無限にあるんだ、世界には」

動けていないのは私だけ。思い出せ。

お世話になりました

 (公開日 2022.3.1)

この3/1からわたしは職場が変わります。今の職場にバイト時代からも合わせて、かれこれ何年いたかなぁ15年くらいいたのかもしれない。いいことも悪いことも、人間関係でもいろいろあったし、出来の悪い私なのに、同僚たちには迷惑かけっぱなしだったと思います。自分のことばっかり主張してさ、こんなに頑張ってるのに。どうしてどうして。私ばっかり頑張ってるって思ってた時期あったかも。思えば本当にわがままだったし、好き勝手に言いたいことばっかり言ってたと思うよ。それに気づいたのは代行業務に携わるようになってから。自分自身のスキルがあがって、いろいろできるようになって、店舗を回すのにスタッフにどういう風に働いて貰えばいいか考え、どうやったら効率よく回せるのか、そういう目線で見た時、初めて過去の自分と向き合えるんだよね。あの時の私は、こっちの立場で見れてなかったなぁとか、それなのに好き勝手いって周りを振り回してんだなぁって。当時の店長と代行者、相談相手には本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。
 今、異動がリアルになってつくづく思います。なぜ自分が社員を目指したのか。何を考え、目標にし、達成させたかったか。そのために必死でやってきてそういうふうにやってきたら、昇格もついてきて、、、でも、本当の私の目標はまだ達成できていません。毎日毎日運営していくのにやっとで、目指す運営も理想に掲げてた代行者像にもなれていない、不甲斐ない自分。
もっとできることがあっただろう。もっと上手に時間使えただろう。この何年間、何をしてきただろう。みんなのために何をしてあげられたのか。

後悔しかない。
 

 人生もきっと一緒。このブログで後悔しないように、なんて私よく書いてるけど、自分が全然できてないね。正直、後悔しない人生なんて嘘っぱちだし、後悔があるから成長もあるとは思うよ。
でも、店舗における私の働きは、この長い時間はもったいなかったし、この間にやめていったスタッフにも申し訳が立たない。人の時間にも関わることだったのだから。
新天地においても、新しい目標は決まってます。達成できるまで、頑張るしかないし、もちろん私だけでは達成できるわけなく、全員に目標に向けて協力を仰ぎ、導くのが私の仕事だ。また、スタッフのみんなに迷惑をかけ、感情を露わにし、揉め事になったり、泣いたり、凹んだり、、、しながら毎日を繰り返すのだろう。
どんな状況においても環境を受け入れ、成長していけるように、せめて自分にはいい聞かせよう。あらゆる種、生物の世界でも環境に適応できない種は滅びゆく。受け入れ、成長するものは進化を遂げるではないか。


 こういうふうに振り返り、決意を新たに進もうと思えるのはお世話になった店舗のおかげ。みんなありがとう。私はわがままだったよね。付き合ってくれてありがとう。感謝の一言だよ。
そして、これから先にどのような未来があるのか、、、とても楽しみにして、前へ進んでいこうと思います。

中学浪人〜大好きな人がいた高校時代

高2 1992/7

高校受験を失敗して浪人することになった。

私は団塊ジュニアだし人口も多く、それに青森県は、当時は私立受験は1回、県立は1回で計2回しか受験のチャンスがないので浪人する人も他県に比べたらいる方だ(と、大人になって知った。)

 中学校の先生に相談し、何校かある中から予備校を決めた。通い始めたら、中学1年の時同じクラスだった男子2人もそこで浪人するらしく、元々中1の時は話す中だったので(K也は定期テストを競争したり、アイスを賭けたりする仲。もう1人のN樹は席が隣だった。誰からも愛され、笑ってごまかすようないつもニコニコしてるやつ。マコみたい笑)自然に3人で通うようになった。楽しかったなぁ。3人でいる時、私服だったし、いろいろ悪いことも3人でしたなぁ。制服じゃないから補導されないし。辛いと思われがちだが、確かにもう1年、中学の勉強するのはダルいんだが、今振り返ると楽しかった。この後、高校も同じで、大学受験に失敗した時も3人でかつての同じ予備校へ通う羽目になり、その時、

「あなたたちはどうしてまた3人でここに戻ってくるの?3年前あんなに勉強したでしょ」

と当時の予備校の先生にいわれた始末。ハリーとロンとハーマイオニーみたい。全然恋愛はなかった3人だけども。彼らがいたから、勉強もしたし、負けたくなかったし、楽しかったし、言いたいこと言い合えたし。今では年賀状のやり取りしかないけど。

 なんやかんや3人とも無事弘前高校に合格。高校の準備など、やはり彼らは良い相談相手になった。不安もなく高校に通い始めた。

前のブログで、中学時代は怖いものがなく一番性格が悪かったと書いたが、高校に通うときは心を改めようと思った。一つ年上で入学するので、周りの人に先輩扱い、特別扱いされるのは避けたかった。同じ同級生として接して欲しかった。かっこよく見せたいとか馬鹿にされたくないとか言う人もいると思うが、私の望みは何よりみんなと同じ歳であるように過ごすこと。

だから自分を変えたんだ。そうしないとダメだと思った。

今までの、人を馬鹿にするような態度を改め、自分がアホになろうと決めた。実際は受験に失敗してるのだから、普通に弘前高校に入ってくる人たちよりアホなわけだし。これ事実。

 写真は高校2年生のクラスメイトと。弘高祭のときなはず。私の隣に写ってる女子は1年の時も一緒。最初の入学式、ドキドキしながら良いクラスメイトに出会えるかとか勉強ついていけなかったらどうしようとか思って待ってた時、彼女は入学式の列、席につく前、私に話しかけながら椅子につまづいて転んだ。最初に話し、友達になってくれた人。彼女とは高校2年の時もクラスが一緒で仲が良かったが、1年を終えて、2年のクラスが発表になる前、2人で、S先生のクラスになるんじゃないかと話したっけ。実際、同じクラスになり、担任はS先生だった(厳しい英語の先生だった)

なんというか、ジョジョ考察で書いた運命論とはちょっと違うんだけども、縁がある人との出会いというのは最初の出会い方も記憶に残っている。ある芸能人が結婚報告の時、ビビビ婚って言ったことあながち間違ってないと私は感じる。

似たようなエピソードがある。

 入学後、程なくして目にした男子、態度や見た目が嫌いだった。悪目立ちし、どうやら男子の間では一目置かれてるのかもしれないが私は彼から漂うオーラが嫌いだった。他のクラスだし、まあ友達でもないので関係ないので私が見なければ良いだけのこと。実際彼は私のことなど知らないわけだし、今後関わることのない人のはずだった。

2年の時同じクラスになった。嫌だと思うからダメなんだと、言い聞かせて、でも話したら面白い人だった。2年の時はN樹も同じクラスで、席も隣で、N樹は誰からも愛されキャラだったので、男子には人気があったんじゃないかな。彼の周りは、今で言う陽キャも陰キャも集まる感じで、私の苦手なやつももれなくN樹をからかっていた。(要するにN樹のおかげで私も2年のクラスに馴染むのが早かった)。とても楽しいクラスだった。

 3年の時、苦手だった彼とまた同じクラスになった。3年の時はかなり仲良くなった。(2年の時はクラスメイトくらいだったような)。あろうことか本当に仲良くなった。彼は実はモテ男であったらしい。歴代の彼女が何人いたかは私は詳しく知らないし、聞いてもないけど。

一緒にいる時間も電話で話す時間も多くなった。彼には彼女がいた。私は知ってて好きになってしまっていたらしい。気づくのに時間がかかった。

最初の印象が最悪だったやつなのに。

ある出来事がきっかけで自分の気持ちに気づいたのは大学受験間近の頃。なんか騙されたような、嫌いだった相手なのに勝ち逃げされてしまったような悔しさが当時は感じていたかな。なんの意地を張ってたのか、高校卒業するときも自分の気持ちを伝えることをしなかったけども(まあ、彼は私の気持ちは分かってたはず。私もバレてるの承知でお互いやりとりを繰り返していた)。

彼は東京の大学に行くとわかっていたし、私は正直どうなるかわからなかったし、告白したとて仮にうまくいっても、恋愛下手な私は彼と付き合っていける自信もなかったから。

 結局、高校卒業しても何年かはモヤッとしたままでいたね。

(これ、高校時代の同級生が目にするかわからないけど、もう時効ですね)

 今だから言えるけど、私は恋愛って漫画やドラマの世界だって思ってて、周りの人たちのも見てきたけど、なんだか他人事で、私にはそういう恋愛 は一生来ないと思っていた。ここでは書けないけど、この3年生の時のやりとりは私にとっては実にドラマチックで、現実にはドラマ以上にドラマチックなことがあるとわからしめた出来事。

どこか冷めてて、クールな私でもこんなに感情的になるほど人を好きになることってできるんだなって、初めて自分の知らない自分がわかった出来事。これだけでもすごいことだと思う。知らない自分が他人によって知ることができたんだもの。幸せなことでしょ。

 私は後悔している。あの時自分の気持ちはちゃんと伝えるべきだったと。付き合えるとか付き合えないとかでなく、恋愛だけでなく、自分の気持ちは相手に伝えないと後悔する。

そして、感情を表に出すことも必要だとわかった。クールなフリするのはやめた。ちゃんと相手と向き合うために、感情も気持ちも吐き出すことはしよう。

 恋愛において、相手がいる方を好きになったら告白できないじゃんって、好きな人の好きな人を傷つけるかもしれないっていう人いるけど、先に進むかどうかは本人次第。それに、気持ちを伝えないことで相手を傷つけることもある。関わる人たちのこと本当に考えるならちゃんと正しく伝えるべきだ。誰も傷つけたことない人なんてこの世にいないし、逆に、傷つけたくないからっていう人は傲慢だと思うよ。

(もちろん誠意がないこととか言わなくてもいいことはあるが)

 だから、この時から私は自分の気持ちに正直になろうと決めた。腹に隠すのはやめた。迷うのもやめた。

1度きりの人生。みなさんも後悔しないように。

次回 「予備校で出会った先生の言葉」編

かな