
昨夜、息子と何気にした会話にて。ブログのネタになるなと思って。息子は今高校3年生。大学受験を控えて勉強中。長女と一緒でやっぱり理系で生物系へ。もうちょっと頭がよければ本当は獣医になりたい。無理そうなので、幹細胞系の研究へ。やはり長女と同じ大学の農学生命科学部の両生類学研究室が希望。ということもあり、なんとなく昆虫やらカエルやらの話が多いのは事実。
私「そういえばさ、昆虫って神経系ってどうなってるんだっけ???」
長男「虫のことって、そういえばあんまり考えたことなかったな。痛みって感じるの??」
私「トンボって羽むしられても痛くないのかね?なんか飛べねーなーって考えてるのかね」
長男「そもそも考えねーだろ。そういえば犬とか猫って考えるっけ」
私「高等な脊椎動物なら学習能力あるけどさ、あくまで学習でしょ?考えてねーよな」
長男「考えるって何??」
私「そうなってくると哲学の話だ。この前喋ったけど人間とロボットの違い。自己とは何かにつながるな」
長男「この話、無限にできない??」
私「こうなってくると理系文系関係ないね。さすが私の先生、理系文系ない院の担当者」
事実、長女が弘前大学に入学したときに、自分らの先生に挨拶に行ったのだが、彼は現在「地域共創科学研究科(修士課程)」の先生。この科は文系・理系の院生が共に新たな価値を創り出すというテーマらしい。文理別に考えず大事なのは「共に」の部分。
今あることが今までも同じと思ってはもったいないね。時代は変わるし、考え方も変わるし、私が学んだ経営学の考え方も会社員になっても応用はできてるけど、学問から現実味を帯びるのに10年はかかる。会社も変わった。働き方改革って言葉も流行ってるけど、働き方も生き方も変わってくる。文理別に考えるのはいろんなな可能性を狭めることになる。
当たり前は当たり前じゃない。この世界にある全てのものが。