喜怒哀楽

比江島慎選手 

 バスケットボールはまだマシな方と思うが、サッカーなんかだと国際試合はお国によってはラフプレーが目立つよね。会場の観客の煽り方もハンパないし。ラフプレーは良くないんだけれども、日本人はおとなしすぎる民族であることには違いない気がする。

 マコさんは昨シーズンCS優勝した時、感情が顔や行動に出てしまったときのことを「普段はポーカーフェイスなんですけど、感情が出てしまいました」と語っていた。わたしから見ると、とってもわかりやすいんだが、一生懸命顔に出さないように努力しているのだろうとは思う。

必要???

私はまだ何も分かってなかった頃、このブログでも触れてたけど(最初の方のブログ、小中学校、高校の頃の話、高校恋愛編で詳しく書こうと思ったんだが、まだ続編書けてないっす)、あまり感情を出さない様にしていた。そして、顔に出ないということは客観的に物事を見ていることになり、自分は冷静である証拠だと勝手に思っていたため、それが正解だと思っていた節がある。

 どうやら日本の文化なのだろう。冷静沈着、わめかず、大声を出さず、クールに。。。女性も慎ましやかに、男性の3歩後ろを歩き、目立たず、おしとやかに、というのがいい女の条件。日本の文化を否定しているわけではないけど、理想の女性像をこれに当てはめてしまうと、今の世の中、セクハラを取られるでしょうね。脇道に逸れてしまったけど、慎ましくいることが日本の文化であるからわたしもそういう価値観で育ってきてしまったのだろう。わたしはこの後、高校生の時、感情をぶつけることで自分の殻を打ち破ることができた。

 いつもクールな人なんて、ちっとも魅力的じゃない。

 かつての上司が韓国出身であった。彼女は日本が大好きで、日本の会社に就職したかったんだそうだ。彼女は言い訳も失敗も隠さない。誰かのせいにすることもある。でも必ず謝る。言い訳はしても、感情をあらわにして、泣きながら謝ってくる。韓国は泣く文化だと聞いたことがある(違っていたらごめん)。最初はだから、泣いて媚を売っているのだろうと思ったけど、違うとわかった。日本人は泣くことがみっともないと思うところがある。「そんなことで泣くのか?泣くくらいなら最初からちゃんとやれよ。泣いたら許されると思っているのか。。。」言ってしまったり、思ってしまったり、またこの言葉を言ってる人を見たことないかな?いかにもそれらしく装って、泣いてる人は弱い人、こんなセリフを吐く人は強くて冷静な人、そんな図式が出来上がっているね。

わたしは言いたい。泣くくらい悔しい思いをしたことがないのか。泣いても自分を認めてほしいと思ったことはないのか。泣いても取り返しがつかないほど後悔したことがないのか。であれば可哀想な人だ(嬉し涙と人が亡くなった時の悲しみの涙は、これだけは許されてるから別)。感情って隠せるものではないはず。殺せる感情なら、それだけのものしか経験してないってことだと思う。長い人生の中でそんな寂しいことってある?

これと同じで、怒りも、喜びも、なぜか日本人は体全体で表すのが苦手なようだ。だからなのか、そもそも目立つことをよしとしないところがあって、ビジネスにおいても交渉が下手。PRが下手。日本人はとても勤勉だし優秀だと思う。だから世界でもトップクラスの技術、開発もされているのに、それをビジネスに活用するとなると世界に先を越されてしまう。

学生時代、仮想空間の中、各国と仮想ビジネスで競ったことがある。資本金1000万で1年後、3年後、10年後どうなっているか。わたしは手堅く安牌なビジネスをしていた気でいたのだが、初期に資本金の倍も借金してるヨーロッパやアジアのチームに10年後は結果、何倍も利益に差をつけられ大敗。しかも相手は小学生。思うに、思い切った行動を起こす勇気がない。感情が爆発するほどの衝動も同じ。心が耐えられないんでないかな。

 そうはいっても、私たちが学生の頃あたりから最近の風潮は変わりつつある。相変わらず水面化?ではまだ女性が慎ましいのが好まれるように思うけど、就職の採用なんかでは自己PRは重要なファクターだ。他人と違う点やリーダーシップ、考える力や伝え方(交渉術につながる)は重要な決め手になる。そのため目立つことが第一歩だし、だからこそいわゆる陽キャ陰キャという言葉が生まれ、目立つ人がチヤホヤされるからいいんだと、またまた違った目立ち方の解釈が世の中を蔓延っている。どちらにせよ、自分を出すことが苦手なのは間違いない民族なのであろう。

 まだまだ、感情は表に出してはカッコ悪い。でも目立ちたい。偉そうなことを言いたい。感情をあらわにせざるを得ないほどの経験をしたこともないのに?なんでそう思うかって、要するに楽なんだよ、自分の感情を殺す方が。自分の感情に向き合うのって、知らなかった自分を知る事だから怖い。そこに向き合えてない人がまだまだ多いように思う。そうでない人もたくさんいて、わたしはありがたいことに、経験値が豊富で影響力の多い方達に出合う縁に恵まれてきた。何が悪いって、そういう感情を表に出すのがカッコ悪いっていう風土が悪いっていう話。わたしら団塊ジュニアでも半々だと思うな。前からこのブログで書いているけど、色々な価値観や哲学、文化、、、過渡期なんだ。日本経済においても、一番お金を動かしているのはこの世代(人口が一番多いという点でも)。良くも悪くも、影響力が大きい世代なのではないかなと思っている。

 変革時に影響力のある世代。団塊ジュニアが日本経済を変えられる。ミクロな見方をすると、会社の生き死にはこの世代が変われるかにある。第一線で活躍しているのはもっと若い世代だと思うが、人口が多く、今までの変革時は全てこの世代が関わってきたのはリアルに覚えてるだろう(金融ビックバンにしかり)。若い世代がもっと動けるように準備してあげるのはわたしらの仕事かもしれない。

まだ自分の殻にこもってる人がいたら、破ってみない?自分の知らなかった感情に触れることは勇気が必要だけどね。

私について

リビングの窓ガラスにくっついてたナナフシ

 そういえばちゃんと自己紹介してなかったな、と思って。

先日、朝起きてカーテンを開けると朝日と共に目に入ってきたナナフシ。私、これ人生で2回しか見たことないんですね。めちゃくちゃ嬉しくて、職場に行ったら自慢したくてこの写真見せたのに、

「ぎゃー」

だってさ。そんなに気持ち悪いムシでもないよね。農業体験の時も、ミミズやカエル、ナミアゲハの幼虫もいたけど、みんな苦手なのかなぁ。この世界に「生きとし生けるもの」なんですが???

私の2人の子供達、長女は弘前大学 農学生命科学部 分子生命科2年、両生類爬虫類、特にイモリの細胞の再生能力を研究したいがために弘前まで。長男は高3だが、水生生物、海洋生物、外来種、両生類爬虫類、昆虫、、、生物系の自分の学力で入れる国立大学を今探している状態。私の子供達には、幼い頃からよく山や沼に連れていったし、家に飛んでくるアゲハが卵を産み羽化するまで一緒に観察したり、カブトムシの幼虫から育てたり、犬も猫もミドリガメも金魚がいたこともあったし、生物を好きになるのは当然の環境。そしてそもそも、何より、いわゆる女子が苦手な虫や両生類爬虫類を見た目で「気持ち悪い」と思う価値観に育てたくなかったというのがある。

何が苦手だって、誰にでも苦手なものはあるから否定しているわけじゃないぞ。ただ、無限(本当は有限)に広がる宇宙空間にさ、生かされてる生命の一部でしかないんだって考えたら、生命体って新しく生まれるものも進化するものも含めたら、ただのホモサピエンスが何言ってんのって思わない??

理系文系関係なく、哲学的にもさ、見え方の問題。前ブログで書いたっけ?考えや価値観、会話から生まれる言葉の捉え方、目に見えるもの、みんな違う。そして右倣えみたいなのは最も嫌い。私、喋らない時全然喋らないよねって、人見知りなのって言われたんだけど、全く違ってて、人と話すのは苦じゃない。ただ、私、周りに合わせる性格してないから相手を見て、自分の価値観押し付けてくるタイプとは話さないようにしてるだけ。聞かないじゃん、そういう人って。でも違った考えでも、聞こうとする人の話は私も聞きたい。そういう人の言葉は、ちゃんと自身の考えのもとに成り立ってることが多いから、話してて楽しいよ。

 今回はナナフシの流れから、価値観の方に膨らませたけど、元々は世界史も好きです。人間が初めてコミュニティを形成して文明が生まれてからのさまざまな葛藤を学ぶのは楽しかった。この先も解決する日は来ないだろうが(葛藤の最悪の形が戦争)。

 自己紹介になったかなぁ。「この世にあるというものならなんでも見てみたい」(好きな漫画の大好きな登場人物がいうセリフ)。わたしの根っこ。そのためになるべく視野を広げてみるようにしようと自分なりに心がけてきた、子供の頃から。

「へぇ、お前にはそういうふうに見えるのか?」

って聞いてきたのは私の父親。カナヘビやアオダイショウ、オニヤンマを山で捕まえてきてお土産にしてくれたのも父親。私こそ、親の影響が大きいんだった。

 価値観が単一なのはきっと団塊世代(あくまで私の考え。昭和の時代にはしょうがない。そういう教育だったんだし)。私ら団塊ジュニアはちょうど過渡期。そうであるべき、いや変わるべき、いろんな価値観を認めないとと思い始めた世代。だから同級生の中でもさまざまだね。実はこの子供達の世代は意外に親(私たち)が思うより、いろんな価値を認めあってる世代。さまざまな価値観や生き方を選択できている。私は、心配じゃなくて、10代から20代くらいの世代をむしろある種尊敬しています。学んでる内容(具体的な学習内容)も私らの時より難しいと思うよ笑笑。

 虫や両生類爬虫類苦手な女子多いって言ったけど、長女の学部、大体男女半分半分だけどちょっとだけ女子の方が多いんだって。アメリカツノガエル30匹飼ってる研究室が人気なんだよ。カエルやナナフシ見て「ぎゃー」っていうのは私ら世代の価値観なんじゃないのかぁ。。。笑笑

伝え方と聞き方②

富岩運河にて 2022.4.17

2022.4.17は富山市まで行ってきました。急に思い立って決めた富山遠征。全然行くこと考えてなかったんだけど、今シーズンも残りわずかとなると寂しくなってしまいましてね。行けるうちに行ってしまおうとなりました。

現地でお仲間さんと再会。他まこドラさんたちにもご挨拶できまして、毎回毎回思うけど、遠征ってお金かかるんだけど、実に内容が濃い。アウェーまで応援に行けるブレ友さんたちも少ないせいもあるかもだけれども、よりつながりが強固になれる気がするし、応援団が少ないせいか、選手たちがしっかり手を振ってくれる気がする笑笑

こういう言い方はなんだが、「お金がかかる分も回収できる」と思った今シーズンの遠征でした。

さて本題ですが、今回の遠征の内容はあんまり関係なかったんだけど、関係あるのはお仲間さんのこと。何回か遠征シリーズで書いているんだけど、あんまり会えない別地域に住んでる人たちだけど、距離感があんまり苦にならないんですね。それはなんでか考えてみました。私はあまり人見知りではないですが、そんな私でも気を使わないわけではありません。どこまで踏み込んでいいのか、私の発言に対してどういうふうに思っているのか、またちゃんと理解してくれているのか。。。人同士の付き合いってここがとても重要だよね。ここが掴めないと、次からはあんまり会いたくないって思ってしまうでしょ。疲れるから。

 私は割と言いたいことを言いたいようにいってしまう方ですが、人の考えを聞くのも好きです。だから建設的な意見を出せる人は尊敬するし、また会って話をしたいと思います。前回も書いた通り、伝え方も大事ですが聞き方も大事で、ちゃんと聞けないと内容を理解できず、そこからは建設的な意見は生まれません。そして、建設的な意見を出せる人は普段からしっかり考えている人です。さまざまな事象に対し、ありとあらゆる角度から物事を見ようとしているからこそ考えが生まれるし、またその考えを言葉にして表せるということになります。普段から、またこの辺りは子供の時からの訓練が必要なことかもしれませんね。思ってるだけではいざという時相手に正しく伝わるような表現はなかなか難しく、また一方的な考えでは、意見を出した時薄っぺらい説得力の欠ける意見になってしまいます。

お仲間2人はどう思っているか本当のところはわからないんですが笑笑、この2人はバスケのことだけではなく、またまこドラのことだけでもM6Hのことだけでもなく、自分の価値観のもとにしっかり考えて意見を言えて、そして聞き方もわかっている方達です。だからこそ、私が考えを述べてもただ追従することはせず、説得力があるからこそ、こっちも、反対意見であったとしても「そっかー」と素直に聞けるわけです。

一番嫌いなのは、その場で意見を言わず(なぜなら、自分の意見に対して反対意見が出たり、それによって悪い評判が立つのが嫌だから)、後になって、どこか違う場で表面上だけ大人ぶった意見をする人です。私には、話し合いのテーマを他の誰かに出させておいて、意見の方向が定まってから、マイノリティを批判するというやり口の人は卑怯でしかないと思っています。ですが、SNSでも見るように、また大衆の意見でもよく見るように、多数派の考えの中にいないと、ダメなんだという風潮が日本にはまだまだありますよね。言論の自由や表現の自由が等しく付与されているにもかかわらず、マイノリティは白い目で見られることが多いですね。

私はよく、わがままな意見が多いとか変人だとか、普通でないとか言われがちなんですが、わがままでない人っていないと思っています。人と人と付き合う時、相手方の気持ちを汲み取ったり、空気を読もうとは誰しもしていると思うし、それがコミュニケーションをとるということかもしれませんが、所詮、自分の口から出る言葉は自分の価値観から出る言葉。結局誰しも自分本位なのです。

 今シーズンも終わりに近づいていますが、私にとっては実に濃いシーズンでした。色んな人とおしゃべりしたりするけど、ましめな話もふざけた話も、意外に薄っぺらでわかったような表面だけのお話って多いんですよね。その中で貴重なお仲間さんに出会えたことに感謝します(これ、本当ね)。

縁とか出会いってどこに転がっているかわからない。大事にしよう、本当に。

ママチャリ〜「優等生」になりたいか編の番外編〜

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「優等生になりたい?」編に出てきたママチャリエピソード。「お金の価値観」へんで書こうと思ったんだけど、ショートエピソードでここで書いちゃう。

 高校生の時、地元の浪岡町(今は青森市に合併。合併問題にも追々ふれていきます。)からJRで弘前市に通っていたのですが、浪岡駅までは家から自転車でいき、弘前駅にも置きチャリしてそこから高校まで通っていました。浪岡だろうが弘前だろうが、まあ自転車いたずらされるわけです。盗まれたり、サドルだけないとか、前輪がないとか。。。防犯登録してても帰ってくる自転車は見るも無残な姿。親に言って何回か自転車を買ってもらって、ホームセンターに売ってるような安いやつでもさ、本当にお願いするたび申し訳ない気持ちでいっぱい。盗難届けを出しに駅前の交番に行くこと数回。そのうち巡査と知り合いになっちゃって、弘前城の桜祭りの時なんかそっちに駆り出されてる巡査が道路挟んでるのに、

「あっ、お前」なんて言うから友達が補導されるって逃げる始末(なんもしてないんだったら逃げんなって)。

 と言うわけでもう後がない私(自転車に関して)。なのにあるとき、チャリで曲がったら正面から坂を下ってきた工業高校の生徒にぶつかられた(遅刻して怒られた3年の弘高祭当日)。自転車が乗れなくなってて、とりあえず押して高校へ行って、帰りに高校向かいの自転車屋さんへ。もちろん弘高生はみんな顔馴染みだったはず。修理できるかなぁ、お小遣いで直せるかなぁって思いながら。。。

「残念だけどチェーンがイカれてるからもうダメだなぁ」

だって絶望的。しかし

「お前が良ければ、この自転車どうだ?使えるとこだけ繋げて1台の自転車俺仕上げたんだけど。パーツ全部違う自転車だからカッコ悪いけど。」

確かに、ハンドル、チェーンの部分、骨組み?の色、全部違う。カゴもおばさんの自転車のカゴ。タイヤは24インチ。でも

「俺の傑作1000円で譲ってやる」

ってもう神!!こんな話ある?すごく嬉しくて感動して1000円でいただいていきました。私にとってはこんなに価値のある自転車なんかないよ。どんなに不恰好でも。それを、あの2人は「なにそれ、ママチャリじゃん」って言ったのです。あの2人はお金を積んだ高い立派な自転車乗ってたね、確かに。でもモノの価値ってどこにあるかな? 今、子を持つ親になって、その時私が実体験として理解できた価値観を子供達にも経験させてあげられてるかな?って情けなく思います。このブログを始めたのもこういう思いを形に残しておきたかったせい。いつまでも忘れちゃいけないことだし、伝えていかないとなって思います。

怖いものなしの中学から初めての挫折へ

 浪岡中学校 卒アルより

中学に入学した。

私は団塊ジュニア、中学の学年は320人。8クラスまであった。小学校の先生がどのように配置したのか、明らかに意図があったと思う。入学早々小学校のいじめのボスは見事に2番手だったやつにいじめられていた。実は2番手だったやつは私の近所の子で幼馴染。家庭的に恵まれておらず、このあたりの地域の人には相手にされていない家庭の子であった(あそこのうちのこと遊んではいけません、とよそのおうちでは言っていたらしい) 

 その2番手だったMが中学ではボスになった。しかしMはぜったい私には逆らわない。私に嫌われるのだけは避けたかったと思われる。理由は、先に書いた、そのような家庭であって、それでも私の父は受け入れてたからだ(私の父は地方公務員であったが、大学では法律を学んでいた。人間はすべて平等であるべきだし、幸せに生きる権利も等しく付与されている。この価値観がのち、私の価値観のベースになる。老若男女区別しない、男であっても女であっても、年上だろうが年下だろうが尊敬できる人は尊敬できる、できねぇやつはできねぇ、これがホットパンツの生き方) 

 そして、私の世代は先輩後輩が厳しい時代であったが、私はこういう正確な故、なぜ、先輩が偉いのか意味が分からない(今でもわからない)。というわけで目を付けられやすかったが2個上の先輩に、姉妹くらい一緒に育った幼馴染のお姉ちゃんがいる。彼女も学年では幅を利かせていたため、先輩からいじめられることもなかった。 中学の頃は私は成績が良かった。優等生ではなかったが、いじめをなくしたり、もとより正義感も責任感も強かったので先生の受けもよかった。

 怖いものがなかった。人生で一番性格が悪かった時。 

 中学3年の時、いるだけの生徒会でアンケートを実施した。一番多かったのは校則について。普通の生徒は生徒会の仕事なんて全然興味がないと思う。だが校則についてはものすごい反響だった。やる気のない私でもこれだけは何とかしたいと思い先生に相談した。特別委員会を設置することを認めてもらえた。クラスから校則見直し委員を一人選任し、会議。名目上の委員長は生徒会長であったが、実質は私が運営した。当時の生徒会の顧問は社会科の先生。

「先生、どうやったら校則って変えられるのか」

「お前、公民学んでるだろ?条例を見直してほしい時、リコール請求するとき、どうするんだよ?住民自治勉強してるだろ」

「有権者の1/3の署名を集めます。そして議会に提出します」(正解かどうかは忘れた、当時の私は先生にこう答えた)

「ここではせめて9割は集めろ。その前にどの校則を見直してほしいのか、改善すべきか。多くは変えられない。しっかり精査しろ。職員会議には俺が持って行ってやる」

この先生、見た目は超オタクみたいで根暗に見える。がしかし、しっかり本質を見ていて、それがわかるぶん本当に信頼できると感じられる人だった。先生は自分の友人のやっぱり教員仲間から他校の校則を集めてくれた。

 結果、即実施できるもの、来年度から実施するもの。改正案通りました。下の学年は感謝したことだろう。このあたりの地域では、一番に男子の坊主がなくなったのだから。これをきっかけに近隣の中学で、校則の見直しが進んだらしい。永澤(?漢字あってるかな笑笑)先生のおかげで、彼だったから、答えではなくヒントをくれたのだと思っている。「条例を変えたい時どうするんだよ」知識は身に付けたらどうするのか?習ったばかりの知識を知恵に変える方法を彼が教えてくれた。この先生と出会ってなければ、あきらめていたかもしれない。自分でやると決めてやり切った、この校則の見直しは今後のわたしの自信になった。

 もう一度言うが当時の私は成績が良かった。模擬テストで県でも上位、一番いい時は県で3位。難関校と言われていた弘前高校は定員360名。他の地域に青森高校、八戸高校と進学校があるがそもそも県で上位なのだから、誰もがわたしが弘前高校に合格すると思っていただろう。自分も思っていた。私立なんて受験せず、弘前高校一本のみ。

私は当時は怖いものがなかった。しかし受験は不合格。

みんなが高校生になったとき、私は高校生にはなれませんでした。

そして「中学浪人から大好きな人がいた高校時代」につづく