優しい人②

2022.6.5 宇都宮ブレックス優勝パレードより 比江島慎選手

毎日を平常心で過ごすことって意外にしんどい。人間って神様じゃないんだよなぁ。いろんな人がいてだからこそコミュニケーションを取ることが必要だし、前にも書いたかもだけど、結構自分なりに努力してるつもりだった。。。

まあでも、だからといってそうはいっても人間関係、上手くいかない時は上手くいかないし、みんながみんなとウマが合うわけがない。わかっていて、どう付き合っていくか。。。私なりに上手にやってるつもりだったし、元々万人に好かれようとしていないというか、理解できない人には理解してもらおうとも思ってなかったんだけど、職場と立場ではそういうわけにもいかなかった。

自分らしく生きるって難しい。自分らしさを出して、みんなを導くのって難しい。

マコさんの写真を見てると、今は涙が出てきます。何年経っても大人になれないなぁ、私は。心の底から優しい人になれたなら。体の底から優しさが滲み出るような、あなたみたいになれたなら。

前の店舗での自分の信じてやってきた働き方を否定された時、その頃を知らない上司にただ否定された春の頃は知らないふりもできたんだけど、前の職場の上司がそれを今の上司に報告したという話を聞いた時、この1年間私が信じて働きかけてきたことってなんだったのだろうと思ってしまった。

でもね、どういう状況だったのか想像がつくんだよね。前の上司はとても心が弱い人です。きっと今の私の上司に私のことを聞かれた時、言い訳に使ってしまったんだと思う。だって今の私の上司は会社内でもとてもグレードの高い人だから。昨年1年間一緒に働いてきたんだもの彼のことはよくわかってるつもりだ。でも、上司が部下を言い訳にするっていうのは、、、って思ってしまった時、自分自身に情けなくなりました。

「そんなのわかってるじゃん。ずーっとそうやってきたじゃん。私は容量悪い人生だったじゃん。わかってくれる人がいてくれたらそれでいいって思ってたじゃん。変人で、私のような人って2割しかいないって前の前の上司から気にするなって言ってもらえたじゃん。今更でしょ。」

わかってるつもりで、達観してるつもりでも、まだまだ、年のわりに子供で心の小さい1人のただの人間だよ。

前の上司や今の上司を否定したい気持ちになってしまった時、自分を殺したくなってしまいました。情けなくて、助けてもらった今までの人たちに申し訳なくて。

私の最近の一連の出来事で、なかなかこの会社にはいづらくなりそうです。でももしかしたら、これから起こる出来事も反省の意味と成長の意味も含めやっぱり新しい出会いがあるかもしれないし、来シーズンが始まると同時に変化があるかもしれません。

人間が神になれることはないんだよね。煩悩を抱えながら死ぬまで自分と戦うしかない。

優等生でありたい?いい人ってどんな人?

中学の時吹奏楽部で吹いていたもの

 そういえば思い出した事がある。

 昨夜、久しぶりに絵を描きたくなったので画材を漁ってた時だ。絵は得意というほどではないが描くのは好きだった。中学に上がる時の春休み、絵の課題が出た。面倒だったので自室から家の前の公園の風景を適当に仕上げた。 

 入学して初めての美術の時間、先生が一枚づつ評価していくのだ。入学してまだ間も無く、他の小学校での美術のレベルなどわからないし恥ずかしく、嫌だったのを覚えている。私のクラスには街の中心部にある小学校からきた優等生だと有名なYさんがいた。彼女はとても綺麗で、地元の地主の子でお金持ち。運動神経も良く、色白で目が大きくて髪の毛がサラサラで男子の注目の的。彼女の絵が先生から評価される時、先生は無言だった。でもとても素晴らしい絵で私はこんなの中1で描けんのかって。私の小学校は荒れてたし、やっぱり優等生小学校は違うなあと思ったのを覚えている(かつて街の中心部に浪岡小学校があり児童数が増えたため、北小と南小に分かれた。北小はヤクザ学校、南小学校は優等生の集団だと比較された。私はヤクザ学校出身)しばらくして私の絵の番がきた。先生はいろいろ評価をくれ、最後に

「お前これどのくらいで仕上げた」

「すみません、1時間半くらいです(適当に描いたのがバレたと思った)」しかし、評価は高かった。これそのくらいで仕上げるのは見込みがあるなぁ。となぜだ?Yさんの絵は素晴らしいと思ったのに。

 私はその時知らなかった。あの絵はミレーの『落ち穂拾い』のパクリであった。クラスのみんなは知識がなくても美術の先生は騙されるわけなかろう。先生の彼女に対する信頼はあの時一気に無くしてしまったに違いない。
 私は髪の毛も癖っ毛で女の子らしくもないし、性格がまた言いたい放題な方だった。授業中でもわからないことはわからないと言い、男子から

「だから何回言えばいいんだよ、こうだって言ったろ」

「だってさ、こういう場合は今のだと当てはまらないじゃん」

など、私の周りが先生も含め楽しそうだったのが気に入らなかったのだろう。 YさんとYさんと連んでいたRちゃんにはよく陰口を叩かれた。この2人、優等生だった。自分以外の人が中心にいるのが気に食わない。でも今思う。お金持ちの子だし、チヤホヤされてきたんだろう。親が子を褒めて育てるのは間違ってない。ただ間違った褒め方をすると、自分の本質を見失う。わからないまま大人になる。Yさんは偽物だった。落ち穂拾いのパクリに見るように。その後どんどん彼女は落ちていき、最後の吹奏楽コンクールの3年の時出られなかった。私の中学校はBクラスで出場。Bクラスの定員は30名。3年の部員は35人だった。お金持ちだからマイ楽器も使っていたが部活に臨む姿勢がいい加減だった。そういう態度をとることが目一杯の虚勢だったのかもしれない。

 優等生であろうとする人に本物の優等生はいないと前言ったが、実はYさんと連んでいたRちゃんもそうだ。彼女の方は実は近所で幼馴染。ただ小学校の頃クラスは違ったので大きないじめの問題には優等生であるが故にのらりくらりと我関せずを通していた。

 よっぽど私のことが気に入らないのか、高校生になっても「去年と同じコート着てるの?」「それママチャリじゃん」(この時使用していたママチャリにはちょっとしたエピソードがある。後ほど『高校編、お金の価値観について』で)など。高校違うとこ行ったのに、私のこと嫌いなら構わなきゃいいのに、と思いながら。彼女には幼稚園の頃、白ツメ草で編んだ輪っかを「なにこんなもの」と言って足で踏み躙られたことも、、、ここまで聞くとすごい性格悪い感じに思うだろうが、実はRちゃんは同級生にも先生にも保護者にもすこぶる評判がいい。私のことが嫌いであっても、すごくいい人であれば人が作ったものを踏み躙る行為や、両親の建てた家を(私の実家の建物)を「相変わらず変わり映えしないね。私のうちは建て替えたよ」なんて言うかな?彼女の闇はなんだったのか。みんなが気づかないように私にだけする劣悪な行為。
 私の大好きな先輩、一個上で部活の部長。高校も大学も同じで私を可愛がってくれた(のち、私の親友の1人と結婚した)。この先輩は、中学3年の時、くだらない先輩後輩制度はやめると言った。私の時代でなくすといった。廊下であったら必ず会釈しないといけないだとか、細かい取り決めがたくさんあったが、彼女は自分が3年の時仲間を募って、これを実現した。大事なのは男か女か歳が上か下かじゃない、人の本質はそこじゃないと。とても賢い方だった。(考え方が似ているので仲良くしてくれたのかも知れない)そしてやり遂げる強さと知識があった。先輩だけはRちゃんの真の性格をわかったくれた。(同じ吹奏楽部であり、セクションも一緒)

 今、人間関係で辛い人っているかな?必ず、わかってくれる人がいて、助けてくれる人もいる。そして自分とソリが合わない人は、実はその本人に闇を抱えていることも多い。人って自分中心に考えがちだが、相手のことを考えたときに気づけることもある。いい人でいないといけないって考えてる人いるかな?これは究極の自己満足だ。自分のためにいい人でいたいだけだ。と言うことはこれは相手を思う行為ではなく、時には自分のために相手を犠牲にしていることも伴う行為だと思う。
反対意見もたくさんあるだろうが、私は人を見抜く目だけはあると思っている。私は人に恵まれてきた。良くも悪くも。自分にとって、なくてもいい出来事なんかひとつもない。まだまだ書ききれないくらいの出会いがあるのだが、今日はこの辺で。