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疲労とわたし〜洋服とわたし(番外編)〜
正直変なタイトル。「趣味とわたし」でもいいようなごちゃごちゃ部屋の様子加工してあげてるのにね。
実はリビング横のこの部屋、昔、個人宅で塾を開いていた時の名残。本棚や子供たち飽きさせないためのグッズなど置いたり片付けるためのものを再利用してある。わたしは趣味も多いのでわたしの趣味のものと、子供たちのかつて遊んで作ったブロックのよくわからない置物や、楽器、疲労改善グッズ、チープコスメ、アクセサリー、洋服、レンズ、そして今はブレックスグッズやポスターなど。恥ずかしげもなく部屋の様子を晒すのは意外にわたしが気に入っているため。猫が爪を研いでボロボロになった壁に水色のトタン風の壁紙貼ったりして、わたし色に実はインテリアを作ってある。シンプルに生活感がない雑誌のような部屋もおしゃれだけど、生活しているうちに増えてくるものを、それでも生活感出しながら可愛く見せるインテリアもまたあり。
だからとは言わないが、子供たちはこの部屋にいることが多かった。わたしが文房具集めも好きだからしょうがないけど、居心地がいいのと、なんでも揃うから。買いだめしてあったシャーペンやボールペン、テープノリ、全然ない、使われてしまって。おまけに最近は旦那もわたしの部屋で仕事をしたりするので、やめていただきたい笑
わたしは予定をわざとでも入れておかないと全然家から出ない。元々怠け者なのでニートが羨ましい。でもね、思う。前振りが長くなったけど、本題。ここ最近、随分老けた。疲れが取れない。疲労が溜まってたり、精神的にも肉体的にも参ってる時はわたしひどい顔してる。
年齢のせいもあり仕事の疲労が回復しづらくなってるのは事実だからそこは自分で調整していくとして、それでもまだ仕事してるからまだ老け具合がこれでもマシなのかなって思う。仕事は辛いのだがこの前嬉しいこともあった。30代くらいの方が、
「お姉さんの着てる服なんですか?教えてもらってもいい」
「わたしのは全部メンズですけど大丈夫ですか」
「全然素敵、売り場全部回って、全部のスタッフさん見て回ったけど、お姉さん一番素敵。このまま全て真似していいですか」
こんなに嬉しいことある?スタッフの中でもわたし年齢かなりベテランの方笑笑。たぶん根が素直すぎるので中身は幼い感じがするかもしれませんが、結構な歳。
仕事はしたくない。でも、この仕事のおかげで、もしかしたらまだなんとかなっているのかもしれない。色使いのセンスや、自分が気取らずに、でもおしゃれに見せれるアイテム選びや発想の自由。
自由といえば、わたしは自由人だとよく言われる。子供の時からそうで、同級生の中にはこの自由な感じが許せない人も多かったに違いない。今でも思われてるかも。好きなようにバスケを観戦しにいったり、バスケを知る前から、1人の時間の確保を定期的にできるようにしていたし。普通に考えたら、結婚生活をないがしろにしているようにしか見えないだろう。子供のこともほったらかしのように見えるのかも。言い訳するわけではないが、こんなのでも、進路や勉強、学校の面談、、、こういうことは子供たちはわたしに相談してくる。そして、名乗ってもいないのに学校ではなんだかわたしのことは知られていてわたしの子供らは自慢のようだ、こんな親でも。
良妻賢母もいいけど、これっていい言葉なの?わたしの母親がもし良妻賢母型なら絶対なつかない。わたしは自分勝手でわがままでお嬢様で自分を可愛いと思っているママが大好き笑笑。さまざまな考え方があると思うが、疲労を改善させる一番の方法は、美しくありたいと思ったら、自分の責任において自由であること。この自由をどう捉えるかは自分自身で考えるしかないが。やり方を間違えると身勝手な人になってしまう。
今、わたしの一番の回復への薬はバスケを見に行って推しに会うこと。どんなに疲れていてもここは関係ないんだよなぁ。バスケと別に今会いたい人がいて、大好きなんだよね。いいやつなんだ、これがまた。いつ会えるかわからないけど、その時のために老けてちゃいられないね。
温泉に行きたいなぁ。
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そこに向かう姿勢
2022.11.30 vs 群馬
写真は宇都宮ブレックス比江島慎選手。彼の活躍は凄まじかった。今シーズンの群馬は強い。前半の成績だけでいったら今シーズンの宇都宮なら敵う相手では無いと思っていた。
今シーズンは、というか昨シーズンあたりからBリーグ界隈で選手の出入りが盛んな気がする。チームが刷新されてなかなか混沌としている。面白い。いわゆる、昔からの強豪チームが必ずしも上にいけるシステムではなくなってきてるようだ(しかしそうはいっても底力や最後まで戦い抜く体力は昔から強いチームの方に分があるが)。
どうやら宇都宮ブレックスはスロースターターのようだ。しかしながらもう落とせない試合。1Qの入りは悪くなかったと思う。しかしじわりじわり差が開いてきて、ああこのままいくと千葉戦の時のように30点差で負けるかもしれないと思ってしまうような運びだったと思う。
1Qが終わって、悔しそうな表情のマコさん。3Pでやり返した後の嬉しそうなマコさんや意気込むマコさんなど、前のブログで喜怒哀楽はあった方が良いと書いたが、マコさんはわかりやすい。というかそのくらい勝利が欲しかったに違いない。うまくいかず、不甲斐ない思いと、チームがもっと勝利に飢えていてほしい思いと、自分が1勝に導かねばならぬ責務と、その思いは隠そうと思っても隠せるものではなかった。
だから応援したくなるんだよ。
わたしはスポーツ観戦は好きだ。でも自分ではやってこなかったし、つけられる点数で勝敗が決まる、勝ち負けしかないこの世界は正直知らない世界。わたしは苦手だった。会社内でもライバル意識がつよく、相手を蹴落としてでも評価されようとする人はやっぱり体育会系。やるからには一番を目指さないとダメだと豪語するのも体育会系。わたしは吹奏楽部だった。自分がでしゃばったらいけない世界。全体で作り上げる世界観で自分の奏でる音色を解釈を間違わずに表現する世界。そして表現力は思いが強い方が勝る。わかりやすくいうと、悦に入り込むことは必要。
そう思いは伝わる。
いかに感動を与えるか。わたしは表現の世界が好きだ。独特な世界観を持っている人が好きだ。わたしがマコさんを応援しているのは宇都宮ブレックスを勝利に導くからでも稀に見るエースだからというわけでも、見た目が好きという理由でもない。わたしが応援したくなるような何かを持ってる。強い思いが伝わってくる。そしてこの思いは単純にはいかない。苦悩が多いほど、考え倦んできたその先に溢れる出るものだと思っている。
思いが形になった時、深い感動になる。
実は何も知らないくせに勝手に応援したくなってしまった選手がいる。前回のブログで書いた三河の角野亮伍選手。世代最高のスコアラーはぶつかった壁を乗り越えつつあるようだ。乗り越えた先に、彼に待っているものは何か。楽しみにして、待ちたいと思う。こっそりと応援しながら。
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血液型とわたし
写真は宇都宮ブレックス所属、渡邉裕規選手。血液型はB型。わたしもB型。だからなんだって話なんだけど、女子は血液型占い?が大好き、たぶん。人間がたった4パターンで分類できるわけないんだけど、わかっているがわたしは気にします。それには理由があったりして。
気にするようになったのは小学生の頃。それはクラスメイトがみんなの友達手帳みたいなやつ作るって言って、プロフィールみたいなのを聞き回っていた時期(わたしが小学生くらいの時はスマホがないし、そういうの流行った)。その時にわたしのプロフィール書いて持っていったら
「えええ、だからかぁ。やっぱり」
「何のこと?????」
小学生の時、わたしのクラスは大きないじめがあったんだけど(かつてのブログを読んでください)、あたしともう1人Yちゃん(「いじめを克服するまで 番外編」に出てくる強くかっこいい信頼出来る友達)はクラスの中でも、ちょっと立ち位置が他の子たちとは違っていました。わたしも彼女も仲間はずれになることはあっても、完全にハブられないというか。今思えばいじめグループの思うようにならないことから、強制的にいうこと聞かせるためのお仕置きみたいな感じだったかもしれないなって。それと、プラスして、いじめグループの外のわたしたちの方が楽しそうであることへの嫉妬かなぁ。ともかく私たちはちょっと変だったのかもしれませんね、男子女子合わせてもクラスの中では浮いていたかもしれません。ちなみに彼女はAB型。彼女の両親はA型とB型。お姉さんはA型でした。お姉さんはわたしの吹奏楽部時代の先輩で成績も非常によく、先生の信頼も厚く、絵に描いたような優等生で今は教員です。Yちゃんが、「姉と比べられていろいろ面倒」とよく言ってました笑笑。
ともかく、ちょっと変だってきっとわたしは思われていて、わたしの血液型がクラスのみんなの知るところとなったときに、さっきの言葉が出てしまったのでしょうかね。やっぱりなって、、、ちなみにうちの息子、中学生の時同じセリフを言われたらしいよ。
「B型ってなんかあるの??『ヒカルB型かぁ、やっぱりな』って言われたんだけど」だって。
プロローグが長くなりましたが、というわけでこの前、ストーリーで血液型アンケート取らせていただきました。ご協力いただいた方ありがとう。結果は日本の人口の血液型分布より若干B、ABが少なく、Oが多少多いという結果。日本はA>O>B>ABで40:30:20:10なのですがO型が40%近くいらっしゃいました。アンケートを実施したのはバスケ専用垢ということもあり、体育会系が多かったのではないかということと(25年前ではあるが、大学の講義『スポーツ科学』で当時の日体大の約80%がO型であるというデータを聞いています)、あとはこういったアンケートに参加することがO型さんは好きなのかもしれません笑笑。
そして、わたしの今までの人間関係は血液型がつきあいによって偏っています。実際にわたしの友人知人は、というと
①家族:父B、母O、弟O。旦那とその家族全員O。わたしの子供たち、娘、息子2人ともB。
②中学の親友AとO。高校時代の仲間達8人中7人がB。1人だけO。大学の麻雀仲間4人中3人がB、1人だけO。今でも信頼できる長く付き合ってる親友は2人ともAB。
③好きになった人、憧れや片思いの相手もしくは振られた相手全部A。わたしを好きになってくれた人、長く付き合えた人、わたしを振り回してくれた人、全部O。
④わたしを嫌ってくれる女子。小、中、共にA。『優等生になりたい??』(前書いたブログ)に出てくる、わたしに嫌味をぶつけてくるあのあたりの女子はAです。
こうやってみると、A型さんと相性悪いように思うけど、3人仲間の時は間に必ずA型さんがいた気がする。わたしがこういう性格だから、Aさんに嫌われるところはあるからいつも気をつけてはいます。しかし生まれ持った性格だから、傷つけていたらごめんなさいだけどね。O型さんは面白いんだけど、頑固な方が多いから、Bは柔軟だから(違った言い方をするといい加減ともいう。しょっちゅう考え変わるから笑)ケンカが絶えない。その時Aさんが間に入ってくれてたかなぁ。
血液型は結構気にします。前述したけど、A型さんに嫌われるとこあるから。好きになってもいつも振られるし笑。男友達もB型多いんだもんな。でも恋愛関係になったことがないですね。お互いにそういう感情にはならないんでしょうね。だからBの男友達は大好き。わたしも向こうもお互いを好きにならないから。だから友達でいられるじゃない。面倒なことにならないで済む。
ちなみにわたしはO型さんに好かれる傾向にありますが、前の職場とかでも子犬のようにわたしの後ろをくっついてくるやつとか、わたしに構ってくる上司は全部O型。でもね、わたしはめちゃくちゃ気を使う!!O型に気を使う!!でも気付いてないあたり。。。しかも、自分が気を使ってあげてると思い込んでて。。。。だから余計に気を使う!!!母と弟は超わがままです。O!!!この2人も旦那もそうだけど、話聞いてる風で全然。右から左に受け流すんだもんな。それなのに、わたしのことを話聞かないでわがままだっていうのよ。お前だお前って言いたい。
ちなみにマコさんってOだね笑笑。きっと頑固者に違いない。結構ああ見えて人を振り回してるタイプではないかなぁって勝手に想像してます。
おもしろいよね、血液型って。これ、半分ネタなんで。お気を悪くなさらずに〜〜〜〜🤣🤣🤣
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マコさんへ送るラブレター②
比江島慎様
私は今マコさんが好き。大好き。人を好きになるのなんか何年ぶりだろう。
私は常に好きな人はいるがそれはまた違った意味で。そもそも人間が好きだ。世の中はいろんな出会いに溢れている。でもこんなに人間が多くても、同じ人は1人もいないし、生き方や環境、価値観全部違う。だからこそコミュニティでは摩擦が必ずあって、しかしコミュニティを形成しないということもあるわけがなく、人間ならば必ずコミュニティを形成して必ずどこかに属さないと生きられない生き物であるという。太古の昔からの永遠のテーマ。だからこそ人間と言え、そうでなければロボットと同じだ。約80億人いる人類のなかで一生でどのくらいの人間と関わることができるのか。考えるとキリがないけど、出会いは大事にしたい。限りがあるのだから。
「人とすれ違うだけでも出会いだと、俺は思う」
(フルアヘッド!ココ・秋田書店・作者 米原秀幸) これはジョンバーツがココに語るシーン。ある時キャプテンジョンバーツの海賊船に乗り込んだことから始まる冒険ロマン。少年ココがお宝目指して、いわくありげな仲間たちやバーツの影響を受けて成長する物語。ホットパンツのおすすめマンガ。宇都宮近辺の方、言ってくれれば貸出致します笑笑
好きな漫画の大好きな登場人物が言うセリフだが、私も共感でき、だからこそこの漫画が好きなんだろうな。このキャプテンジョンバーツ、好きな女性のために、自分を裏切って他の男の子供を産んだ、それでも好きな女性をどんなことがあっても守り抜く。たとえ報われなくても。しかし切ないわけではなく前向きに展開していく。そして、他のクルーのみんなも限りなく優しい。優しさとは強さとは何かも考えさせられるマンガになっている。ぜひぜひ。
というわけで、出会いは大事だと思っているという話。マコさんに抱くこの恋心も大事に思っている。
そんな歳で、よく恥ずかしげも無くこんなブログ書けるよなって思われる方もいらっしゃるかもしれないが、人間の一生は短い。出会えるチャンスもましてや気持ちを伝えられるチャンスも限られている。何回かこのブログで書いているが気持ちは伝えたほうがいい。後で絶対後悔するから。届いても届かなくても、本当の気持ちなんか届かない時の方が多いけど努力はしよう。
「人生はいつ終わるかわからない」
「好き」の感情はいろいろある。家族に向ける愛情。友人に向ける愛情。恋心。今まで付き合ってきた彼たちに向ける感情も恋心ではあるがそれぞれ違った恋心だった。マコさんに向いてる応援する気持ち、原動力は紛れもなく恋心から。友人・知人ではないから、彼の本当は知らないからあくまで憧れであるが、それでも恋心。アリーナに行って、マコさんを見て、バスケ姿見て、写真を振り返って、毎日ときめいている。まるで中学生に戻ったかのように。バカバカしいなって思うが、自分の心をコントロールできないのだから「恋」ってすごい。
こんな歳なのに、マコさんは私を少女に戻してしまう、、、
どれだけの感謝がマコさんに対しあるのか。数えきれないくらい、マコさんには助けられている。辛い時、主に辛いのは仕事に関してであるし、職場でのストレスはハンパないが、それでもまだ仕事を続けていられるのはマコさんのおかげだ。冒頭で書いた通り人間の一生は短く、その短い時間の中で仕事で負の感情に蝕まれることは実にくだらないし勿体無い。しかし働かなければ生活や趣味に使える資金がなくなるのだからそこは仕方ないとして、ただ今は働き方の考え方が昔とは違うし、そこに対しては私の所属する会社は理解し改善することを急務としているから退職しないで済んでいる。だがモチベーションは資金獲得のためだけなのだから仕事は辛いしかない。プラスでうまくいかないことがあるとやっぱり泣きたくなるし、性格悪い自分がつい表に出てしまうこともある。そんな時、マコさんの写真を眺めると自然に顔が綻ぶ自分に気づいた。心が穏やかになる自分に気づいた。推しの力ってすごいんだな。
マコさんの写真を撮って、バスケをしているマコさんの髪の毛がふわってなっている瞬間が好きだ。やっぱり私は短髪より今の長さが好きだ。今のマコさんだから好きになった。人と人との出会いは奇跡だと思う。バスケを知ってるものなら知らない人はいない比江島慎選手を、学生の頃からよっぽど有名だったらしいけど、まるで知らなかった。最初は半ば強引に見せられた動画が始まり。ていうか、違った。マコさんがブレックスに来たことから始まる私の片思い物語。初めて見せられた動画の頃から比べると本当に魅力的になった。この2−3年の間で洪水のように攻めてくるマコさんの色気。追いかけるほど好きになったのはオンラインサロンの影響も大きい。私はわかっている。これは縁。もう私の人生に比江島慎を好きになる運命みたいなものが組み入れられていたのではないかと。あの出来事もその出来事ももう経験する出来事と決められていたのに違いない。
「縁がある」
私が好きになるタイプに一貫性はない。一個あげるならば「匂い」。まあ一種のフェロモンみたいなもの。と「色気」。見た目がカッコよくても色気がない人に魅力は感じない。きっと私がマコさんを好きなうちはマコさんが色気を降り撒いている時。私がマコさんを追いかけなくなった時はマコさんの色気が欠けてきた時。もしくは色気を感じられないくらい遠くに行ってしまった時。今は考えたくもないが、いつか来るのだろう。でもその時は他の誰かに恋をしているかもしれない。
今は全力でマコさんが好きだ。大好き。ほんのちょっとのタイミングであなたは私の心を鷲掴みにした。私にとって2度目の恋の相手はマコさん。きっと最後の恋。あなたは私にちょっぴり切なくて最高に楽しい感情をくれた。
「ありがとう」
感謝で尽きることのない。ありがとう。
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瞳で感じて
ただのイメージ画像です。さて誰の目でしょうか?笑 長男の大学入試試験が始まり、いよいよこの先が見えてきた今日この頃です。長男の第2希望が(第一希望は長男にしてみたらだいぶ難関で私立。共通テストで願書を出そうと考えている最中。)長女と同じ国立大学、同じ学部学科、つまり、私の卒業した大学な訳でして、先日弘前市に行ってきたばかりです。
弘前市は私の若かりし思い出の場所。今でもあの時のことが思い出されます。思い出したいわけではないんですけどね。めちゃめちゃ好きな人に出会う高2以前の恋とも言えない思い出。今回はこの思い出に付き合ってください。
私は当時、小さい町に住んでいて、中浪時代からJRで弘前市に通っていました。同じ中学の友達たちは制服。私は浪人生なので私服。それでも楽しかった電車通学でした。その電車は青森市から弘前市を通る奥羽本線で青森県では主要な路線です。通勤通学の人がたくさん利用する路線でした。当時、この電車で青森市から弘前市の男子校に通う男子生徒の集団がありまして(5−6人)、とてもカッコよく、この電車を利用するいろいろな女子生徒の憧れの集団でした。私の友達もそのうちの何人か。最初は友だちの話に仕方なく付き合う感じでしたが、そのうち私にもいいなって思う相手ができてしまったのです。この中でそれぞれ、アイドルグループみたいに、誰派、誰派、誰派なんて言いながらギャーギャーしてた訳ですね。まあ良くあるやつです。私はその集団でも2年生のD君が好きでした。メインは3年の2人。この2人に集まってきてたイケメン集団で学年が結構違っていたんです。このD君、1学年下なのですが3年のメイン2人と同等に扱われていて、そして一種独特なオーラを纏っていて、いわゆるメインの3年2人のモテ方と違っていました。人気があったのはメイン2人。D君はそれほどモテていたかというとそうでもなかったですかね。男子には人気があったようで、むしろ3年にも1年にも慕われていたようでした。
騒いでるうちに、彼らもだんだん気づいてきます。思えば、今思うとラッキーだったのかも。みんなの憧れの集団が私や友達に気付き始めてくれました。騒いでる女子全員が気づいてもらえてるわけじゃない中で。当時は考えてなかったな。挨拶してもらえるようになって、公然の追っかけになれたことが嬉しくて思いも及ばなかったけど。思い起こすと、私は私服だったからなのかも。高校生に混じって私服の女子がいたから目立っていたのかもしれないな。表立って追っかけてたのは友達の方。3年の一郎君の追っかけでした。この一郎君が一番人気の彼。私はそのころは友達に付き合ってます的な態度をとっていたはずです。ですがD君を自分でも気づかないうちに目で追っていたのでしょうね。D君が視線を飛ばしてくれるようになりました。堂々とD君ファンだと公言していたわけではないので、その当時は心の中でこっそり目があったこと、こっちを見てくれていた事にドキドキしながら電車に乗るのを楽しみにしていました。
そのうち、2人で目で会話するようになりました。
(あいつらも一郎の追っかけだな)
のような空気であったので、私も、合わせてキャーキャー言ってましたが、D君のファンで、またD君も私が自分のファンなんだとわかっていました。
D君は私より先に電車を降りるので、(じゃあ、また明日)(うん、明日ね)
彼は応援団だったので、高校総体の時とかも(がんばってね)(👍)
とか、あくまで想像だけど笑。わたしたちにしかわからない、友達たちにも話していない秘密の目でする会話。こういう秘密ってちょっと嬉しいですよね。当時彼は程よく遊び人で特定の彼女を作らない主義だったらしいです。彼女いなくてよかったw。
私が高校生になる頃、一郎君は卒業して友達が追っかけをやめて自分の高校に彼氏ができた頃、D君は高校3年生。そうなってきた時に改めて私とD君は自然に挨拶し、電話番号を交換して直接話せるようになりました。相変わらず、ただの挨拶するだけの中。予定がない時に電話をくれて話してくれるだけだったし、私もあえて告白もしなかったし、そもそも憧れだけど好きかどうかもわからない状態だったし。こっちから電話してもどこにいるかわからずじまい。「いつも友達とどっか行ってていつ帰ってくるかわからないよ」ってお母さん言ってたっけ。(あの頃、携帯電話は高校生が持てるものではなかったやつです。よくコントでやるようなでっかいやつ)
彼は中浪経験者でした。なので、私のことはよく見ていたようです。当時3年のメイン2人と同等な感じがしたわけは彼が一郎君たちと歳が一緒だから。
D君が就職決まった秋、彼は東京に行くと教えてくれました。その後、卒業間近になって一度だけ彼の部屋に遊びに行きました。特に何がってわけじゃないけれど、今思うととても甘美だけど穏やかな空間だったと思います。
卒業式の日、彼は私に第1ボタンと(彼の制服はブレザー)、そしてネクタイを首に巻いてくれました。
「大事にしろよ。タバコの焦げ跡あるけど」
東京に旅立つ日、アパートの住所と電話番号もらって遊びにこいよって言ってくれて嬉しかったな。社交辞令とわかっているのであれから連絡は取ってないけど。だからこそよかった。それでも十分な私の思い出。出会った頃、結論、後になって直接会話はするようにはなるんだけど、その時自然に会話ができたのは、あの頃、目と目で会話してたから。もう私の気持ちがバレていたから。目で感じて、2人にしかわからない会話って意外にエロティックだなって思います。
実は見た目、マコさんに似てるの。目が一重で、頬骨が高くて、色白で。髪の毛が柔らかく風になびく感じ。私、マコさん、見た目タイプじゃないけど、そう思っていたけど本当はタイプなのかもしれない笑笑。
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かわいくなりたい
タイトルとあんまり関係ないんだけど、キャップが似合わない上に、前髪入れてしまってそこがとてもかわいい比江島慎選手の写真を上げておきます。(昨シーズン、優勝時のもの) 欲望は尽きない。
お金が欲しい。エステに行きたい。カメラの技術が欲しい。いいカメラが欲しい。いいレンズが欲しい。一生に一度でいいから外車に乗りたい。できたらSUVに乗りたい。痩せたい。あと20年遅く生まれたかった。輸入住宅を建てたかった。ログハウスの別荘が欲しい。動物病院で働きたい。理系に行けばよかった。校舎の踊り場で告白されたかった。モテたい。キレイなロングヘアに憧れる。目が大きく生まれたかった。賢く生まれたかった。実力を発揮できるメンタルが欲しい。自信がつくだけの努力をすればよかった。あの時告白すればよかった。好きになって欲しかった。私を一番にして欲しかった。色白に生まれたかった。謙虚で女性らしい性格になれればよかった。誰からも愛されるキャラになりたかった。足が速くなりたかった。球技が得意になりたかった。体育の成績で5をとりたかった。丈夫な体で生まれたかった。スタイルが良くなりたい。巨乳になりたい。色っぽくなりたい。ほんのりピンクで可愛らしい唇が欲しい。筋の通ったスッキリした鼻の形がよかった。女づめになりたい。美しい指先の方が羨ましい。
あの人の彼女になりたかった。
全部私にはなかったもの。今でも手に入らないもの。でもそれらがあったら、今の私はないのです。きっとこれからも手に入れることなく死んでいくのでしょうが、欲望がある限り、前へ進もうとして、神に少しでも抗おうと努力するのでしょう。毎日葛藤しながらより良い答えを見つけようとするのでしょう。
ないものを追い続け、後悔を重ね、傷つき、後ろを振り返ってはまた一歩づつ前へ進もうとする。自分と向き合って、それでも生きていくしかないのです。
一生辿り着かない迷路を死ぬまで進んで行かなくてはならない。迷って迷って考え抜いて最良の茨の道を進む。それが等しく人間に与えられた運命です。みんな同じだ。あなたも私も。
だからこそ生きていく価値がある。
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森羅万象(この世界)
宇都宮タワーから見た景色 昨夜、息子と何気にした会話にて。ブログのネタになるなと思って。息子は今高校3年生。大学受験を控えて勉強中。長女と一緒でやっぱり理系で生物系へ。もうちょっと頭がよければ本当は獣医になりたい。無理そうなので、幹細胞系の研究へ。やはり長女と同じ大学の農学生命科学部の両生類学研究室が希望。ということもあり、なんとなく昆虫やらカエルやらの話が多いのは事実。
私「そういえばさ、昆虫って神経系ってどうなってるんだっけ???」
長男「虫のことって、そういえばあんまり考えたことなかったな。痛みって感じるの??」
私「トンボって羽むしられても痛くないのかね?なんか飛べねーなーって考えてるのかね」
長男「そもそも考えねーだろ。そういえば犬とか猫って考えるっけ」
私「高等な脊椎動物なら学習能力あるけどさ、あくまで学習でしょ?考えてねーよな」
長男「考えるって何??」
私「そうなってくると哲学の話だ。この前喋ったけど人間とロボットの違い。自己とは何かにつながるな」
長男「この話、無限にできない??」
私「こうなってくると理系文系関係ないね。さすが私の先生、理系文系ない院の担当者」
事実、長女が弘前大学に入学したときに、自分らの先生に挨拶に行ったのだが、彼は現在「地域共創科学研究科(修士課程)」の先生。この科は文系・理系の院生が共に新たな価値を創り出すというテーマらしい。文理別に考えず大事なのは「共に」の部分。
今あることが今までも同じと思ってはもったいないね。時代は変わるし、考え方も変わるし、私が学んだ経営学の考え方も会社員になっても応用はできてるけど、学問から現実味を帯びるのに10年はかかる。会社も変わった。働き方改革って言葉も流行ってるけど、働き方も生き方も変わってくる。文理別に考えるのはいろんなな可能性を狭めることになる。
当たり前は当たり前じゃない。この世界にある全てのものが。
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自分の意見を言わないということ〜伝え方と聞き方(番外編)〜
今日のテーマは、前に上げた内容「伝え方と聞き方(自分の意見を述べるということ)」の番外編。この写真は、自分の高校生時代を思い出して載せた写真(長女の大学受験の時に解説用に、実に30年ぶりに解いた高校数学笑笑。おかしな点はご愛嬌で)。この頃は数学が大好きでした。成績が良かったかどうかは別だが。
何回か触れているが、高校時代があったから今も生きていける。賢く程よく遊び人でおしゃれな友人たちに囲まれて、しかし今を生きながらも哲学や将来のビジョンも掲げられる素晴らしい仲間たち。大いに語り合った。みんなそれぞれ考えは違うがそれに対してさまざまなまた考えを言えるのだから、それはやはり自分でしっかり哲学を持っている証拠だし、新たな発見がいつもの日常にあるような素晴らしい3年間だった。
今はちょっと物足りない。大いに語りたくとも、意外に周りは面倒らしい笑笑。旦那もそう。私の話は面倒臭いらしい(よく結婚したよね、不思議)。そこに関しては大いに文句もある。私を言い負かすほどの哲学をもと合わせていないからだろうが、言い訳して、口をつぐんで逃げていく。高校の頃の仲間とどうしても比べてしまう。まあちょっと、個性的すぎるメンバーではあったが。この高校に入学してくる生徒も普通ではなかったかもしれない。
最近、というか常に思うが人って自分の意見や考え、思いを伝えるのは難しいと思っているのだろうか。それは烏滸がましいと思うのか。自分なんかが意見を言ったってっていう心理か?それとも単純に恥ずかしい?反対意見を言われるのが、それは間違ったことを指摘されてるように感じるのか?恥ずかしいと思った自分に向き合うのが辛い?それとも否定された時に言い返してしまう自分が許せない。負けず嫌いが出てしまう?討論なんかしたくない。その先に友人関係が壊れる気がして嫌か?
自分を信頼して欲しいなら、自分を出すべきだ。辛いも悲しいも恥ずかしいも経験しないと、そういう相手と向き合う時、説得力がない。上辺だけの言葉しか言えない相手は話すとすぐにわかってしまう。
なぜ言わないのかな。人と違う意見を言うことが、嫌われるファクターであると考えているのか?それは違うだろう。
と、ずっと思っていた。
ある時、職場で先輩と業務課題について話したことがあった。私は白黒はっきりしているとよく言われる。(最近も言われたが)。でも多いにグレーも存在すると思っているのだが、子供の時からそう思われがちだ。だからなのか、子供の時から面倒な案件を任されることが多かった。100人いれば100の意見がある。全部が罷り通るわけがない。その中でまとめ上げなければならなかったし、リーダーシップを発揮しなければならない。矛盾だらけだし、どう折り合いつけるのか。どうすれば最大の利益になるのか?今も同じような立場にいて、葛藤の日々だ。心が折れるよ。一方で好まれ一方で嫌われ、どう伝えていけばいいのか。導いていけばいいのか。。。
「みんな〇〇(私の苗字)みたいに強くはないんだよ。だって〇〇は強いでしょ?」
先輩に言われた言葉。私が強く見えるのか?毎日悩み葛藤し、でも最大限、関わるみんなが喜びを得られるようにどれだけ苦しんでいると思っているのか。仮に私が強いとして、だとしても、私が強いから、折れないから、たとえはっきり意見や考えを言って、一部の人間に嫌われたって平気でしょ?ってことなんだろう。私からしたら、卑怯者でしかない。でもきっと本人は気づいていない。なぜなら自分本位でしか物事を捉えたことがないから。ただ自分を守りたかっただけな行為が相手を傷つける行為になると思ってない。でも彼女は周りからとても優しく信頼できると評判の先輩であった。
比江島慎選手 宇都宮ブレックス No.6 一年位前、マコさんが「嫌われる勇気」みたいな自己啓発本を読んでいると何かで知った。彼のいいところは慢心しないところ。自分の欠点を認め、葛藤の毎日。だからこそ成長し、そして比江島慎という人物は日々加速度的に魅力が増している。私が彼の虜になる理由。きっと、見た目関係なく、根拠のない自信満々くんになったらもう応援しないだろうな。笑
「嫌われる勇気=信頼されるためのもの」だと思う。前は「意見を言うこと」というテーマで進めたが、今回は「言わないこと」はどういうことなのかというテーマで書いてみた。「言わないでいること」が結果、何ももたらされるものがなく終わるのか、それとも誰かが代わりに「言う」ことで何かしらの功績はあるが言った本人にダメージが残ることになるのか、しかしまた「言わなくてもいいこと」があることも事実。どちらにせよ無責任にならぬよう。自分が考えを述べないことでどういうことが起こりうるのか、角度を変えて考えることも必要なんだ。
自分も常にあらゆる角度から物事を見れるように。
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切れ長くん
わたしは切長の目が好きです。わたしの家族がどちらかというとくどい顔家系なので女の子も男の子もシュッとした顔立ちが好みです。憧れる。
ピンぼけ写真もあるけど、直近のプレシーズンからチョイスしてみました。そして今シーズンは遠藤さんファンが爆発的に増えるとみた。その辺りの動向に着目ですね。
・遠藤祐亮選手(宇都宮ブレックス所属 No.9)鹿沼市TKCいちごアリーナ、魚津市ありそアリーナ
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喜怒哀楽
比江島慎選手 バスケットボールはまだマシな方と思うが、サッカーなんかだと国際試合はお国によってはラフプレーが目立つよね。会場の観客の煽り方もハンパないし。ラフプレーは良くないんだけれども、日本人はおとなしすぎる民族であることには違いない気がする。
マコさんは昨シーズンCS優勝した時、感情が顔や行動に出てしまったときのことを「普段はポーカーフェイスなんですけど、感情が出てしまいました」と語っていた。わたしから見ると、とってもわかりやすいんだが、一生懸命顔に出さないように努力しているのだろうとは思う。
必要???
私はまだ何も分かってなかった頃、このブログでも触れてたけど(最初の方のブログ、小中学校、高校の頃の話、高校恋愛編で詳しく書こうと思ったんだが、まだ続編書けてないっす)、あまり感情を出さない様にしていた。そして、顔に出ないということは客観的に物事を見ていることになり、自分は冷静である証拠だと勝手に思っていたため、それが正解だと思っていた節がある。
どうやら日本の文化なのだろう。冷静沈着、わめかず、大声を出さず、クールに。。。女性も慎ましやかに、男性の3歩後ろを歩き、目立たず、おしとやかに、というのがいい女の条件。日本の文化を否定しているわけではないけど、理想の女性像をこれに当てはめてしまうと、今の世の中、セクハラを取られるでしょうね。脇道に逸れてしまったけど、慎ましくいることが日本の文化であるからわたしもそういう価値観で育ってきてしまったのだろう。わたしはこの後、高校生の時、感情をぶつけることで自分の殻を打ち破ることができた。
いつもクールな人なんて、ちっとも魅力的じゃない。
かつての上司が韓国出身であった。彼女は日本が大好きで、日本の会社に就職したかったんだそうだ。彼女は言い訳も失敗も隠さない。誰かのせいにすることもある。でも必ず謝る。言い訳はしても、感情をあらわにして、泣きながら謝ってくる。韓国は泣く文化だと聞いたことがある(違っていたらごめん)。最初はだから、泣いて媚を売っているのだろうと思ったけど、違うとわかった。日本人は泣くことがみっともないと思うところがある。「そんなことで泣くのか?泣くくらいなら最初からちゃんとやれよ。泣いたら許されると思っているのか。。。」言ってしまったり、思ってしまったり、またこの言葉を言ってる人を見たことないかな?いかにもそれらしく装って、泣いてる人は弱い人、こんなセリフを吐く人は強くて冷静な人、そんな図式が出来上がっているね。
わたしは言いたい。泣くくらい悔しい思いをしたことがないのか。泣いても自分を認めてほしいと思ったことはないのか。泣いても取り返しがつかないほど後悔したことがないのか。であれば可哀想な人だ(嬉し涙と人が亡くなった時の悲しみの涙は、これだけは許されてるから別)。感情って隠せるものではないはず。殺せる感情なら、それだけのものしか経験してないってことだと思う。長い人生の中でそんな寂しいことってある?
これと同じで、怒りも、喜びも、なぜか日本人は体全体で表すのが苦手なようだ。だからなのか、そもそも目立つことをよしとしないところがあって、ビジネスにおいても交渉が下手。PRが下手。日本人はとても勤勉だし優秀だと思う。だから世界でもトップクラスの技術、開発もされているのに、それをビジネスに活用するとなると世界に先を越されてしまう。
学生時代、仮想空間の中、各国と仮想ビジネスで競ったことがある。資本金1000万で1年後、3年後、10年後どうなっているか。わたしは手堅く安牌なビジネスをしていた気でいたのだが、初期に資本金の倍も借金してるヨーロッパやアジアのチームに10年後は結果、何倍も利益に差をつけられ大敗。しかも相手は小学生。思うに、思い切った行動を起こす勇気がない。感情が爆発するほどの衝動も同じ。心が耐えられないんでないかな。
そうはいっても、私たちが学生の頃あたりから最近の風潮は変わりつつある。相変わらず水面化?ではまだ女性が慎ましいのが好まれるように思うけど、就職の採用なんかでは自己PRは重要なファクターだ。他人と違う点やリーダーシップ、考える力や伝え方(交渉術につながる)は重要な決め手になる。そのため目立つことが第一歩だし、だからこそいわゆる陽キャ陰キャという言葉が生まれ、目立つ人がチヤホヤされるからいいんだと、またまた違った目立ち方の解釈が世の中を蔓延っている。どちらにせよ、自分を出すことが苦手なのは間違いない民族なのであろう。
まだまだ、感情は表に出してはカッコ悪い。でも目立ちたい。偉そうなことを言いたい。感情をあらわにせざるを得ないほどの経験をしたこともないのに?なんでそう思うかって、要するに楽なんだよ、自分の感情を殺す方が。自分の感情に向き合うのって、知らなかった自分を知る事だから怖い。そこに向き合えてない人がまだまだ多いように思う。そうでない人もたくさんいて、わたしはありがたいことに、経験値が豊富で影響力の多い方達に出合う縁に恵まれてきた。何が悪いって、そういう感情を表に出すのがカッコ悪いっていう風土が悪いっていう話。わたしら団塊ジュニアでも半々だと思うな。前からこのブログで書いているけど、色々な価値観や哲学、文化、、、過渡期なんだ。日本経済においても、一番お金を動かしているのはこの世代(人口が一番多いという点でも)。良くも悪くも、影響力が大きい世代なのではないかなと思っている。
変革時に影響力のある世代。団塊ジュニアが日本経済を変えられる。ミクロな見方をすると、会社の生き死にはこの世代が変われるかにある。第一線で活躍しているのはもっと若い世代だと思うが、人口が多く、今までの変革時は全てこの世代が関わってきたのはリアルに覚えてるだろう(金融ビックバンにしかり)。若い世代がもっと動けるように準備してあげるのはわたしらの仕事かもしれない。
まだ自分の殻にこもってる人がいたら、破ってみない?自分の知らなかった感情に触れることは勇気が必要だけどね。