優しい人

比江島慎選手 2022.2.5 広島戦(広島グリーンアリーナ)

(マコさんの写真は、この内容のイメージ像です。内容はあまり関係ないです)

マコさんの表情を見ていると、本当に優しい人なんだなって感じる。

オンラインサロン内で受けるサービスや、ほかSNSなどで時折見せる言葉や表情、いろんな立場の人のいる中でもそれぞれに気を遣った言葉を選んで発言してくれているなってわかる。

私たちは1人では生きていられないし、人間同士の関わりの中で生きている。だからどうしてもわかってしまうよね。同じ言葉でも発する相手の表情や態度でわかってしまう。この人は本当に自分の事を思ってしゃべってくれているのか、、、

優しい言葉でも人のことを下に見るような表情。きつい言葉でも寄り添い、相手の今後を考えた発言。知らず知らずのうちに私たちは体で理解してしまう。

ある時、お互いに知ってはいたものの、それすら知らないふりを続けるだろう人がいたのだが、そのひととたまたま近くで顔を合わせる機会があった。そのときは急いでいるふりをして軽く会釈してやり過ごした。なんとなく気まずい感じね。その後程なくしてまた会ってしまった。どうやら目的地が同じらしい。2回目なのだからとりあえず挨拶や軽い言葉は交わしておいたのだったが。その後、なんとなく気まずい私は少しタイミングをずらして目的地へ向かったのだが、その目的地でなんとまた顔を合わせてしまった。目的地は人混みの中。あれだけ人がいる中で、どうしてまたしかも正面からぶつかってしまうのか。その時の彼の表情がとても穏やかで優しかったのを覚えている。彼はきっと人見知りだ。話しかけない方が彼のためだし、気を遣わせると思っている。だからこちらも知らないふりをしていたのだが、だが、彼はとても優しい顔で微笑んでおり、

「お先にどうぞ」と言ってくれた。

「いえいえ、先に行ってください」

優しい表情で軽く会釈をし、彼は先へ進んで行った。

よくあるエピソードな気もするが、相手によってはめんどくさい態度もされるし、話しかけるなオーラを出す人もいる。人間関係って難しくて、私は誰にでも話しかけてしまう方だから、人によっては鬱陶しいタイプだと思うよ。だから距離感つかめない相手には気も使うし、空気を読もうとする。

さっきのエピソードの彼はそういう雰囲気を出さない人だった。おとなしくてなかなか他人と仲良くなれない感じな彼であるが、人間性というか心の底の底にある部分がとても優しい人、なんだな。

後にも先にも、これ以上は関わり合わない彼であるがとても私に温かいものをくれた彼でした。

ただのそれだけの、それでいてとても影響のある、こんな出会いもあるんです。

伝え方と聞き方(自分の意見を述べると言うこと)

 思ったことがありまして、、、

最近の、まあちょっとした出来事と、異動した職場でのやりづらさと合わせて、気づいた事。

なんでやりづらいのか?

異動した先ではやるべきことがある。と思っていたのだが、その前に私が変わっていかなければいけない事もあったわけです。この一ヶ月気付かないで過ごしてきました。

なので、いろいろとそう簡単ではないし、うまく行くわけがないのです。考えてみれば相手は私がどんな人か知らないし、信頼してもらえるわけがなかった(当たり前)。自分の行動で信頼は勝ち得ないといけないんですがどうにもこうにもうまくいかないわけです。

自分にとっていい事だろうが悪い事だろうが、はっきり言ってほしい。私はそういう性格なのですが、相手がそうであるとは限らない。自分がそうだから、どうしてもはっきり言う癖があるんですね。言い方を気を付けないと、また一生こちらのことを聞いてもらえない。コミュニケーションって難しいと痛感した一ヶ月となりました。

しかし、そうはいっても言うべきは言わないといけない。相手は意見されたと思うらしいのですが(文句を言ってるわけではないんだけど)、私がまだ信頼されてないせいかもしれないですが、まあきっと相手は面白くない。2回目からは理論武装してこちらの言うことを最初から聞かないように構えて来られました。一ヶ月経って今はちょっとずつですが私も相手も少しずつお互い妥協して前に進めてはいます。コミュニケーションって相手がいるから成り立つ事。相手は自分じゃないので、どうにかこうにか伝わるように言葉も選んでいかないといけないと思うのですが、一方的に言うだけではコミュニケーションは図れないので、聞く力もないといけないわけですよね。相手が理解しなければ伝えたことにならず、それを理解するには相手が言ってることもこちらが正しく聞く力がないといけないわけです。

表裏一体、伝える力と聞く力。

これがSNSになったときはもっと大変。文章になるので、自分が意図しない捉え方を相手方がするときもあります。こちらもわかりやすい文章は心がけますが、自分が聞き手(この場合は読む側)に回るとき、客観的に読んで理解することが冷静にできるか。人だから、どっちからかの側の立場に立って読もうとする癖って誰にでもあると思っています。そして相手の顔が見えない分、文章でしか確認しようがないので、余計に難しいんですよね。

気をつけないといけない。

だからと言って、相手に合わせるばかりで、「意見があっても言わなければ大事には至らないから」という理由で、考えを出さないことがいいことでそれが大人のする態度であるとも思いません。むしろ、言わずにやり過ごすことは私の中では卑怯であり、はっきり意見を言う人に責任を押し付けているように思えるからです。建設的な意見はたくさん意見のある中からでないと生まれてこない。言うべきが必要です。そして聞く力(理解力)がないとその意見が建設的かどうかも判断がつかないと言うことが起こります。(誤ると、思い違いで間違った方向に発展し、場が炎上する。SNSの場合)

日本は民主主義の国。相手を傷つける発言は良くないけれども表現の自由があることをありがたく思います(そうでない国もまだまだあります)。大事なのは伝える力と聞く力を身につけること。心がけよう、私。

マコさんへ送るラブレター

2022.2.6広島戦

 私、特にマコさんの顔立ちが好きなわけじゃないのですが、じゃあどんな顔が好みなのかって聞かれれば答えられない。そういえば男の人って今までも顔で選んで好きになったりしたことないかも。

 傾向はあるよ。頬骨が高いとか、口元に特徴あるとか、首が長くて太いとか、顔が短いとか。あ、目が一重がいいかもな。結構あるか。でも実際はあんまり関係ないかも。肩幅はあんまりガチガチにある人は好まないな。マコさんくらいでいい笑笑
 実際は見た目というよりは、私の場合は色気だ。なんていうか匂い。感じない匂い。一種のフェロモンなのかも。だから、憧れや、噂とか人気度で好きになったこと一度もない。仲良くなって、仲良くなったからこそ近くにいるわけで、だから匂いも感じられるわけで、きっとそういうふうになってから恋をする。まあ、これはリア恋の話だけど、色気っていうのは推しにも当てはまるかなぁ。匂いはわからないけど、色気があるなしは見た目でもわかるよね。

 マコさんの若い時なら好きになってなかったって前言ったけど、三河時代のは色気をまるで感じないから。知ったのが昨シーズンからで30歳を迎えた後だな。おしゃれになったし、バスケだけじゃなく、服のセンスや、いろんなプライベートも自信がついたかな?だからか、その自信ゆえか、それが色気になって出てる。だから好きになったのかも。 

 マコさんは今とても素敵だ。推しだからではなく、今が色っぽい、いわゆる旬。オリンピックでバスケにもよりいっそう自信がついて、とても男としてはいい時期だね。私、絵も描くんだけど、主に人物画を描くんだけど、その人の個性や特徴を、魅力的なところも盛り込んで描く。だからその人を知らないと描けない。イメージが湧かない。前にさ、私は人を見る目があるって言ったけど、普段から、人物像を観察しながら人と接してるかも。絵を描く時どういうふうに描こうって考えながら相手と接してるかもしれないな。

 マコさんはバスケをやってから子供の時からずーっと有名人なのかもだけど、今、1人の人間としてとても素敵だ。
 人って、自信を持つことも大事だけど、自信がないことも必要。だってなんとか克服しようと思って成長するでしょ?成長が色気や魅力につながると思ってる。久しぶりに会った友人が昔より魅力がかけちゃってたり、老けてたりってあるじゃん。逆に、60代くらいのおじさんでもとても魅力的な人もいる。(俳優の寺尾聰やRDJ[ロバートダウニーJR]がそれ。カンバーバッチもいいね)

 私、自分にも言い聞かせて魅力的に年齢重ねよーっと。最期まで自分らしく生きること、根っこは曲げないこと、オリジナルを大事にすること。もっとストイックに、日々鍛錬だな笑笑
 私は人を見るだけは自信がある。だから、ブログを書いて今までの人からいただいた大切な言葉や体験を綴ってきた。人間が好きだ、弱いところも強いところも。マコさんが好きだ。今一番私の目には魅力的に映っているよ。これからもとても楽しみ。どういうふうに進化していくか見守るとするよ。
笑笑

帰省して改めて思ったこと

家の前の公園にて

 年末年始の繁忙期を終えて休暇をもらった。母が入院したので家や父が気掛かりだったのと、弟に3人目の子が誕生したこと、冬休みを終えた長女をアパートに送っていくついでもあって時期的にはちょうど良かった。

 今年は雪が多いらしい。私の実家があるところは元々雪が多い地域。青森市に合併される前、南津軽郡だった頃、この中弘南黒地区ではとても雪深い地域で、JRで弘前から浪岡に帰る途中、浪岡に入る手前で明らかに雪の量が違うし、大体吹雪いていたようなイメージだった。
 雪国じゃない人には想像つかないかもしれないけど、道路がすり鉢状になってて車同士すれ違うのに、滑って、道路のセンターラインによって行っちゃうから大型同士だとぶつかって立ち往生はよくあること。そして除雪にコストがかかるし、自治体の財政圧迫するし。
 というわけで今回帰省して思ったこと。やっぱり地の利ってあるんだよね(中央から離れている地方は不利)。こればっかりはどうしようもない。

①中央から離れているので、どうしても働く場所に制限がある(今はネット社会だが、製造する工場なんかがなくなるわけではない。カネとモノは中央に集まるのだから、離れているほど輸送にコストがかかる)

②雪が経済活動においてマイナスに働く(まずは先に述べた通り、自治体の財政を圧迫する。除雪、融雪、その他の整備。雪囲いとか然り。農業はできない。雪が溶けるまでは畑は使えない、個人の生活でいうと、車も家も寒冷地仕様。だからといってお金はかかるが長持ちしない。傷みやすいのでメンテにもコストがかかるし、使える素材にも制限がある)

 こっちに来てよく言われたこと「みんな出稼ぎに関東来るってほんと?」田舎者の表現の一つとして出稼ぎという単語を使っているのか?先にも書いたけど、冬は農家の方は畑使えないんだって。よそに働きに出るしかないの。
 関東に来て、便利なところだと思った。生活するのに不便はない。栃木県民は車がないとどこにも行けないというが、逆にいうと、車があれば行動範囲が広がる。どこにでもいけるし、見識も広がる。雪がない分運転に困らない。雪が降ったから通勤できませんは東北だとありえないよ。ここまで読んだ感じだと、青森あたりで生活するの大変そうってなると思うけど、そういうところで育つと、逆にどこででも暮らせる。経済的に不利なのは県民もわかっているから、それを受け入れて生活している分「強い」
 私、東京あたりの人が田舎暮らしに憧れるとかいうけど、無理だと思うもんね。田舎にもよるかもだけど。
 私も強い。元々田舎者だし、こっちに来たとき覚悟してきてる。

「うわぁ、とても青森からきたようには見えないね」

って言われたんだけど、これ褒めてる???青森県民馬鹿にしてるんかなって思ったよ。でも覚悟してきた。そして、耐えられる根性は東北人は持ってる。東北大震災の時の傷跡、まだまだあると思うけど頑張れ東北。私も電気水道止まった経験は4回目。周りの近所の方に聞いたら3.11が初めてだって言ってた。災害もないし住みやすいところだよ。自分の住んでる地域に感謝しよう。雷は多くて、これは怖いけどね。雷は怖くなったね。
 なにはともあれ栃木に来て20年以上経ってしまった。おかげさまで楽しい日々を送れている。育ててくれた地域に恩返しができないことと、どんどん寂れてる感が否めなく、心苦しいのだが、今はなんとかこの地が(今住んでるところ)が発展していけばいいと思ってる。しかも宇都宮がしっかりと中心になって盛り上がってくれたらいいな。宇都宮BREXを、他の地域からたくさん応援に来てもらえるよう、来やすいように発展していけばいいな。
これが今の私の願いで、できることがあれば協力していきたい。
です
(結局BREX の応援で終わったよね。大好きだからね笑)

ママチャリ〜「優等生」になりたいか編の番外編〜

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「優等生になりたい?」編に出てきたママチャリエピソード。「お金の価値観」へんで書こうと思ったんだけど、ショートエピソードでここで書いちゃう。

 高校生の時、地元の浪岡町(今は青森市に合併。合併問題にも追々ふれていきます。)からJRで弘前市に通っていたのですが、浪岡駅までは家から自転車でいき、弘前駅にも置きチャリしてそこから高校まで通っていました。浪岡だろうが弘前だろうが、まあ自転車いたずらされるわけです。盗まれたり、サドルだけないとか、前輪がないとか。。。防犯登録してても帰ってくる自転車は見るも無残な姿。親に言って何回か自転車を買ってもらって、ホームセンターに売ってるような安いやつでもさ、本当にお願いするたび申し訳ない気持ちでいっぱい。盗難届けを出しに駅前の交番に行くこと数回。そのうち巡査と知り合いになっちゃって、弘前城の桜祭りの時なんかそっちに駆り出されてる巡査が道路挟んでるのに、

「あっ、お前」なんて言うから友達が補導されるって逃げる始末(なんもしてないんだったら逃げんなって)。

 と言うわけでもう後がない私(自転車に関して)。なのにあるとき、チャリで曲がったら正面から坂を下ってきた工業高校の生徒にぶつかられた(遅刻して怒られた3年の弘高祭当日)。自転車が乗れなくなってて、とりあえず押して高校へ行って、帰りに高校向かいの自転車屋さんへ。もちろん弘高生はみんな顔馴染みだったはず。修理できるかなぁ、お小遣いで直せるかなぁって思いながら。。。

「残念だけどチェーンがイカれてるからもうダメだなぁ」

だって絶望的。しかし

「お前が良ければ、この自転車どうだ?使えるとこだけ繋げて1台の自転車俺仕上げたんだけど。パーツ全部違う自転車だからカッコ悪いけど。」

確かに、ハンドル、チェーンの部分、骨組み?の色、全部違う。カゴもおばさんの自転車のカゴ。タイヤは24インチ。でも

「俺の傑作1000円で譲ってやる」

ってもう神!!こんな話ある?すごく嬉しくて感動して1000円でいただいていきました。私にとってはこんなに価値のある自転車なんかないよ。どんなに不恰好でも。それを、あの2人は「なにそれ、ママチャリじゃん」って言ったのです。あの2人はお金を積んだ高い立派な自転車乗ってたね、確かに。でもモノの価値ってどこにあるかな? 今、子を持つ親になって、その時私が実体験として理解できた価値観を子供達にも経験させてあげられてるかな?って情けなく思います。このブログを始めたのもこういう思いを形に残しておきたかったせい。いつまでも忘れちゃいけないことだし、伝えていかないとなって思います。

ジョジョ考察①「実は哲学書」

ジョジョの奇妙な冒険 作者 荒木飛呂彦 
(一部ネタバレを含みます)

※稚拙な文章で申し訳ありません

 かの有名少年誌、週刊少年ジャンプに長い間掲載され続けている(8部ジョジョリオンはウルトラジャンプ)、ジョジョの奇妙な冒険(作者 荒木飛呂彦)は私の大好きなマンガである。  実家にいた頃、というか子供の時、弟が買ってたし週刊少年ジャンプは定期購読していた。そのころはスラムダンク(作者 井上雄彦)、幽遊白書(作者 冨樫義博)が目的で読んでいたのだが。ある時、ページをめくっていると、自分の目がおかしくなったのか?と思われるシーンが。当時はジョジョでは第3部、主人公は一番有名な空条承太郎。このシーン、わかる人ならわかる、ヌケサクが自分で棺桶開けたのに棺桶の中に自分が入ってるシーン。この奇妙な感じの謎が知りたく読み続けてはまっていってしまった感じだ。(1部2部、3部の途中までを読んだのは大学生になってから)
 このマンガ、よく取り沙汰されるのは、擬音、ジョジョ立ち、絵が苦手な女子が多い、など。ある意味とても有名だ。そしてコアなファンも多い。だがしかし、ただの冒険譚でも、奇妙な漫画でもない。作者の荒木飛呂彦氏の価値観や哲学がとても反映されている。その部その部でテーマがあって、そのテーマに対抗するような形でラスボスが設定されている。この部分が一番わかりやすいのは第5部。
 第5部の終盤、主人公チームの1人アバッキオの同僚が夢の中で言うセリフ(名言で有名)「結果だけを求めていると人は近道をしたがるものだ、、、、、、」「大切なのは真実に向かおうとする意志だと思っている。向かおうとする意志さえあれば、、、いつかはたどり着くだろう?向かっているわけだからな。違うかい?」 学生であっても、社会人であっても求められてるのは今の時代、結果だ(成果主義)。それは私も会社員であるしわかっている。しかし一歩間違うと評価を誤りがちだ。結果だけで評価するとこの先同じ事象が発生した時、対応できると限らないからである。目的のためにしかるべき道のりを進んでいったからこそ実を結ぶことができた結果。しかるべき道を進んだ時そこには足跡が残る。この道標があるからこそ次に進む時迷わず向かうことができ、結果たくさんの実をつけることができるのではないか。過程を蔑ろにして結果が出たとしても、それは後には続かない。その時だけ結果が出ているように見えても実はいくつも先を見据えた時大きく後退して行くであろう未来が見える。 ボスのディアボロの有名なセリフ「『結果』だけだ!この世には『結果』だけが残る」途中の過程を吹っ飛ばし、結果だけが残る能力。しかし、真実に向かって進む主人公たちに追い詰められ、『結果』にたどり着けない、という主人公の覚醒した能力によりボスは倒れ去る。 この他第3部のボス、DIOの名言「過程や方法なぞどうでもいいのだ、、、」であったり、第6部のボス、神父プッチが言う「5年後の未来、なにが起こるのか?人類全員がそれを知っている。、、、すでに体験してここにきた。そしてそれこそ『幸福』である。独りではなく全員が未来を『覚悟』できるからだ『覚悟した者』は『幸福』である!」  この二つの例と合わせて、抗えない「結果」に対して人はどうすべきか?「結果」が変わらないのだから「結果」だけ知っていれば良い、またその「結果」は運命によって決まっているのだから尚更過程などは要らず、訪れるであろう結果を知ることがわかれば人は安心することができる。それを求める事が幸せに生きることに繋がる、、、ということなのだろうが、この抗えない運命によって決まっている「結果」、人は運命に逆らえない、、、この「運命」の部分
 第5部エピローグは「運命の奴隷」「誰が言ったか、、、我々は皆『運命』の奴隷で、変えることのできない運命に頭を垂れ隷属せざるを得ない、、、」主人公チームの何人かは死んでいく運命はもう決まっていることでも、その先に進むことでかえって一層苦しい死が待っていようとも、それでも彼らの取った行動には何か意味があるとし、彼らを「眠れる奴隷」と表現している。運命で決まっている結果が同じであっても、進む過程で未来に何かをもたらすかもしれない。
 今ある自分は全て「運命」で決まっていた結果。この先もたらされる「結果」も決まっているのかもしれないが、であれば尚更自分が後悔しないように前へ進もう。迎える結果が同じであっても進んできた道で他の成果が生まれるように努力しよう。
 私が歩んできた道は私1人ではたどり着けなかった道。失敗ばかりであったが、とても誇らしいのは私に関わってくれた彼らのおかげだと思っている。私にとってはこのマンガは偉大な哲学書なのだ。

(ジョジョ好きな方、勝手な考察謝っておきます)

次回、尊敬すべき団塊の世代「私の両親のこと」

E判定の長女が国立大学に合格するまで

マコさんに恋するお話の中に出てきた、長女の大学受験の話

 この春(記事が書いたのは2021.11当時)無事に長女は大学に合格した。一応第一志望の国立大学、 

弘前大学 農学生命科学部 分子生命科学科 である。

実は高校3年間で模擬テストというテスト全部で国立は全部E判定、滑り止めにと考えていた私立大学もやっとCか大体はD判定。

親としてはどうしてあげたらいいものか、、、、おまけに、だからと言って本人は大学生になる気でいるから困ったもんだ。高校の先生も何とかどこか国公立の大学に合格させたいと、いろいろな大学を提案してきてくれた。

 しかしその中には長女が決して望まない分野の大学や学部が多く、仮に合格したとしても本人が学生生活を続けられるかどうかの問題にぶち当たるであろうと。そもそも合格できるかどうかもわからないのに。

 長女は好きなものがもう決まっていて、勉強する科目も、だから開く教科書も、高校で勉強した内容を私に話してくれる時も、買いたい参考書も全部 「生物」

高校の先生が勧めてくれた大学は工学部など。入学できたとして勉強続けられるわけなかった。

 私が考えることは、

きっと、共通テストを受けてもそれなりに点数が取れるのは生物。

これを最大限生かせる受験方法が取れて、学部も、生物系。できれば植物よりかは水生生物、両生類爬虫類系、昆虫など。

おまけに理系のくせに応用化学が苦手という困った事態。

調べ上げた結果、国立大学で、両爬の研究ができるのは大きいところだと3つ。京都大学、広島大学、弘前大学。上二つは到底無理だ。残る弘前大学だが

 総合型選抜2であれば、面接、志望理由書だけでなく共通テストも加味してくれる。しかも全教科ではなく理科二つ、英語、国語(だったかな)選択の仕方がいくつかあったと思うが、、、しかも理科二つは応用系2つでなくてもよく応用1と基礎2が選択でき、しかも応用と基礎が同科目でも選択できるというではないか。(応用生物+生物基礎、化学基礎というとり方ができるわけです)長女は俗にいうコミュ障なので面接に強いわけではないし、これがベスト。栃木から青森へ行くことになるけど、BREXの試合見に行けなくなるけどそれでもいいのか確認の上、受験にむかった。

第2志望に考えてた神奈川大学も、生物の筆記と、共通テストの強みをドッキングさせた受験の仕方ができるということできっと有利に働くと考えた。

 結果は大当たり。第一志望も第二志望も結果全部合格した(全部で4つ受けた)。

 思うことは親が一番に関与してあげること。

子どもの性格、特性、どんなものが好きか、傾向など全部知ってるのは親だ。

高校の先生や塾の先生はアドバイスはくれる。しかし子供を知ってるのは親だ。

子どもの能力の活かし方を知っていて引き上げられるのはやっぱり親だ。と思う。

ちなみに長男の長女も塾には通わせたことない。

 そして弘前大学は私の出身大学。高校も弘前。笑っちゃうね。