関わってくれたみんなに捧ぐ

 

 先日、私は18年(継続してではないが)勤めた会社を4月いっぱいで退職した。私の年齢はまあまあ再就職には厳しい年齢。おまけに取り立ててこれといったスキルもない。みんなに退職することは相談してなく、急に退職したような形になってしまった。びっくりさせてすまない。

 もともとキャリアに悩んでいた。この会社でやりたいことは私の中ではもうなかった。探せばきっと見つかったに違いないし、3年前から上司に相談を繰り返していたが、ずっと答えが見つからないまま、モチベーションも上がらないまま毎日の惰性で業務をこなす日々だった。

 1年前15年かよっていた店舗から異動することになった。この時長男は高校3年生。大学受験に向かう年だった。もともと上司にはこの1年間だけは異動は避けたいと相談していた。大学受験は息子の将来を決定づける重要なこと。親として大したことはあまりしてこれなかったダメな親だったけれども、それでも高校3年生という年には関われるだけ関わりたいと思っていた。この青年に向かう年齢はとても重要だと思っている。しかしいろいろまああるものだな、うまくいかない。異動せざるを得ない事柄が起こってしまうものだ。春に異動が決まってしまった。

 中途半端な気持ちのまま異動してしまい迷惑をかけてしまった。この点については大変申し訳なく思う。経営規模が3倍の大きい店舗への異動。役割も変わる、運営の仕方も変わる。今まで1人でやってきた業務はより精度を上げて、しかし携わることは3分に1に満たないほど減ってしまった。仕方ないのはわかっている。しかし、私はこの店舗に来て何をやっているんだろう、私なんか必要ないではないかと思う日々だった。迷い迷って、必要ない私がどうこの店舗にフィットさせていけばいいかもわからず、悩みに悩んでるうちに体調を崩してしまった。何度も上司に相談した。出てくる答えは同じ。でも当たり前だ。私だって相談されたら同じことしか答えられない。だって結局は自分で探して見つけて選択して前に進んでいくしかないのだから。

 悩んでいてもやりたいことはあった。この店舗でやれていないこと、またスタッフが気づいていないことを気づかせることが私の役割だ。ただ孤独だった。当たり前に思っていたことが当たり前でないと、時代錯誤であると伝えることの難しさ。しかもこれを伝えられるのはこの店舗では私だけであるし。反発を喰らう。気にしないでやってきたが、気にしないふりは逃げだった。この店舗がこんな感じならばいいじゃないかと諦めてしまった。逃げながらじゃないと毎日仕事に行けなかった。自分の考えてることや、伝えなければならないと思ってることが正しいかどうか、またちょっとでも伝わっているかどうかわからずに苦しかった。

 この春、長男は無事に大学生になった。現実的な第一志望には合格できた。私はといえばこのまま慣れてきたこの店舗で惰性であっても続けて働ければいいのかなって思っていた。のだが、、、

 子供達が2人とも家を離れ、夫婦だけの生活になった。私はもっと自分自身のことを考えるようになった。この惰性でのみ続く毎日でいいのか?子供達は親元を離れて、それでも、自分たちでいろいろ考え、選択し前へ進めるようになっていた。高校生になりたての3年前とは違う。自分の昔を思い出した。受験に失敗しても、その後の人生を考え、どう捉えるか。前へ進むのに楽しみしかなかったはずだ。挫折も苦しみもあったけれどそれでも楽しいと思える人生だった。今の私はどうだろう。何かに向かって楽しめているか。前へ進むことに臆病になっている。私の本意ではないはずだ。だからこそ、ただただ悩みずっと動けず、進むことができなかった。

 写真は4年前、昇格した時に上司からいただいた本。(内容は省略。ぜひ読んで)

私はこの本に出てくるネズミと同じ。ここにいればいつかきっとまたチーズが現れると思っている。待っても待ってもネズミの幸せの象徴のチーズはもう出てこないのに。

情けない。子供になんて言ってきたのか。親である私に説得力がないではないか。たとえ困難でも、納得できるように進んでみようと決断した。このまま立ち止まっていてもチーズは降ってこない。前へ進んでみよう。そして求めるものがすでにチーズではなくなっているのかもしれない。出れるかどうかもわからない迷路の外へ。そこにはチーズではなく果実が待っているかもしれない。進んでみなければ発見もないのだから。

働き方面談から一ヶ月もなく上司に退職することを告げた。

 退職し、スタッフのみんなからもらえた言葉は、私がこの店舗で伝えたいと思っていた、考えを改めたいと思って頑張っていたことに対する感謝の言葉であった。なんだ、ちゃんとみんなはわかってくれてた。帰宅しみんなの感謝の言葉を読み返しながら涙が溢れ出た。1年間頑張ってきて良かった。まだまだ本当は伝えたいことがあったし、やりきれていないが、伝わっているのであればあとはみんなが自分たちの形にして進んでいくだけだ。悩むことがあるかもしれないし、そうそう思い通りにことは運ばない。どの道を進んでも、それが正しいかどうかはわかるはずもない。

 私も前に進むよ。もともと目標がないと、立ちはだかる何かがないと進めないタチだった。人生には幾度となく苦しみが大なり小なりあるけれども、同じ分だけ喜びも楽しさもある。だから人間ってやめられないな。本当に苦しい時は逃げよう。ただ前へ進みながら逃げよう。時には振り返ってもいいが、新しい何かを探す術として振り返ろう。時代は変わる。社会が変わる。考え方も変わる。もうここにはチーズがないように。自分自身も柔軟に変化していこう。10年前に決断したことも、今、そしてこの後の10年で意味のないものに変わってるかもしれないし、もっとより重要なものに変わってることもあるかもしれない。個性を忘れず、視野を広くもって、時代の先を見る。。。

 そして長生きしよう。変化していく世の中を少しでも多く触れるために。

長男の国立大学合格(高校3年間→最終結果まで)

〜E判定の長女が国立大学に合格するまで〜続編

なんとか長男が大学に合格した。もともと第1志望は北里の獣医であったが、こちらは不合格。総合型選抜Ⅱで弘前大学 農学生命科学部 分子生命科学科になんとか合格。こちらに進学することとなった。共通テストの出来が良くなかったので総合型で受験して良かったと言うべきか。

長男は長女と同じ大学、学部、学科に行くこととなった。育ってきた環境というか、親の影響というか、なんともまぁ勉強してみたい内容が同じであるから仕方ない。日常の会話でもそうだが、生命の神秘や生態系、そういう話がよく出るかもだ、夕ご飯の時とかでも。「砂田街道のところの牛さん、今日も同じ方向見て座っていたよ」「方角と関係あるんだっけ?」とか「ナマケモノって変温動物なんだって」「哺乳類であってるよね?死ぬじゃん。大丈夫なの」「あのスピード感で今までよく絶滅しないでこれたよね」とか。。。毎日こういう感じかも。

 私も、働かなくてもいいくらい生活に余裕があれば、カメラ持って森に入りたい。そこに生きてる動植物の写真を撮って記事を書いて多くの人に見てもらうのが夢。

 私の話はどうでも良かった。笑

 ところで長男は長女より成績が良かった。初めて学習という学習を始めた幼稚園児くらいの頃から、学習の自分なりの取り掛かり方も、事象の理由づけ、関連性、法則性などの理解も長女とは違っていた。そうはいっても、だからといってテストで高得点が取れるかといったらそうでもない。いらないミスも多いからである。だから高校も長女と同じになったし、大学も同じ。実際のIQは結構違うと思うが、結果同じ偏差値の大学になった。(高校をそこを選んだのは偏差値だけの問題ではないが。地域特有のもの。『選べない』という理由もある)

 長男の高校生活は模試の結果は高3の夏までは弘前大学はならA〜B判定。長女の一生E判定とは違う笑笑。なので静岡や信州などもB〜悪くてC判定くらいであったのでギリギリまで国立は迷った。茨城大学や宇都宮大学は家から通える範囲だが研究したい内容がいまいちであったし、信州や静岡にも学びたい内容の研究室がなかった。であれば、長男のもう一つ興味があること動物行動学、でもこれもはっきりとここで学べると思える研究室がなく、であれば獣医を狙うのが早い。しかし国立の獣医はとても無理だったので北里を狙って、国立は偏差値は多少下がるが両生類爬虫類の研究室がある弘前大学を、ここは確実にするために総合型選抜Ⅱという受験方法で選択した。

 先に書いた通りの結果に落ち着いたのだが、長女の時とはまるで違う経過を辿って、しかし同じ大学へ。思うが、大学を選ぶとき、確かに偏差値は受験時の重要な決め手のファクターになるが、大事なのは入ってから何を学ぶか。そして結構大学で全然違う。大事なのは学びたい研究内容。それはしっかり調べたほうが良い。高校までと違う点だ。ただ自分の偏差値に合わせただけで大学を選ぶと「思ってたのと違う」ということになってしまう。

 そして、模試や共通テストで取れた点数や偏差値がそのまま自分の賢さ度になるかといえば、私はそうではないと思っている。偏差値は目安にはなるが大事なのはそこではない。長女も出来が悪く、親の私としては心配していたのだが、共通テストでそれでも生物が高得点であったのは実力であったのだと今ならわかる。実際、大学で学んでいる専門分野の成績が他の学生と比べて悪くないからだ(いやむしろいい方だ)。

勝負は大学の外見ではない。そして社会に出てからも、就職先の会社の外見ではない。中身。自分で何を学んで、自分が何をするか。さて、あと一ヶ月二ヶ月先に新生活が待っている。そこで長男は何を見つけてくるだろうか。親のできることはもうあまりないな。研究内容だけでなく、自分なりの哲学も見つけ出してほしいと願う。

そこに向かう姿勢

2022.11.30 vs 群馬 

写真は宇都宮ブレックス比江島慎選手。彼の活躍は凄まじかった。今シーズンの群馬は強い。前半の成績だけでいったら今シーズンの宇都宮なら敵う相手では無いと思っていた。

今シーズンは、というか昨シーズンあたりからBリーグ界隈で選手の出入りが盛んな気がする。チームが刷新されてなかなか混沌としている。面白い。いわゆる、昔からの強豪チームが必ずしも上にいけるシステムではなくなってきてるようだ(しかしそうはいっても底力や最後まで戦い抜く体力は昔から強いチームの方に分があるが)。

どうやら宇都宮ブレックスはスロースターターのようだ。しかしながらもう落とせない試合。1Qの入りは悪くなかったと思う。しかしじわりじわり差が開いてきて、ああこのままいくと千葉戦の時のように30点差で負けるかもしれないと思ってしまうような運びだったと思う。

1Qが終わって、悔しそうな表情のマコさん。3Pでやり返した後の嬉しそうなマコさんや意気込むマコさんなど、前のブログで喜怒哀楽はあった方が良いと書いたが、マコさんはわかりやすい。というかそのくらい勝利が欲しかったに違いない。うまくいかず、不甲斐ない思いと、チームがもっと勝利に飢えていてほしい思いと、自分が1勝に導かねばならぬ責務と、その思いは隠そうと思っても隠せるものではなかった。

だから応援したくなるんだよ。

わたしはスポーツ観戦は好きだ。でも自分ではやってこなかったし、つけられる点数で勝敗が決まる、勝ち負けしかないこの世界は正直知らない世界。わたしは苦手だった。会社内でもライバル意識がつよく、相手を蹴落としてでも評価されようとする人はやっぱり体育会系。やるからには一番を目指さないとダメだと豪語するのも体育会系。わたしは吹奏楽部だった。自分がでしゃばったらいけない世界。全体で作り上げる世界観で自分の奏でる音色を解釈を間違わずに表現する世界。そして表現力は思いが強い方が勝る。わかりやすくいうと、悦に入り込むことは必要。

そう思いは伝わる。

いかに感動を与えるか。わたしは表現の世界が好きだ。独特な世界観を持っている人が好きだ。わたしがマコさんを応援しているのは宇都宮ブレックスを勝利に導くからでも稀に見るエースだからというわけでも、見た目が好きという理由でもない。わたしが応援したくなるような何かを持ってる。強い思いが伝わってくる。そしてこの思いは単純にはいかない。苦悩が多いほど、考え倦んできたその先に溢れる出るものだと思っている。

思いが形になった時、深い感動になる。

実は何も知らないくせに勝手に応援したくなってしまった選手がいる。前回のブログで書いた三河の角野亮伍選手。世代最高のスコアラーはぶつかった壁を乗り越えつつあるようだ。乗り越えた先に、彼に待っているものは何か。楽しみにして、待ちたいと思う。こっそりと応援しながら。

自分の意見を言わないということ〜伝え方と聞き方(番外編)〜

 今日のテーマは、前に上げた内容「伝え方と聞き方(自分の意見を述べるということ)」の番外編。この写真は、自分の高校生時代を思い出して載せた写真(長女の大学受験の時に解説用に、実に30年ぶりに解いた高校数学笑笑。おかしな点はご愛嬌で)。この頃は数学が大好きでした。成績が良かったかどうかは別だが。

 何回か触れているが、高校時代があったから今も生きていける。賢く程よく遊び人でおしゃれな友人たちに囲まれて、しかし今を生きながらも哲学や将来のビジョンも掲げられる素晴らしい仲間たち。大いに語り合った。みんなそれぞれ考えは違うがそれに対してさまざまなまた考えを言えるのだから、それはやはり自分でしっかり哲学を持っている証拠だし、新たな発見がいつもの日常にあるような素晴らしい3年間だった。

今はちょっと物足りない。大いに語りたくとも、意外に周りは面倒らしい笑笑。旦那もそう。私の話は面倒臭いらしい(よく結婚したよね、不思議)。そこに関しては大いに文句もある。私を言い負かすほどの哲学をもと合わせていないからだろうが、言い訳して、口をつぐんで逃げていく。高校の頃の仲間とどうしても比べてしまう。まあちょっと、個性的すぎるメンバーではあったが。この高校に入学してくる生徒も普通ではなかったかもしれない。

最近、というか常に思うが人って自分の意見や考え、思いを伝えるのは難しいと思っているのだろうか。それは烏滸がましいと思うのか。自分なんかが意見を言ったってっていう心理か?それとも単純に恥ずかしい?反対意見を言われるのが、それは間違ったことを指摘されてるように感じるのか?恥ずかしいと思った自分に向き合うのが辛い?それとも否定された時に言い返してしまう自分が許せない。負けず嫌いが出てしまう?討論なんかしたくない。その先に友人関係が壊れる気がして嫌か?

 自分を信頼して欲しいなら、自分を出すべきだ。辛いも悲しいも恥ずかしいも経験しないと、そういう相手と向き合う時、説得力がない。上辺だけの言葉しか言えない相手は話すとすぐにわかってしまう。

 なぜ言わないのかな。人と違う意見を言うことが、嫌われるファクターであると考えているのか?それは違うだろう。

 と、ずっと思っていた。

 ある時、職場で先輩と業務課題について話したことがあった。私は白黒はっきりしているとよく言われる。(最近も言われたが)。でも多いにグレーも存在すると思っているのだが、子供の時からそう思われがちだ。だからなのか、子供の時から面倒な案件を任されることが多かった。100人いれば100の意見がある。全部が罷り通るわけがない。その中でまとめ上げなければならなかったし、リーダーシップを発揮しなければならない。矛盾だらけだし、どう折り合いつけるのか。どうすれば最大の利益になるのか?今も同じような立場にいて、葛藤の日々だ。心が折れるよ。一方で好まれ一方で嫌われ、どう伝えていけばいいのか。導いていけばいいのか。。。

 「みんな〇〇(私の苗字)みたいに強くはないんだよ。だって〇〇は強いでしょ?」

先輩に言われた言葉。私が強く見えるのか?毎日悩み葛藤し、でも最大限、関わるみんなが喜びを得られるようにどれだけ苦しんでいると思っているのか。仮に私が強いとして、だとしても、私が強いから、折れないから、たとえはっきり意見や考えを言って、一部の人間に嫌われたって平気でしょ?ってことなんだろう。私からしたら、卑怯者でしかない。でもきっと本人は気づいていない。なぜなら自分本位でしか物事を捉えたことがないから。ただ自分を守りたかっただけな行為が相手を傷つける行為になると思ってない。でも彼女は周りからとても優しく信頼できると評判の先輩であった。

比江島慎選手 宇都宮ブレックス No.6

 一年位前、マコさんが「嫌われる勇気」みたいな自己啓発本を読んでいると何かで知った。彼のいいところは慢心しないところ。自分の欠点を認め、葛藤の毎日。だからこそ成長し、そして比江島慎という人物は日々加速度的に魅力が増している。私が彼の虜になる理由。きっと、見た目関係なく、根拠のない自信満々くんになったらもう応援しないだろうな。笑

 「嫌われる勇気=信頼されるためのもの」だと思う。前は「意見を言うこと」というテーマで進めたが、今回は「言わないこと」はどういうことなのかというテーマで書いてみた。「言わないでいること」が結果、何ももたらされるものがなく終わるのか、それとも誰かが代わりに「言う」ことで何かしらの功績はあるが言った本人にダメージが残ることになるのか、しかしまた「言わなくてもいいこと」があることも事実。どちらにせよ無責任にならぬよう。自分が考えを述べないことでどういうことが起こりうるのか、角度を変えて考えることも必要なんだ。

自分も常にあらゆる角度から物事を見れるように。

喜怒哀楽

比江島慎選手 

 バスケットボールはまだマシな方と思うが、サッカーなんかだと国際試合はお国によってはラフプレーが目立つよね。会場の観客の煽り方もハンパないし。ラフプレーは良くないんだけれども、日本人はおとなしすぎる民族であることには違いない気がする。

 マコさんは昨シーズンCS優勝した時、感情が顔や行動に出てしまったときのことを「普段はポーカーフェイスなんですけど、感情が出てしまいました」と語っていた。わたしから見ると、とってもわかりやすいんだが、一生懸命顔に出さないように努力しているのだろうとは思う。

必要???

私はまだ何も分かってなかった頃、このブログでも触れてたけど(最初の方のブログ、小中学校、高校の頃の話、高校恋愛編で詳しく書こうと思ったんだが、まだ続編書けてないっす)、あまり感情を出さない様にしていた。そして、顔に出ないということは客観的に物事を見ていることになり、自分は冷静である証拠だと勝手に思っていたため、それが正解だと思っていた節がある。

 どうやら日本の文化なのだろう。冷静沈着、わめかず、大声を出さず、クールに。。。女性も慎ましやかに、男性の3歩後ろを歩き、目立たず、おしとやかに、というのがいい女の条件。日本の文化を否定しているわけではないけど、理想の女性像をこれに当てはめてしまうと、今の世の中、セクハラを取られるでしょうね。脇道に逸れてしまったけど、慎ましくいることが日本の文化であるからわたしもそういう価値観で育ってきてしまったのだろう。わたしはこの後、高校生の時、感情をぶつけることで自分の殻を打ち破ることができた。

 いつもクールな人なんて、ちっとも魅力的じゃない。

 かつての上司が韓国出身であった。彼女は日本が大好きで、日本の会社に就職したかったんだそうだ。彼女は言い訳も失敗も隠さない。誰かのせいにすることもある。でも必ず謝る。言い訳はしても、感情をあらわにして、泣きながら謝ってくる。韓国は泣く文化だと聞いたことがある(違っていたらごめん)。最初はだから、泣いて媚を売っているのだろうと思ったけど、違うとわかった。日本人は泣くことがみっともないと思うところがある。「そんなことで泣くのか?泣くくらいなら最初からちゃんとやれよ。泣いたら許されると思っているのか。。。」言ってしまったり、思ってしまったり、またこの言葉を言ってる人を見たことないかな?いかにもそれらしく装って、泣いてる人は弱い人、こんなセリフを吐く人は強くて冷静な人、そんな図式が出来上がっているね。

わたしは言いたい。泣くくらい悔しい思いをしたことがないのか。泣いても自分を認めてほしいと思ったことはないのか。泣いても取り返しがつかないほど後悔したことがないのか。であれば可哀想な人だ(嬉し涙と人が亡くなった時の悲しみの涙は、これだけは許されてるから別)。感情って隠せるものではないはず。殺せる感情なら、それだけのものしか経験してないってことだと思う。長い人生の中でそんな寂しいことってある?

これと同じで、怒りも、喜びも、なぜか日本人は体全体で表すのが苦手なようだ。だからなのか、そもそも目立つことをよしとしないところがあって、ビジネスにおいても交渉が下手。PRが下手。日本人はとても勤勉だし優秀だと思う。だから世界でもトップクラスの技術、開発もされているのに、それをビジネスに活用するとなると世界に先を越されてしまう。

学生時代、仮想空間の中、各国と仮想ビジネスで競ったことがある。資本金1000万で1年後、3年後、10年後どうなっているか。わたしは手堅く安牌なビジネスをしていた気でいたのだが、初期に資本金の倍も借金してるヨーロッパやアジアのチームに10年後は結果、何倍も利益に差をつけられ大敗。しかも相手は小学生。思うに、思い切った行動を起こす勇気がない。感情が爆発するほどの衝動も同じ。心が耐えられないんでないかな。

 そうはいっても、私たちが学生の頃あたりから最近の風潮は変わりつつある。相変わらず水面化?ではまだ女性が慎ましいのが好まれるように思うけど、就職の採用なんかでは自己PRは重要なファクターだ。他人と違う点やリーダーシップ、考える力や伝え方(交渉術につながる)は重要な決め手になる。そのため目立つことが第一歩だし、だからこそいわゆる陽キャ陰キャという言葉が生まれ、目立つ人がチヤホヤされるからいいんだと、またまた違った目立ち方の解釈が世の中を蔓延っている。どちらにせよ、自分を出すことが苦手なのは間違いない民族なのであろう。

 まだまだ、感情は表に出してはカッコ悪い。でも目立ちたい。偉そうなことを言いたい。感情をあらわにせざるを得ないほどの経験をしたこともないのに?なんでそう思うかって、要するに楽なんだよ、自分の感情を殺す方が。自分の感情に向き合うのって、知らなかった自分を知る事だから怖い。そこに向き合えてない人がまだまだ多いように思う。そうでない人もたくさんいて、わたしはありがたいことに、経験値が豊富で影響力の多い方達に出合う縁に恵まれてきた。何が悪いって、そういう感情を表に出すのがカッコ悪いっていう風土が悪いっていう話。わたしら団塊ジュニアでも半々だと思うな。前からこのブログで書いているけど、色々な価値観や哲学、文化、、、過渡期なんだ。日本経済においても、一番お金を動かしているのはこの世代(人口が一番多いという点でも)。良くも悪くも、影響力が大きい世代なのではないかなと思っている。

 変革時に影響力のある世代。団塊ジュニアが日本経済を変えられる。ミクロな見方をすると、会社の生き死にはこの世代が変われるかにある。第一線で活躍しているのはもっと若い世代だと思うが、人口が多く、今までの変革時は全てこの世代が関わってきたのはリアルに覚えてるだろう(金融ビックバンにしかり)。若い世代がもっと動けるように準備してあげるのはわたしらの仕事かもしれない。

まだ自分の殻にこもってる人がいたら、破ってみない?自分の知らなかった感情に触れることは勇気が必要だけどね。

洋服とわたし

M6H 634色 ロングスリーブTシャツ

わたしは特におしゃれが好きなわけではありません。センスがいいわけでもないです。ファッション雑誌もほとんど読みません。美容院に行ったら真っ先に目を向けるのは「もんみや」のbrexのページ。総合情報系の雑誌の方が好きです。まあ、でもほとんど読みません。なので、若い女性の流行ってて持ってるバッグのブランドもわからないし、そもそもブランドがわからないし、ZARAにも行きません笑笑。

人によっては周りについていくために頑張ってブランドを勉強し、わざわざ買いに行き、覚えたアイテムやワードを使いたがって羅列している人も多いでしょう。

流行っているコスメに関しても同じ、髪型だってそう。ほぼ興味がありません。わざわざこちらが興味ないって言ってるのに、いろいろ教えてくる人にはうんざりします。それでいてチグハグなメイクしてたら説得力ないじゃん。だがしかし、興味あることに関しては食いつきます。韓流大好きな友達がしつこく韓国コスメを持ってくるものだから(お礼のつもりらしい。ブレックスの試合に何回か連れて行ったりしたので。本当はほぼわたしのわがままに付き合ってもらっただけなんだけどね笑笑)、コスパが抜群じゃん。質も高い。パック、浸透力がハンパないって。今更かもしれませんが、国産は、の割に高いもんね。

 わたしは、わたしを振り回してくれる人が好きです。この友達はネガティブでしつこくて人の話は聞かず、自分が一番不幸だと思っているし、興味ないって言ってるのに、しつこく毎回毎回韓国コスメを持ってきました。「一回騙されたと思って使って」って、試供品やら、100こセット買ったから全種類1枚ずつあげるから使ってみてよってね。折れたカタチになったけど今では良かったと思っています。実際、彼女はわたしと違いオシャレが好きで、出かけるのも好きで、メイクとか可愛いもの、かっこいいもの、音楽フェスとか、UKロックとか大好きな人です。だから、そういった点では説得力があったというか、そういうところの信頼はありました。本筋から外れましたが、彼女は全く持って付き合いづらくわがままですが、でも捨てられない笑笑。まあまあ、わたしを振り回す困った友達です。

 わたしのブログを何回か読んでくれている方ならもう知ってるかもしれませんが、わたしも変えられない一本筋の通った哲学を持っています。普段は人に合わせることもあったり、ヘラヘラしてみたりすることもあります。怒られ慣れてるので、上司に怒られても、失敗して部下に笑われてもふにゃふにゃしていても、自分の自分が嫌いではないのです。きっと自信がある。だから何言われても平気なわけですね。ダメなものはダメなんだから間違ったのなら咎められる。それは上だろうが下だろうが関係ありません。

わたしはおしゃれではありません。でも、着る服に迷いはありませんし、自分をダサいと思ったことはありません。髪型もそうです。女性らしく、ワンピースを着て、ロングヘアーの巻き髪が(マコさんは好みなのでしょうが笑)、男性ウケがいいことも知っていますがわたしが特にしたいスタイルではありませんし、わたしの個性ではありません。今までの彼氏の好みに合わせたことはありません。わたしのコンセプトがあるとするなら、「好きなものを好きなように着る」「服や髪型でいかに遊べるか」です。生き方も同じ。いかに自分の人生を生きられるか。結婚するときにこれを条件にして栃木に来ました。実際はそんなに勝手に行くものではないことも知っているし、家族を大事にしていないように思っている方もいらっしゃるでしょうが、わたしの子供たちはこの一風変わった母親を自慢に思っているようです。そもそも結婚自体しなくてもいいと思っていました。わたしの両親は結婚はただの選択肢の一つで、最高の選択肢だと思ってはいません。

もし、おしゃれをしたいと思う人がいて、なんでオシャレになりたいのか考えて、人は可愛くなりたいしカッコよくなりたいし、なんでだろう。好きな人に好きになってほしいから。自分に自信を持ちたいから。視線を集めたいから、自分に目を向けてほしいから。いろいろあると思うけど、まずやることは、自分をしっかり持つこと。自分を知ること。人と比べることなく、個性を大事にできるようになること。揺るぎない自分のある人は目を引くだけの魅力があります。可愛いとかかっこいいとかだけではないんだけども。ある種、さまざまな見え方で目を引くこともあるけど、それは存在感というやつです。何を着てもどんな格好でも、また何を着たって恥ずかしくないし、様になるようになるし、むしろみんなが避けていたアイテムですらおしゃれアイテムになることもあります。

 このブログで、「それは個性」という回で比江島選手の魅力を語ったけれども、やっぱり個性なんです、人の魅力は。人自体の持つ魅力との合わせ技ですね。選ぶアイテムによってはより独特な味を引き出せると思います。

服は自由に選んで楽しんで着ることが一番大事だと思うし、今は選択肢が多い時代です。ただアイテムの活かし方はあると思っています。着方を間違うと、アイテムが台無しにあることがあります。モデルやマネキンが着用しているアイテムをそのまま着ても、またスタイル(この場合は肉体的な面で)が抜群に良くてモデル体型でも、まるでおしゃれにならない人もいます(なんでだろうと思うんです。身近にいるのですが)。何を着せてもしっくりこない。見た目の作りは悪くないはずなのに。

おしゃれに関わらず、そのものの持つ意味やコンセプト、解釈を間違うと価値がとても下がります。洋服だけでなく、モノの持つ意味の解釈だけは間違わないように生きたいですね。

イケメンくん

イケメンのイメージ画像です。宇都宮ブレックス 遠藤祐亮選手 

 私はイケメンに困ったことがない。

 いや自慢でなく。別に今までの彼氏が全員イケメンだったとかそう意味でもなく。ただ単に幼稚園くらいの頃から幼馴染も男の子が多くてモテる子が多かっただけの話。

周りから見ると羨ましいのか?それ。

高校の時、小学校からの同級生と普通に話してたら(同じ高校に同じく浪人して入学して、さらに高2の時同じクラス、席が隣になった)、

「カオリちゃんいいなあ、◯◯くんと友達なの?かっこいいよね、紹介してよ」

いや、別に自分で話しに行けば?って思う。やつ、普通の人だし。顔が整っているだけで。この時ちょっとびっくりした。やつのこと、かっこいいと思ったことなくて、高校で初めて会った人たちにはかっこよく見えるんだね。まあ、性格知らんだろうしね。私はやつのことは小学校の時から知っている。人柄というか、中身知ってる限り特に魅力的でもない(失礼)私には。まあお互い様です。恋愛になるような関係でもなかったし、、、

しかしまあともかく、男友達が多く、なぜか女子にモテる男子が周りに集まってくるところがあった、小中高ともに。私がモテるとかじゃなく、むしろモテないからではないかな。男子は意外に女子女子してる女子が苦手だ。大学の同じ学部で、同じような流行りのバッグ持ってブランド着て、似た髪型した女子がツルんでいたんだけど、7−8人のグループで。私は女子が3−4人、男子が4−5人くらいのと仲が良くて、よく睨まれたっけなぁ。その時の仲間に聞いたらさ、あいつらこえぇって。確かに見た目悪くないし、着飾ってるかもだけど。どれがどれか区別つかないよって言ってたっけな。

 いわゆるモテる女子って、女子力高くて、常に男子の目を意識している(羨ましい)。次、生まれ変わったら女子力高めに生まれたい笑。が、男性を恋愛対象としかみていないから本当の男友達はできない。これ、逆も言える。ということは最初から男女性別差別して見ている証拠だよね。何回かブログで書いてきたことだけど、私、老若男女区別しない。性別だけではなく年齢だけでもなく、見た目だけでもなく、、、(そういう人生もあるから、否定しているわけではないんだけど。。。私のいとこは、女子に嫌われても男子にモテたいと言っていて、男子への媚び方がすごい。それはそれで彼女の人生)

 私の周りに集まる、モテ男たちはさ、特に高校生の時なんかは、本当にモテ男ばかりだった。青森県随一の進学校はブランド力もピカイチで、かっこいい、そしてクレバーで、運動もできて喧嘩も強い。弘前の高校中に有名なやつばかり(いや本当)。証拠に、私予備校時代とか、大学の時、高校の仲良し男子が有名なやつばかりだから、あたしと仲良くしておけば、そいつらとも仲良くできると思われて、私と知り合いになりたがる子多かったし。。。

 そのモテ男たちはさ、自分達のとこに群がる女子はどんな目的かもちゃんとわかっていて、女子にモテようと媚びるやつはいなかったな。だからこそ、私の周りに来たんだと思うよ。モテる、有名人、かっこいい、、、そういううわべでやつらを見なかったから。そもそも面白くないやつ私嫌いだし。これでも評価は誰に対しても公平。人を見る目だけはあるのが自慢。見た目だけじゃなく、彼らは賢く、自分の哲学を持っていて、人を区別せず、だから、自分達を特別視する女子が群がってくるのを良しとしなかった。まあ、実際に見た目も中身も彼らはとても魅力的だったけどね。もてなす力も、恋愛経験も豊富だからある程度の色気もあるし、そして実に個性的で、また個性的な人を好む傾向にあったよ。

 本題に戻るけど、私はイケメンに困ったことがない。だからこそ。

 私の全体のブログのテーマ、「私は人に恵まれている」

 見た目じゃない。また面白さも、笑かすことだけじゃない。イケメンもイケジョも人の魅力って中身から出るものだ。色気もいろんな経験から自然に溢れ出るもの。誰かの言葉を借りていい事を言った風でもなんか薄っぺらいのはその人が本当に考え悩んで出した答えではないからだと思っている。そして大事なのは個性。個性を出せるというのは一周回ってからかもしれないね。

自分を知り、向き合って、でもとても勇気が必要なこと。でも乗り切ればとても魅力的になれる。私、見た目だけいい人嫌いなんだ。モテると勘違いして自分を磨こうとしてない人多くて、話すと面白くない。カッコばかりつけて中身がない。見た目は親から授かったもの。さてそれを生かすも殺すも自分次第なんだな。

 話ちょっとずれるんだけど、ブレックスの選手って個性的すぎるよね。正統派の中身まで合わせてイケメン1位は私の中では遠藤さんです。笑

 シーズンもう少し。楽しみだねーー。

それは個性

比江島慎選手(2022.8.14 国際強化試合 vsイラン ゼビオアリーナ仙台)

 マコさんが大好き。かっこいい。かわいい。バスケしている時は本当に素敵で尊敬している。そして、でも面白いのだ、私にとっては。

 本人はいたって、普通。にしてるつもり、きっと。面白いこと言ってる訳でもなく、トークも得意だと思ってないだろうし、できたらしゃべる仕事はしたくないとまで言ってるし、ジョークも下手。言葉で自分の周りに人を呼ぶタイプでもなく、コミュ障なのではと心配になる程。そして自分自身も人見知りで人と打ち解けるのが苦手だと思っているだろう。

マコさんうんぬんとか関係なく、このタイプの人って、学生時代なら、今風で言うといわゆる陰キャと呼ばれるタイプの人。言葉の雰囲気に騙されちゃいけない。世の中の評価って、陽キャがいいんだって風潮あるよね。人見知りな人や、口数が少ない人を「おとなしい」「暗い」「何考えているかわからない」という言葉で私には責めてるように思う。でもね、明るく振る舞ってる人の中にも、そういう人ほど「何考えているかわからない」と私は思っている。元からよく話す人、ではなく、そういう風に振る舞ってる人の中には、自分を隠してまで陽キャでいないとって思ってしまってる人も多いのではないかな。だって陰キャって思われたくないとか、そもそもその言葉にはバカにする要素を持った意味があるから。自分は面白くない人間だって評価されたくないんだよ。だから、本当の自分は隠す。面白く見せる。本当の自分が見透かされた時、逆に相手をバカにした言葉で自分の本当をもっと隠す。だから、私には、そういう人って腹の底が見えなくて苦手な部類、「何を考えてるかわからない」。本当は実はこっちはわかっている。だから見ていて辛くなる。

そして、「面白い」ってどういうこと???ジョークがうまいってこと?芸人さんみたいなネタが豊富ってことか??ゲラゲラ他人を笑わせるのが得意な人のことをいうの???

もちろんそれも是。でも違った意味もあるでしょ?私は、マコさんが面白いのだ。この人、自分で気づいてないけど人を周りに集める魅力がある。そして自分の間(ま)に巻き込めるタイプの人だ。笑わせるとか口がうまいとかではない面白要素。マコさんはきっと、自分は面白くない人間だと思っているだろうけど。私にはとても興味深い。そしてそれが彼の最大の強み(だと思っている)。だからこそ、もしかすると彼の持つ本当の魅力が理解できない人にとっては、なぜ、彼が構ってもらえて、人を呼ぶのかナゾなのかも。

私の子供たちは幼い頃から、なかなか友達が増えず、いわゆる陰キャの部類だ。親としては心配していた時もあったが、私は人のことを言えない子供時代を過ごしてきたので、本当の意味では心配していなかったのだが。だって、高校生の時、大人の一歩手前くらいの歳になって、個性的だらけの高校に入学。そこではスーパースターの君とオタクと呼ばれる生物部のやつが、普通にゲームの話をし、一緒にご飯を食べに行ったりしていて、陽キャ陰キャなどない世界だったのだから。私は知っていたのだ。

 そして私の子供たちが高校生になった時、先生に言われた言葉、

「間が独特なんだよなぁ」。。。

 親として思ったことは、「あ、やっぱり?」だって私の子だものなぁ。よく似ている。でもね、否定的には思わないで。隠さず、自分を出せてる証拠だし、周りの価値観に合わせていかなくても大丈夫な強さがあるってことだ。自分の個性を否定してないところが魅力で、それに惹かれて集まってくる人たちも必ずいるのだから。

 個性を発揮できるような「日本」にもっとなっていけますように。

優しい人②

2022.6.5 宇都宮ブレックス優勝パレードより 比江島慎選手

毎日を平常心で過ごすことって意外にしんどい。人間って神様じゃないんだよなぁ。いろんな人がいてだからこそコミュニケーションを取ることが必要だし、前にも書いたかもだけど、結構自分なりに努力してるつもりだった。。。

まあでも、だからといってそうはいっても人間関係、上手くいかない時は上手くいかないし、みんながみんなとウマが合うわけがない。わかっていて、どう付き合っていくか。。。私なりに上手にやってるつもりだったし、元々万人に好かれようとしていないというか、理解できない人には理解してもらおうとも思ってなかったんだけど、職場と立場ではそういうわけにもいかなかった。

自分らしく生きるって難しい。自分らしさを出して、みんなを導くのって難しい。

マコさんの写真を見てると、今は涙が出てきます。何年経っても大人になれないなぁ、私は。心の底から優しい人になれたなら。体の底から優しさが滲み出るような、あなたみたいになれたなら。

前の店舗での自分の信じてやってきた働き方を否定された時、その頃を知らない上司にただ否定された春の頃は知らないふりもできたんだけど、前の職場の上司がそれを今の上司に報告したという話を聞いた時、この1年間私が信じて働きかけてきたことってなんだったのだろうと思ってしまった。

でもね、どういう状況だったのか想像がつくんだよね。前の上司はとても心が弱い人です。きっと今の私の上司に私のことを聞かれた時、言い訳に使ってしまったんだと思う。だって今の私の上司は会社内でもとてもグレードの高い人だから。昨年1年間一緒に働いてきたんだもの彼のことはよくわかってるつもりだ。でも、上司が部下を言い訳にするっていうのは、、、って思ってしまった時、自分自身に情けなくなりました。

「そんなのわかってるじゃん。ずーっとそうやってきたじゃん。私は容量悪い人生だったじゃん。わかってくれる人がいてくれたらそれでいいって思ってたじゃん。変人で、私のような人って2割しかいないって前の前の上司から気にするなって言ってもらえたじゃん。今更でしょ。」

わかってるつもりで、達観してるつもりでも、まだまだ、年のわりに子供で心の小さい1人のただの人間だよ。

前の上司や今の上司を否定したい気持ちになってしまった時、自分を殺したくなってしまいました。情けなくて、助けてもらった今までの人たちに申し訳なくて。

私の最近の一連の出来事で、なかなかこの会社にはいづらくなりそうです。でももしかしたら、これから起こる出来事も反省の意味と成長の意味も含めやっぱり新しい出会いがあるかもしれないし、来シーズンが始まると同時に変化があるかもしれません。

人間が神になれることはないんだよね。煩悩を抱えながら死ぬまで自分と戦うしかない。

背中合わせ

ただのイメージ画像(宇都宮ブレックス 比江島慎選手)

最近、知人の昇格試験があった。合格したので、私の友人と同じグレードになった。私の友人は昇給できなかったため、合格した方と同じグレードになったというわけだ。

私の友人は仕事ができる人だ。私は彼らを育成する立場にあったので2人ともどんなふうに業務に携わっていたかよく知っている。今回評価されたのは片方だけであった。

しかし、実は先に昇格していた私の友人の方(今回昇給できなかった方)のアシストがあったから、彼は目標を達成でき評価され昇格試験に臨めたわけだ。アシストしていた方はやはり部下を育成して行くのが役割の一つであったので、部下が昇格試験に臨めた時点でしっかり役割を果たしたのではないかと思うのであるが、彼は評価されず、部下と同じグレードになった。

彼が昇給できなかったのは他にも要因があるからかもしれないし、また昇給に見合うほどの成果を残せていなかったと思われたのかもしれないが、私が最終決断を下す上司に掛け合ったところ、「彼は目立たない」という回答であった。「目立たないということは、他のスタッフに対しても関与が足りてないということ。目を引くぐらいの行動力で巻き込んでいかないと評価に値しない」だそうだ。

実際、昇格試験に合格した方は、良くも悪くも目立つタイプであり、だが仕事の臨む態度には問題点も多い。ただ、やると決めたらどんな手を使ってでもやり抜く姿勢がある。目立ってなんぼの世界だったらうわべだけ頑張れば良い。実際は誰かにやらせておいて自分の評価にしてしまえばいいのだ。こういう働き方のスタッフがとても多いのが事実。

(私は職業を理由があって明かせません。知ってる方も秘密でお願いします)

 言ってることは間違ってない気もするし、この会社のいいところは完全実力主義。年功序列も男女の区別もない(実際はある。評価する方による)。だがやはり悪い面もある。目立つ目立たないというよりは、いろいろな立場と働き方と、個性があって、だからこそ成り立っていけると思っている。前の「伝え方と聞き方」でも述べたが、さまざまな意見の中から建設的な意見が生まれるし、さまざまな意見とは個性から生まれるものでしょ?個性を重視せず、会社が望む価値観や働き方だけすればいいのなら、そういうロボットを作れば良い。なら人間関係でもつれることもないであろう?だが、個性を大事にすると会社方針で謳っているのだ。矛盾。

なぜ個性重視を疑っているのかというと、私自身、上司に相談したことがあって、その時に一瞬思った疑念。そしてもう一つ上の上司にも相談したことがあるのだが、なんと出てきた答えも導き方も2人とも同じであった。2人で擦り合わせていたのか、部下から相談された時のマニュアルが用意されているのかはわからない。私は2度と上司には相談しないと決めた、その時に。

 愚痴っぽくなったが、言いたいことはそこではなかった。笑

喜ぶものがいればそこには涙を流すものもいる。自分でやり遂げたと思うものでもかげで支えてくれてた人がいる。恋愛だって、両思いだって、人から奪ってないよって言ったって、片想いしていた人がいたかもしれない。逆から考えると、なんで自分はこんなに不幸なんだろうと考えた時、他の人より多くのことを経験できたと思えば良い。とある友人の1人が2回目の離婚になるかもって相談してきた時、「2回も結婚できたじゃない、いいなぁ」と私は言ってあげた。3回目の結婚できるかもでしょ?

そういうふうに思えるまで大変なんだが。パワー必要だけどもね。

 この世の中、万物において表と裏、陰と陽。常に背中合わせでそこにあるもの。でも裏とか陰とか思いたくはない。どちらかが良くてどちらかが悪いと思うのは嫌だ。目立ってなんぼって考え方嫌だね。だから子供たちは陽キャになりたがって陰キャをバカにする。大人になって思うけど、実は素敵な大人になってるのって、いわゆる陰キャと言われてたヤツが多い。(わざと目立とうとしてうるさいやつが昔からとても嫌いだ。陰キャといわれるやつって、オタクが多い。要するに自分の好きな道を貫けるやつなんだと思うな)

日本の教育方針か学校制度かわからないが没個性主義なんだよね。個性大事っていうけど。

 少なくとも私は「右へ倣え」の考えに従う方より、「普通って何?」って言える方が好きだ。そして常に感謝しよう。忘れないで心に留めておこう。今の自分があることに。自分で気づかぬうちに誰かに導かれてここにあるのだから。