マコさんへ送るラブレター②

 比江島慎様

 私は今マコさんが好き。大好き。人を好きになるのなんか何年ぶりだろう。

 私は常に好きな人はいるがそれはまた違った意味で。そもそも人間が好きだ。世の中はいろんな出会いに溢れている。でもこんなに人間が多くても、同じ人は1人もいないし、生き方や環境、価値観全部違う。だからこそコミュニティでは摩擦が必ずあって、しかしコミュニティを形成しないということもあるわけがなく、人間ならば必ずコミュニティを形成して必ずどこかに属さないと生きられない生き物であるという。太古の昔からの永遠のテーマ。だからこそ人間と言え、そうでなければロボットと同じだ。約80億人いる人類のなかで一生でどのくらいの人間と関わることができるのか。考えるとキリがないけど、出会いは大事にしたい。限りがあるのだから。

「人とすれ違うだけでも出会いだと、俺は思う」

(フルアヘッド!ココ・秋田書店・作者 米原秀幸) これはジョンバーツがココに語るシーン。ある時キャプテンジョンバーツの海賊船に乗り込んだことから始まる冒険ロマン。少年ココがお宝目指して、いわくありげな仲間たちやバーツの影響を受けて成長する物語。ホットパンツのおすすめマンガ。宇都宮近辺の方、言ってくれれば貸出致します笑笑

好きな漫画の大好きな登場人物が言うセリフだが、私も共感でき、だからこそこの漫画が好きなんだろうな。このキャプテンジョンバーツ、好きな女性のために、自分を裏切って他の男の子供を産んだ、それでも好きな女性をどんなことがあっても守り抜く。たとえ報われなくても。しかし切ないわけではなく前向きに展開していく。そして、他のクルーのみんなも限りなく優しい。優しさとは強さとは何かも考えさせられるマンガになっている。ぜひぜひ。

 というわけで、出会いは大事だと思っているという話。マコさんに抱くこの恋心も大事に思っている。

そんな歳で、よく恥ずかしげも無くこんなブログ書けるよなって思われる方もいらっしゃるかもしれないが、人間の一生は短い。出会えるチャンスもましてや気持ちを伝えられるチャンスも限られている。何回かこのブログで書いているが気持ちは伝えたほうがいい。後で絶対後悔するから。届いても届かなくても、本当の気持ちなんか届かない時の方が多いけど努力はしよう。

「人生はいつ終わるかわからない」

「好き」の感情はいろいろある。家族に向ける愛情。友人に向ける愛情。恋心。今まで付き合ってきた彼たちに向ける感情も恋心ではあるがそれぞれ違った恋心だった。マコさんに向いてる応援する気持ち、原動力は紛れもなく恋心から。友人・知人ではないから、彼の本当は知らないからあくまで憧れであるが、それでも恋心。アリーナに行って、マコさんを見て、バスケ姿見て、写真を振り返って、毎日ときめいている。まるで中学生に戻ったかのように。バカバカしいなって思うが、自分の心をコントロールできないのだから「恋」ってすごい。

こんな歳なのに、マコさんは私を少女に戻してしまう、、、

 どれだけの感謝がマコさんに対しあるのか。数えきれないくらい、マコさんには助けられている。辛い時、主に辛いのは仕事に関してであるし、職場でのストレスはハンパないが、それでもまだ仕事を続けていられるのはマコさんのおかげだ。冒頭で書いた通り人間の一生は短く、その短い時間の中で仕事で負の感情に蝕まれることは実にくだらないし勿体無い。しかし働かなければ生活や趣味に使える資金がなくなるのだからそこは仕方ないとして、ただ今は働き方の考え方が昔とは違うし、そこに対しては私の所属する会社は理解し改善することを急務としているから退職しないで済んでいる。だがモチベーションは資金獲得のためだけなのだから仕事は辛いしかない。プラスでうまくいかないことがあるとやっぱり泣きたくなるし、性格悪い自分がつい表に出てしまうこともある。そんな時、マコさんの写真を眺めると自然に顔が綻ぶ自分に気づいた。心が穏やかになる自分に気づいた。推しの力ってすごいんだな。

マコさんの写真を撮って、バスケをしているマコさんの髪の毛がふわってなっている瞬間が好きだ。やっぱり私は短髪より今の長さが好きだ。今のマコさんだから好きになった。人と人との出会いは奇跡だと思う。バスケを知ってるものなら知らない人はいない比江島慎選手を、学生の頃からよっぽど有名だったらしいけど、まるで知らなかった。最初は半ば強引に見せられた動画が始まり。ていうか、違った。マコさんがブレックスに来たことから始まる私の片思い物語。初めて見せられた動画の頃から比べると本当に魅力的になった。この2−3年の間で洪水のように攻めてくるマコさんの色気。追いかけるほど好きになったのはオンラインサロンの影響も大きい。私はわかっている。これは縁。もう私の人生に比江島慎を好きになる運命みたいなものが組み入れられていたのではないかと。あの出来事もその出来事ももう経験する出来事と決められていたのに違いない。

「縁がある」

 私が好きになるタイプに一貫性はない。一個あげるならば「匂い」。まあ一種のフェロモンみたいなもの。と「色気」。見た目がカッコよくても色気がない人に魅力は感じない。きっと私がマコさんを好きなうちはマコさんが色気を降り撒いている時。私がマコさんを追いかけなくなった時はマコさんの色気が欠けてきた時。もしくは色気を感じられないくらい遠くに行ってしまった時。今は考えたくもないが、いつか来るのだろう。でもその時は他の誰かに恋をしているかもしれない。

今は全力でマコさんが好きだ。大好き。ほんのちょっとのタイミングであなたは私の心を鷲掴みにした。私にとって2度目の恋の相手はマコさん。きっと最後の恋。あなたは私にちょっぴり切なくて最高に楽しい感情をくれた。

「ありがとう」

感謝で尽きることのない。ありがとう。

瞳で感じて

ただのイメージ画像です。さて誰の目でしょうか?笑

 長男の大学入試試験が始まり、いよいよこの先が見えてきた今日この頃です。長男の第2希望が(第一希望は長男にしてみたらだいぶ難関で私立。共通テストで願書を出そうと考えている最中。)長女と同じ国立大学、同じ学部学科、つまり、私の卒業した大学な訳でして、先日弘前市に行ってきたばかりです。

弘前市は私の若かりし思い出の場所。今でもあの時のことが思い出されます。思い出したいわけではないんですけどね。めちゃめちゃ好きな人に出会う高2以前の恋とも言えない思い出。今回はこの思い出に付き合ってください。

 私は当時、小さい町に住んでいて、中浪時代からJRで弘前市に通っていました。同じ中学の友達たちは制服。私は浪人生なので私服。それでも楽しかった電車通学でした。その電車は青森市から弘前市を通る奥羽本線で青森県では主要な路線です。通勤通学の人がたくさん利用する路線でした。当時、この電車で青森市から弘前市の男子校に通う男子生徒の集団がありまして(5−6人)、とてもカッコよく、この電車を利用するいろいろな女子生徒の憧れの集団でした。私の友達もそのうちの何人か。最初は友だちの話に仕方なく付き合う感じでしたが、そのうち私にもいいなって思う相手ができてしまったのです。この中でそれぞれ、アイドルグループみたいに、誰派、誰派、誰派なんて言いながらギャーギャーしてた訳ですね。まあ良くあるやつです。私はその集団でも2年生のD君が好きでした。メインは3年の2人。この2人に集まってきてたイケメン集団で学年が結構違っていたんです。このD君、1学年下なのですが3年のメイン2人と同等に扱われていて、そして一種独特なオーラを纏っていて、いわゆるメインの3年2人のモテ方と違っていました。人気があったのはメイン2人。D君はそれほどモテていたかというとそうでもなかったですかね。男子には人気があったようで、むしろ3年にも1年にも慕われていたようでした。

騒いでるうちに、彼らもだんだん気づいてきます。思えば、今思うとラッキーだったのかも。みんなの憧れの集団が私や友達に気付き始めてくれました。騒いでる女子全員が気づいてもらえてるわけじゃない中で。当時は考えてなかったな。挨拶してもらえるようになって、公然の追っかけになれたことが嬉しくて思いも及ばなかったけど。思い起こすと、私は私服だったからなのかも。高校生に混じって私服の女子がいたから目立っていたのかもしれないな。表立って追っかけてたのは友達の方。3年の一郎君の追っかけでした。この一郎君が一番人気の彼。私はそのころは友達に付き合ってます的な態度をとっていたはずです。ですがD君を自分でも気づかないうちに目で追っていたのでしょうね。D君が視線を飛ばしてくれるようになりました。堂々とD君ファンだと公言していたわけではないので、その当時は心の中でこっそり目があったこと、こっちを見てくれていた事にドキドキしながら電車に乗るのを楽しみにしていました。

 そのうち、2人で目で会話するようになりました。

(あいつらも一郎の追っかけだな)

 のような空気であったので、私も、合わせてキャーキャー言ってましたが、D君のファンで、またD君も私が自分のファンなんだとわかっていました。

 D君は私より先に電車を降りるので、(じゃあ、また明日)(うん、明日ね)

 彼は応援団だったので、高校総体の時とかも(がんばってね)(👍)

 とか、あくまで想像だけど笑。わたしたちにしかわからない、友達たちにも話していない秘密の目でする会話。こういう秘密ってちょっと嬉しいですよね。当時彼は程よく遊び人で特定の彼女を作らない主義だったらしいです。彼女いなくてよかったw。

 私が高校生になる頃、一郎君は卒業して友達が追っかけをやめて自分の高校に彼氏ができた頃、D君は高校3年生。そうなってきた時に改めて私とD君は自然に挨拶し、電話番号を交換して直接話せるようになりました。相変わらず、ただの挨拶するだけの中。予定がない時に電話をくれて話してくれるだけだったし、私もあえて告白もしなかったし、そもそも憧れだけど好きかどうかもわからない状態だったし。こっちから電話してもどこにいるかわからずじまい。「いつも友達とどっか行ってていつ帰ってくるかわからないよ」ってお母さん言ってたっけ。(あの頃、携帯電話は高校生が持てるものではなかったやつです。よくコントでやるようなでっかいやつ)

彼は中浪経験者でした。なので、私のことはよく見ていたようです。当時3年のメイン2人と同等な感じがしたわけは彼が一郎君たちと歳が一緒だから。

 D君が就職決まった秋、彼は東京に行くと教えてくれました。その後、卒業間近になって一度だけ彼の部屋に遊びに行きました。特に何がってわけじゃないけれど、今思うととても甘美だけど穏やかな空間だったと思います。

 卒業式の日、彼は私に第1ボタンと(彼の制服はブレザー)、そしてネクタイを首に巻いてくれました。

「大事にしろよ。タバコの焦げ跡あるけど」

東京に旅立つ日、アパートの住所と電話番号もらって遊びにこいよって言ってくれて嬉しかったな。社交辞令とわかっているのであれから連絡は取ってないけど。だからこそよかった。それでも十分な私の思い出。出会った頃、結論、後になって直接会話はするようにはなるんだけど、その時自然に会話ができたのは、あの頃、目と目で会話してたから。もう私の気持ちがバレていたから。目で感じて、2人にしかわからない会話って意外にエロティックだなって思います。

実は見た目、マコさんに似てるの。目が一重で、頬骨が高くて、色白で。髪の毛が柔らかく風になびく感じ。私、マコさん、見た目タイプじゃないけど、そう思っていたけど本当はタイプなのかもしれない笑笑。

かわいくなりたい

タイトルとあんまり関係ないんだけど、キャップが似合わない上に、前髪入れてしまってそこがとてもかわいい比江島慎選手の写真を上げておきます。(昨シーズン、優勝時のもの)

欲望は尽きない。

お金が欲しい。エステに行きたい。カメラの技術が欲しい。いいカメラが欲しい。いいレンズが欲しい。一生に一度でいいから外車に乗りたい。できたらSUVに乗りたい。痩せたい。あと20年遅く生まれたかった。輸入住宅を建てたかった。ログハウスの別荘が欲しい。動物病院で働きたい。理系に行けばよかった。校舎の踊り場で告白されたかった。モテたい。キレイなロングヘアに憧れる。目が大きく生まれたかった。賢く生まれたかった。実力を発揮できるメンタルが欲しい。自信がつくだけの努力をすればよかった。あの時告白すればよかった。好きになって欲しかった。私を一番にして欲しかった。色白に生まれたかった。謙虚で女性らしい性格になれればよかった。誰からも愛されるキャラになりたかった。足が速くなりたかった。球技が得意になりたかった。体育の成績で5をとりたかった。丈夫な体で生まれたかった。スタイルが良くなりたい。巨乳になりたい。色っぽくなりたい。ほんのりピンクで可愛らしい唇が欲しい。筋の通ったスッキリした鼻の形がよかった。女づめになりたい。美しい指先の方が羨ましい。

あの人の彼女になりたかった。

全部私にはなかったもの。今でも手に入らないもの。でもそれらがあったら、今の私はないのです。きっとこれからも手に入れることなく死んでいくのでしょうが、欲望がある限り、前へ進もうとして、神に少しでも抗おうと努力するのでしょう。毎日葛藤しながらより良い答えを見つけようとするのでしょう。

ないものを追い続け、後悔を重ね、傷つき、後ろを振り返ってはまた一歩づつ前へ進もうとする。自分と向き合って、それでも生きていくしかないのです。

一生辿り着かない迷路を死ぬまで進んで行かなくてはならない。迷って迷って考え抜いて最良の茨の道を進む。それが等しく人間に与えられた運命です。みんな同じだ。あなたも私も。

だからこそ生きていく価値がある。

森羅万象(この世界)

宇都宮タワーから見た景色

 昨夜、息子と何気にした会話にて。ブログのネタになるなと思って。息子は今高校3年生。大学受験を控えて勉強中。長女と一緒でやっぱり理系で生物系へ。もうちょっと頭がよければ本当は獣医になりたい。無理そうなので、幹細胞系の研究へ。やはり長女と同じ大学の農学生命科学部の両生類学研究室が希望。ということもあり、なんとなく昆虫やらカエルやらの話が多いのは事実。

私「そういえばさ、昆虫って神経系ってどうなってるんだっけ???」

長男「虫のことって、そういえばあんまり考えたことなかったな。痛みって感じるの??」

私「トンボって羽むしられても痛くないのかね?なんか飛べねーなーって考えてるのかね」

長男「そもそも考えねーだろ。そういえば犬とか猫って考えるっけ」

私「高等な脊椎動物なら学習能力あるけどさ、あくまで学習でしょ?考えてねーよな」

長男「考えるって何??」

私「そうなってくると哲学の話だ。この前喋ったけど人間とロボットの違い。自己とは何かにつながるな」

長男「この話、無限にできない??」

私「こうなってくると理系文系関係ないね。さすが私の先生、理系文系ない院の担当者」

事実、長女が弘前大学に入学したときに、自分らの先生に挨拶に行ったのだが、彼は現在「地域共創科学研究科(修士課程)」の先生。この科は文系・理系の院生が共に新たな価値を創り出すというテーマらしい。文理別に考えず大事なのは「共に」の部分。

 今あることが今までも同じと思ってはもったいないね。時代は変わるし、考え方も変わるし、私が学んだ経営学の考え方も会社員になっても応用はできてるけど、学問から現実味を帯びるのに10年はかかる。会社も変わった。働き方改革って言葉も流行ってるけど、働き方も生き方も変わってくる。文理別に考えるのはいろんなな可能性を狭めることになる。

 当たり前は当たり前じゃない。この世界にある全てのものが。

自分の意見を言わないということ〜伝え方と聞き方(番外編)〜

 今日のテーマは、前に上げた内容「伝え方と聞き方(自分の意見を述べるということ)」の番外編。この写真は、自分の高校生時代を思い出して載せた写真(長女の大学受験の時に解説用に、実に30年ぶりに解いた高校数学笑笑。おかしな点はご愛嬌で)。この頃は数学が大好きでした。成績が良かったかどうかは別だが。

 何回か触れているが、高校時代があったから今も生きていける。賢く程よく遊び人でおしゃれな友人たちに囲まれて、しかし今を生きながらも哲学や将来のビジョンも掲げられる素晴らしい仲間たち。大いに語り合った。みんなそれぞれ考えは違うがそれに対してさまざまなまた考えを言えるのだから、それはやはり自分でしっかり哲学を持っている証拠だし、新たな発見がいつもの日常にあるような素晴らしい3年間だった。

今はちょっと物足りない。大いに語りたくとも、意外に周りは面倒らしい笑笑。旦那もそう。私の話は面倒臭いらしい(よく結婚したよね、不思議)。そこに関しては大いに文句もある。私を言い負かすほどの哲学をもと合わせていないからだろうが、言い訳して、口をつぐんで逃げていく。高校の頃の仲間とどうしても比べてしまう。まあちょっと、個性的すぎるメンバーではあったが。この高校に入学してくる生徒も普通ではなかったかもしれない。

最近、というか常に思うが人って自分の意見や考え、思いを伝えるのは難しいと思っているのだろうか。それは烏滸がましいと思うのか。自分なんかが意見を言ったってっていう心理か?それとも単純に恥ずかしい?反対意見を言われるのが、それは間違ったことを指摘されてるように感じるのか?恥ずかしいと思った自分に向き合うのが辛い?それとも否定された時に言い返してしまう自分が許せない。負けず嫌いが出てしまう?討論なんかしたくない。その先に友人関係が壊れる気がして嫌か?

 自分を信頼して欲しいなら、自分を出すべきだ。辛いも悲しいも恥ずかしいも経験しないと、そういう相手と向き合う時、説得力がない。上辺だけの言葉しか言えない相手は話すとすぐにわかってしまう。

 なぜ言わないのかな。人と違う意見を言うことが、嫌われるファクターであると考えているのか?それは違うだろう。

 と、ずっと思っていた。

 ある時、職場で先輩と業務課題について話したことがあった。私は白黒はっきりしているとよく言われる。(最近も言われたが)。でも多いにグレーも存在すると思っているのだが、子供の時からそう思われがちだ。だからなのか、子供の時から面倒な案件を任されることが多かった。100人いれば100の意見がある。全部が罷り通るわけがない。その中でまとめ上げなければならなかったし、リーダーシップを発揮しなければならない。矛盾だらけだし、どう折り合いつけるのか。どうすれば最大の利益になるのか?今も同じような立場にいて、葛藤の日々だ。心が折れるよ。一方で好まれ一方で嫌われ、どう伝えていけばいいのか。導いていけばいいのか。。。

 「みんな〇〇(私の苗字)みたいに強くはないんだよ。だって〇〇は強いでしょ?」

先輩に言われた言葉。私が強く見えるのか?毎日悩み葛藤し、でも最大限、関わるみんなが喜びを得られるようにどれだけ苦しんでいると思っているのか。仮に私が強いとして、だとしても、私が強いから、折れないから、たとえはっきり意見や考えを言って、一部の人間に嫌われたって平気でしょ?ってことなんだろう。私からしたら、卑怯者でしかない。でもきっと本人は気づいていない。なぜなら自分本位でしか物事を捉えたことがないから。ただ自分を守りたかっただけな行為が相手を傷つける行為になると思ってない。でも彼女は周りからとても優しく信頼できると評判の先輩であった。

比江島慎選手 宇都宮ブレックス No.6

 一年位前、マコさんが「嫌われる勇気」みたいな自己啓発本を読んでいると何かで知った。彼のいいところは慢心しないところ。自分の欠点を認め、葛藤の毎日。だからこそ成長し、そして比江島慎という人物は日々加速度的に魅力が増している。私が彼の虜になる理由。きっと、見た目関係なく、根拠のない自信満々くんになったらもう応援しないだろうな。笑

 「嫌われる勇気=信頼されるためのもの」だと思う。前は「意見を言うこと」というテーマで進めたが、今回は「言わないこと」はどういうことなのかというテーマで書いてみた。「言わないでいること」が結果、何ももたらされるものがなく終わるのか、それとも誰かが代わりに「言う」ことで何かしらの功績はあるが言った本人にダメージが残ることになるのか、しかしまた「言わなくてもいいこと」があることも事実。どちらにせよ無責任にならぬよう。自分が考えを述べないことでどういうことが起こりうるのか、角度を変えて考えることも必要なんだ。

自分も常にあらゆる角度から物事を見れるように。

切れ長くん

わたしは切長の目が好きです。わたしの家族がどちらかというとくどい顔家系なので女の子も男の子もシュッとした顔立ちが好みです。憧れる。

ピンぼけ写真もあるけど、直近のプレシーズンからチョイスしてみました。そして今シーズンは遠藤さんファンが爆発的に増えるとみた。その辺りの動向に着目ですね。

・遠藤祐亮選手(宇都宮ブレックス所属 No.9)鹿沼市TKCいちごアリーナ、魚津市ありそアリーナ

喜怒哀楽

比江島慎選手 

 バスケットボールはまだマシな方と思うが、サッカーなんかだと国際試合はお国によってはラフプレーが目立つよね。会場の観客の煽り方もハンパないし。ラフプレーは良くないんだけれども、日本人はおとなしすぎる民族であることには違いない気がする。

 マコさんは昨シーズンCS優勝した時、感情が顔や行動に出てしまったときのことを「普段はポーカーフェイスなんですけど、感情が出てしまいました」と語っていた。わたしから見ると、とってもわかりやすいんだが、一生懸命顔に出さないように努力しているのだろうとは思う。

必要???

私はまだ何も分かってなかった頃、このブログでも触れてたけど(最初の方のブログ、小中学校、高校の頃の話、高校恋愛編で詳しく書こうと思ったんだが、まだ続編書けてないっす)、あまり感情を出さない様にしていた。そして、顔に出ないということは客観的に物事を見ていることになり、自分は冷静である証拠だと勝手に思っていたため、それが正解だと思っていた節がある。

 どうやら日本の文化なのだろう。冷静沈着、わめかず、大声を出さず、クールに。。。女性も慎ましやかに、男性の3歩後ろを歩き、目立たず、おしとやかに、というのがいい女の条件。日本の文化を否定しているわけではないけど、理想の女性像をこれに当てはめてしまうと、今の世の中、セクハラを取られるでしょうね。脇道に逸れてしまったけど、慎ましくいることが日本の文化であるからわたしもそういう価値観で育ってきてしまったのだろう。わたしはこの後、高校生の時、感情をぶつけることで自分の殻を打ち破ることができた。

 いつもクールな人なんて、ちっとも魅力的じゃない。

 かつての上司が韓国出身であった。彼女は日本が大好きで、日本の会社に就職したかったんだそうだ。彼女は言い訳も失敗も隠さない。誰かのせいにすることもある。でも必ず謝る。言い訳はしても、感情をあらわにして、泣きながら謝ってくる。韓国は泣く文化だと聞いたことがある(違っていたらごめん)。最初はだから、泣いて媚を売っているのだろうと思ったけど、違うとわかった。日本人は泣くことがみっともないと思うところがある。「そんなことで泣くのか?泣くくらいなら最初からちゃんとやれよ。泣いたら許されると思っているのか。。。」言ってしまったり、思ってしまったり、またこの言葉を言ってる人を見たことないかな?いかにもそれらしく装って、泣いてる人は弱い人、こんなセリフを吐く人は強くて冷静な人、そんな図式が出来上がっているね。

わたしは言いたい。泣くくらい悔しい思いをしたことがないのか。泣いても自分を認めてほしいと思ったことはないのか。泣いても取り返しがつかないほど後悔したことがないのか。であれば可哀想な人だ(嬉し涙と人が亡くなった時の悲しみの涙は、これだけは許されてるから別)。感情って隠せるものではないはず。殺せる感情なら、それだけのものしか経験してないってことだと思う。長い人生の中でそんな寂しいことってある?

これと同じで、怒りも、喜びも、なぜか日本人は体全体で表すのが苦手なようだ。だからなのか、そもそも目立つことをよしとしないところがあって、ビジネスにおいても交渉が下手。PRが下手。日本人はとても勤勉だし優秀だと思う。だから世界でもトップクラスの技術、開発もされているのに、それをビジネスに活用するとなると世界に先を越されてしまう。

学生時代、仮想空間の中、各国と仮想ビジネスで競ったことがある。資本金1000万で1年後、3年後、10年後どうなっているか。わたしは手堅く安牌なビジネスをしていた気でいたのだが、初期に資本金の倍も借金してるヨーロッパやアジアのチームに10年後は結果、何倍も利益に差をつけられ大敗。しかも相手は小学生。思うに、思い切った行動を起こす勇気がない。感情が爆発するほどの衝動も同じ。心が耐えられないんでないかな。

 そうはいっても、私たちが学生の頃あたりから最近の風潮は変わりつつある。相変わらず水面化?ではまだ女性が慎ましいのが好まれるように思うけど、就職の採用なんかでは自己PRは重要なファクターだ。他人と違う点やリーダーシップ、考える力や伝え方(交渉術につながる)は重要な決め手になる。そのため目立つことが第一歩だし、だからこそいわゆる陽キャ陰キャという言葉が生まれ、目立つ人がチヤホヤされるからいいんだと、またまた違った目立ち方の解釈が世の中を蔓延っている。どちらにせよ、自分を出すことが苦手なのは間違いない民族なのであろう。

 まだまだ、感情は表に出してはカッコ悪い。でも目立ちたい。偉そうなことを言いたい。感情をあらわにせざるを得ないほどの経験をしたこともないのに?なんでそう思うかって、要するに楽なんだよ、自分の感情を殺す方が。自分の感情に向き合うのって、知らなかった自分を知る事だから怖い。そこに向き合えてない人がまだまだ多いように思う。そうでない人もたくさんいて、わたしはありがたいことに、経験値が豊富で影響力の多い方達に出合う縁に恵まれてきた。何が悪いって、そういう感情を表に出すのがカッコ悪いっていう風土が悪いっていう話。わたしら団塊ジュニアでも半々だと思うな。前からこのブログで書いているけど、色々な価値観や哲学、文化、、、過渡期なんだ。日本経済においても、一番お金を動かしているのはこの世代(人口が一番多いという点でも)。良くも悪くも、影響力が大きい世代なのではないかなと思っている。

 変革時に影響力のある世代。団塊ジュニアが日本経済を変えられる。ミクロな見方をすると、会社の生き死にはこの世代が変われるかにある。第一線で活躍しているのはもっと若い世代だと思うが、人口が多く、今までの変革時は全てこの世代が関わってきたのはリアルに覚えてるだろう(金融ビックバンにしかり)。若い世代がもっと動けるように準備してあげるのはわたしらの仕事かもしれない。

まだ自分の殻にこもってる人がいたら、破ってみない?自分の知らなかった感情に触れることは勇気が必要だけどね。

洋服とわたし

M6H 634色 ロングスリーブTシャツ

わたしは特におしゃれが好きなわけではありません。センスがいいわけでもないです。ファッション雑誌もほとんど読みません。美容院に行ったら真っ先に目を向けるのは「もんみや」のbrexのページ。総合情報系の雑誌の方が好きです。まあ、でもほとんど読みません。なので、若い女性の流行ってて持ってるバッグのブランドもわからないし、そもそもブランドがわからないし、ZARAにも行きません笑笑。

人によっては周りについていくために頑張ってブランドを勉強し、わざわざ買いに行き、覚えたアイテムやワードを使いたがって羅列している人も多いでしょう。

流行っているコスメに関しても同じ、髪型だってそう。ほぼ興味がありません。わざわざこちらが興味ないって言ってるのに、いろいろ教えてくる人にはうんざりします。それでいてチグハグなメイクしてたら説得力ないじゃん。だがしかし、興味あることに関しては食いつきます。韓流大好きな友達がしつこく韓国コスメを持ってくるものだから(お礼のつもりらしい。ブレックスの試合に何回か連れて行ったりしたので。本当はほぼわたしのわがままに付き合ってもらっただけなんだけどね笑笑)、コスパが抜群じゃん。質も高い。パック、浸透力がハンパないって。今更かもしれませんが、国産は、の割に高いもんね。

 わたしは、わたしを振り回してくれる人が好きです。この友達はネガティブでしつこくて人の話は聞かず、自分が一番不幸だと思っているし、興味ないって言ってるのに、しつこく毎回毎回韓国コスメを持ってきました。「一回騙されたと思って使って」って、試供品やら、100こセット買ったから全種類1枚ずつあげるから使ってみてよってね。折れたカタチになったけど今では良かったと思っています。実際、彼女はわたしと違いオシャレが好きで、出かけるのも好きで、メイクとか可愛いもの、かっこいいもの、音楽フェスとか、UKロックとか大好きな人です。だから、そういった点では説得力があったというか、そういうところの信頼はありました。本筋から外れましたが、彼女は全く持って付き合いづらくわがままですが、でも捨てられない笑笑。まあまあ、わたしを振り回す困った友達です。

 わたしのブログを何回か読んでくれている方ならもう知ってるかもしれませんが、わたしも変えられない一本筋の通った哲学を持っています。普段は人に合わせることもあったり、ヘラヘラしてみたりすることもあります。怒られ慣れてるので、上司に怒られても、失敗して部下に笑われてもふにゃふにゃしていても、自分の自分が嫌いではないのです。きっと自信がある。だから何言われても平気なわけですね。ダメなものはダメなんだから間違ったのなら咎められる。それは上だろうが下だろうが関係ありません。

わたしはおしゃれではありません。でも、着る服に迷いはありませんし、自分をダサいと思ったことはありません。髪型もそうです。女性らしく、ワンピースを着て、ロングヘアーの巻き髪が(マコさんは好みなのでしょうが笑)、男性ウケがいいことも知っていますがわたしが特にしたいスタイルではありませんし、わたしの個性ではありません。今までの彼氏の好みに合わせたことはありません。わたしのコンセプトがあるとするなら、「好きなものを好きなように着る」「服や髪型でいかに遊べるか」です。生き方も同じ。いかに自分の人生を生きられるか。結婚するときにこれを条件にして栃木に来ました。実際はそんなに勝手に行くものではないことも知っているし、家族を大事にしていないように思っている方もいらっしゃるでしょうが、わたしの子供たちはこの一風変わった母親を自慢に思っているようです。そもそも結婚自体しなくてもいいと思っていました。わたしの両親は結婚はただの選択肢の一つで、最高の選択肢だと思ってはいません。

もし、おしゃれをしたいと思う人がいて、なんでオシャレになりたいのか考えて、人は可愛くなりたいしカッコよくなりたいし、なんでだろう。好きな人に好きになってほしいから。自分に自信を持ちたいから。視線を集めたいから、自分に目を向けてほしいから。いろいろあると思うけど、まずやることは、自分をしっかり持つこと。自分を知ること。人と比べることなく、個性を大事にできるようになること。揺るぎない自分のある人は目を引くだけの魅力があります。可愛いとかかっこいいとかだけではないんだけども。ある種、さまざまな見え方で目を引くこともあるけど、それは存在感というやつです。何を着てもどんな格好でも、また何を着たって恥ずかしくないし、様になるようになるし、むしろみんなが避けていたアイテムですらおしゃれアイテムになることもあります。

 このブログで、「それは個性」という回で比江島選手の魅力を語ったけれども、やっぱり個性なんです、人の魅力は。人自体の持つ魅力との合わせ技ですね。選ぶアイテムによってはより独特な味を引き出せると思います。

服は自由に選んで楽しんで着ることが一番大事だと思うし、今は選択肢が多い時代です。ただアイテムの活かし方はあると思っています。着方を間違うと、アイテムが台無しにあることがあります。モデルやマネキンが着用しているアイテムをそのまま着ても、またスタイル(この場合は肉体的な面で)が抜群に良くてモデル体型でも、まるでおしゃれにならない人もいます(なんでだろうと思うんです。身近にいるのですが)。何を着せてもしっくりこない。見た目の作りは悪くないはずなのに。

おしゃれに関わらず、そのものの持つ意味やコンセプト、解釈を間違うと価値がとても下がります。洋服だけでなく、モノの持つ意味の解釈だけは間違わないように生きたいですね。

イケメンくん

イケメンのイメージ画像です。宇都宮ブレックス 遠藤祐亮選手 

 私はイケメンに困ったことがない。

 いや自慢でなく。別に今までの彼氏が全員イケメンだったとかそう意味でもなく。ただ単に幼稚園くらいの頃から幼馴染も男の子が多くてモテる子が多かっただけの話。

周りから見ると羨ましいのか?それ。

高校の時、小学校からの同級生と普通に話してたら(同じ高校に同じく浪人して入学して、さらに高2の時同じクラス、席が隣になった)、

「カオリちゃんいいなあ、◯◯くんと友達なの?かっこいいよね、紹介してよ」

いや、別に自分で話しに行けば?って思う。やつ、普通の人だし。顔が整っているだけで。この時ちょっとびっくりした。やつのこと、かっこいいと思ったことなくて、高校で初めて会った人たちにはかっこよく見えるんだね。まあ、性格知らんだろうしね。私はやつのことは小学校の時から知っている。人柄というか、中身知ってる限り特に魅力的でもない(失礼)私には。まあお互い様です。恋愛になるような関係でもなかったし、、、

しかしまあともかく、男友達が多く、なぜか女子にモテる男子が周りに集まってくるところがあった、小中高ともに。私がモテるとかじゃなく、むしろモテないからではないかな。男子は意外に女子女子してる女子が苦手だ。大学の同じ学部で、同じような流行りのバッグ持ってブランド着て、似た髪型した女子がツルんでいたんだけど、7−8人のグループで。私は女子が3−4人、男子が4−5人くらいのと仲が良くて、よく睨まれたっけなぁ。その時の仲間に聞いたらさ、あいつらこえぇって。確かに見た目悪くないし、着飾ってるかもだけど。どれがどれか区別つかないよって言ってたっけな。

 いわゆるモテる女子って、女子力高くて、常に男子の目を意識している(羨ましい)。次、生まれ変わったら女子力高めに生まれたい笑。が、男性を恋愛対象としかみていないから本当の男友達はできない。これ、逆も言える。ということは最初から男女性別差別して見ている証拠だよね。何回かブログで書いてきたことだけど、私、老若男女区別しない。性別だけではなく年齢だけでもなく、見た目だけでもなく、、、(そういう人生もあるから、否定しているわけではないんだけど。。。私のいとこは、女子に嫌われても男子にモテたいと言っていて、男子への媚び方がすごい。それはそれで彼女の人生)

 私の周りに集まる、モテ男たちはさ、特に高校生の時なんかは、本当にモテ男ばかりだった。青森県随一の進学校はブランド力もピカイチで、かっこいい、そしてクレバーで、運動もできて喧嘩も強い。弘前の高校中に有名なやつばかり(いや本当)。証拠に、私予備校時代とか、大学の時、高校の仲良し男子が有名なやつばかりだから、あたしと仲良くしておけば、そいつらとも仲良くできると思われて、私と知り合いになりたがる子多かったし。。。

 そのモテ男たちはさ、自分達のとこに群がる女子はどんな目的かもちゃんとわかっていて、女子にモテようと媚びるやつはいなかったな。だからこそ、私の周りに来たんだと思うよ。モテる、有名人、かっこいい、、、そういううわべでやつらを見なかったから。そもそも面白くないやつ私嫌いだし。これでも評価は誰に対しても公平。人を見る目だけはあるのが自慢。見た目だけじゃなく、彼らは賢く、自分の哲学を持っていて、人を区別せず、だから、自分達を特別視する女子が群がってくるのを良しとしなかった。まあ、実際に見た目も中身も彼らはとても魅力的だったけどね。もてなす力も、恋愛経験も豊富だからある程度の色気もあるし、そして実に個性的で、また個性的な人を好む傾向にあったよ。

 本題に戻るけど、私はイケメンに困ったことがない。だからこそ。

 私の全体のブログのテーマ、「私は人に恵まれている」

 見た目じゃない。また面白さも、笑かすことだけじゃない。イケメンもイケジョも人の魅力って中身から出るものだ。色気もいろんな経験から自然に溢れ出るもの。誰かの言葉を借りていい事を言った風でもなんか薄っぺらいのはその人が本当に考え悩んで出した答えではないからだと思っている。そして大事なのは個性。個性を出せるというのは一周回ってからかもしれないね。

自分を知り、向き合って、でもとても勇気が必要なこと。でも乗り切ればとても魅力的になれる。私、見た目だけいい人嫌いなんだ。モテると勘違いして自分を磨こうとしてない人多くて、話すと面白くない。カッコばかりつけて中身がない。見た目は親から授かったもの。さてそれを生かすも殺すも自分次第なんだな。

 話ちょっとずれるんだけど、ブレックスの選手って個性的すぎるよね。正統派の中身まで合わせてイケメン1位は私の中では遠藤さんです。笑

 シーズンもう少し。楽しみだねーー。

私の心を揺さぶる名台詞集

フルアヘッド・ココ 作者 米原秀幸 週刊少年チャンピオン・コミックス(秋田書店)

 私の哲学が形成されるのに十分な影響を及ぼした漫画たち。正直まんま受け入りです笑。

①フルアヘヘッド・ココの主人公、ココがキャプテンバーツの船、sweet madonnaのクルーになり成長する物語。このシーンはお宝を求めて立ち寄った島でバーツがココに語らうシーン。

星空を人と人との出会いと見立てて、人との出会いがなければこの世は「真っ暗闇だぜ」というシーンです。とにかく、主人公ではないんだけど、キャプテンバーツがかっこいい。これ、ちょっとした恋愛もあるんだけど好きな女性に振られっぱなしのバーツが一途に彼女を思い、守るシーンも見もの(彼女は別の海賊船、レッドスケルのキャプテンなので、普段は敵です笑笑)

スラムダンク 作者 井上雄彦 週刊少年ジャンプ(集英社)

 ②言わずと知れた王道マンガ、スラムダンクは高校生の時、部室に置いてて部員が回し読みするから、もうボロボロです。新刊出るたびに部室に並ぶから卒業する時持って帰るの大変でした。その中で一番好きなシーンですコレ。花道のバスケに対する想いの集大成がこの短いセリフにこもってますねぇ。他、山王戦本当の最後のシーン、花道が右斜め45度の位置で「左手は添えるだけ」といって流川からパスをもらうシーンとか選びきれないんだけども。セリフとしてはコレかな。

ツルモク独身寮 作者 窪之内英策 ビッグスピリッツコミックス(小学館)

 ③当時は映画にもなるほど流行った漫画。青春ラブコメ漫画です。今の若い子に読んで欲しいなぁ。この歳になってもピュアな気持ちになれるマンガです。なんか大人になっちゃうと恋愛がつまらないね。思い出すのはプラトニックな恋愛ばかりだよ。で、(笑)このシーンは私をリセットさせてくれるシーン。青臭いと言われても夢を死ぬまで忘れたくない。そして、自分で動き出さないといけないと、諫め、奮起させてくれる、主人公正太のセリフです。最終巻、寮の仲間たちがそれぞれ新しい人生をスタートし、遅まきながら正太もやっと動き出す決意をしたシーン。恋人にもなっていない、告白もしていない大好きな彼女みゆきを置いて海外に行かなくちゃいけないから、ウダウダしていたんだけどね。

ジョジョの奇妙な冒険 第5部 作者 荒木飛呂彦 週刊少年ジャンプ(集英社)

 ④たぶん一番私の人格形成に影響を及ぼしてるマンガ、ジョジョ。あのね、苦手な女子多いと知ってるけど本当に素晴らしいマンガなのよ。

宇都宮ブレックスのキャップ田臥選手が自身のスローガン、「過程を大事に」って色紙に書いてた時、正直鳥肌が立ったよ。

これは5部の主人公たちのチームの1人、アバッキオが死ぬ時のシーン。アバッキオは真面目な警官だったんだけど、たった一回、甘い欲望に勝てなかったせいで先輩警官が殉職。その先輩が、アバッキオが死んだ時の魂に語りかけるセリフ。この5部の敵は過程をすっ飛ばして結果だけが残るという能力のスタンドを持っている。作者が過程を蔑ろにして結果重視の風潮に警鐘を鳴らしているのがこのジョジョの5部のテーマだ。

「結果だけを求めた時、人は近道をしたがる。大切なのは向かおうとする意志。いつかは辿り着く。向かっているのだから。」

ジョジョの奇妙な物語SBR 第7部 作者 荒木飛呂彦 週刊少年ジャンプ(集英社)

 ⑤そして私、ホットパンツの由来は、ジョジョの7部 steel ball run に出てくる女性の登場人物の名だ。第7部はまさしく主人公ジョニーが文字通り歩き出す物語。ここに出てくるホットパンツはある悔恨の念からこのSBRというイベントに参加する。強くかっこよくかわいく、そして弱い女性。主人公ジョニーのある意味サポート役の彼女だが、彼女の苦しみが時に切なく魅力的なのだ。人は大いに悩み、迷い、その苦しみを経験しないと魅力的になれないんじゃないのかなぁ。

この7部はそもそもジョジョの中でも大好きなシリーズ。ジョニーが歩き出すために、ジャイロツェペリは重要な役割を果たし、とても人気のキャラだ。かっこいい。なんというか、読んでいる私にとっても「歩き出す」物語なのだ。うまく説明できないが、解釈を間違えるとただの少年漫画。しかし哲学がしっかりしている漫画。ジョジョは奥が深いんだよ。大好きなシリーズから名前を拝借したっかったっていうのもあるかね、ホットパンツの。

 挙げたらキリがないから、今回はこれだけにします。かなり好みが偏ってるかもしれないし、あまり女子には理解されづらいんだけど。気が向いたらこの作品たちを読んでみてください。