マコさんへ送るラブレター

2022.2.6広島戦

 私、特にマコさんの顔立ちが好きなわけじゃないのですが、じゃあどんな顔が好みなのかって聞かれれば答えられない。そういえば男の人って今までも顔で選んで好きになったりしたことないかも。

 傾向はあるよ。頬骨が高いとか、口元に特徴あるとか、首が長くて太いとか、顔が短いとか。あ、目が一重がいいかもな。結構あるか。でも実際はあんまり関係ないかも。肩幅はあんまりガチガチにある人は好まないな。マコさんくらいでいい笑笑
 実際は見た目というよりは、私の場合は色気だ。なんていうか匂い。感じない匂い。一種のフェロモンなのかも。だから、憧れや、噂とか人気度で好きになったこと一度もない。仲良くなって、仲良くなったからこそ近くにいるわけで、だから匂いも感じられるわけで、きっとそういうふうになってから恋をする。まあ、これはリア恋の話だけど、色気っていうのは推しにも当てはまるかなぁ。匂いはわからないけど、色気があるなしは見た目でもわかるよね。

 マコさんの若い時なら好きになってなかったって前言ったけど、三河時代のは色気をまるで感じないから。知ったのが昨シーズンからで30歳を迎えた後だな。おしゃれになったし、バスケだけじゃなく、服のセンスや、いろんなプライベートも自信がついたかな?だからか、その自信ゆえか、それが色気になって出てる。だから好きになったのかも。 

 マコさんは今とても素敵だ。推しだからではなく、今が色っぽい、いわゆる旬。オリンピックでバスケにもよりいっそう自信がついて、とても男としてはいい時期だね。私、絵も描くんだけど、主に人物画を描くんだけど、その人の個性や特徴を、魅力的なところも盛り込んで描く。だからその人を知らないと描けない。イメージが湧かない。前にさ、私は人を見る目があるって言ったけど、普段から、人物像を観察しながら人と接してるかも。絵を描く時どういうふうに描こうって考えながら相手と接してるかもしれないな。

 マコさんはバスケをやってから子供の時からずーっと有名人なのかもだけど、今、1人の人間としてとても素敵だ。
 人って、自信を持つことも大事だけど、自信がないことも必要。だってなんとか克服しようと思って成長するでしょ?成長が色気や魅力につながると思ってる。久しぶりに会った友人が昔より魅力がかけちゃってたり、老けてたりってあるじゃん。逆に、60代くらいのおじさんでもとても魅力的な人もいる。(俳優の寺尾聰やRDJ[ロバートダウニーJR]がそれ。カンバーバッチもいいね)

 私、自分にも言い聞かせて魅力的に年齢重ねよーっと。最期まで自分らしく生きること、根っこは曲げないこと、オリジナルを大事にすること。もっとストイックに、日々鍛錬だな笑笑
 私は人を見るだけは自信がある。だから、ブログを書いて今までの人からいただいた大切な言葉や体験を綴ってきた。人間が好きだ、弱いところも強いところも。マコさんが好きだ。今一番私の目には魅力的に映っているよ。これからもとても楽しみ。どういうふうに進化していくか見守るとするよ。
笑笑

帰省して改めて思ったこと

家の前の公園にて

 年末年始の繁忙期を終えて休暇をもらった。母が入院したので家や父が気掛かりだったのと、弟に3人目の子が誕生したこと、冬休みを終えた長女をアパートに送っていくついでもあって時期的にはちょうど良かった。

 今年は雪が多いらしい。私の実家があるところは元々雪が多い地域。青森市に合併される前、南津軽郡だった頃、この中弘南黒地区ではとても雪深い地域で、JRで弘前から浪岡に帰る途中、浪岡に入る手前で明らかに雪の量が違うし、大体吹雪いていたようなイメージだった。
 雪国じゃない人には想像つかないかもしれないけど、道路がすり鉢状になってて車同士すれ違うのに、滑って、道路のセンターラインによって行っちゃうから大型同士だとぶつかって立ち往生はよくあること。そして除雪にコストがかかるし、自治体の財政圧迫するし。
 というわけで今回帰省して思ったこと。やっぱり地の利ってあるんだよね(中央から離れている地方は不利)。こればっかりはどうしようもない。

①中央から離れているので、どうしても働く場所に制限がある(今はネット社会だが、製造する工場なんかがなくなるわけではない。カネとモノは中央に集まるのだから、離れているほど輸送にコストがかかる)

②雪が経済活動においてマイナスに働く(まずは先に述べた通り、自治体の財政を圧迫する。除雪、融雪、その他の整備。雪囲いとか然り。農業はできない。雪が溶けるまでは畑は使えない、個人の生活でいうと、車も家も寒冷地仕様。だからといってお金はかかるが長持ちしない。傷みやすいのでメンテにもコストがかかるし、使える素材にも制限がある)

 こっちに来てよく言われたこと「みんな出稼ぎに関東来るってほんと?」田舎者の表現の一つとして出稼ぎという単語を使っているのか?先にも書いたけど、冬は農家の方は畑使えないんだって。よそに働きに出るしかないの。
 関東に来て、便利なところだと思った。生活するのに不便はない。栃木県民は車がないとどこにも行けないというが、逆にいうと、車があれば行動範囲が広がる。どこにでもいけるし、見識も広がる。雪がない分運転に困らない。雪が降ったから通勤できませんは東北だとありえないよ。ここまで読んだ感じだと、青森あたりで生活するの大変そうってなると思うけど、そういうところで育つと、逆にどこででも暮らせる。経済的に不利なのは県民もわかっているから、それを受け入れて生活している分「強い」
 私、東京あたりの人が田舎暮らしに憧れるとかいうけど、無理だと思うもんね。田舎にもよるかもだけど。
 私も強い。元々田舎者だし、こっちに来たとき覚悟してきてる。

「うわぁ、とても青森からきたようには見えないね」

って言われたんだけど、これ褒めてる???青森県民馬鹿にしてるんかなって思ったよ。でも覚悟してきた。そして、耐えられる根性は東北人は持ってる。東北大震災の時の傷跡、まだまだあると思うけど頑張れ東北。私も電気水道止まった経験は4回目。周りの近所の方に聞いたら3.11が初めてだって言ってた。災害もないし住みやすいところだよ。自分の住んでる地域に感謝しよう。雷は多くて、これは怖いけどね。雷は怖くなったね。
 なにはともあれ栃木に来て20年以上経ってしまった。おかげさまで楽しい日々を送れている。育ててくれた地域に恩返しができないことと、どんどん寂れてる感が否めなく、心苦しいのだが、今はなんとかこの地が(今住んでるところ)が発展していけばいいと思ってる。しかも宇都宮がしっかりと中心になって盛り上がってくれたらいいな。宇都宮BREXを、他の地域からたくさん応援に来てもらえるよう、来やすいように発展していけばいいな。
これが今の私の願いで、できることがあれば協力していきたい。
です
(結局BREX の応援で終わったよね。大好きだからね笑)

信じる信じないはあなた次第

 興味ない人には本当にどうでもいい話をつづります。うちの母家系、オカルトチックなところがあって、特に母の姉、おばさんちに遊びに泊まりに行くと、叔母が「カオリ(私の名前)、このツボはもともとはただの紺色だった。毎日毎日、魂が宿って白い点々が増えたんだよ、、、」翌朝、いとこのお姉さんが「昨日夜中、私の机で誰か勉強してたなぁ」そして、また別の日、お姉さんの弟の方が「天井裏で赤ちゃん泣いてたよね」、、、もう2度と泊まりに行くまいと思った小学3年生の夏休み。
 祖母が危篤だった中学校の時、祖母の家に詰めてたのだが、一時帰宅することに。早朝、お知らせが来たんだけど、母がポツリとリビングに座っており、「夜中にトイレに起きたらさ、あば(津軽弁で母親のこと)がここに座っててさ、思わず声かけちゃった、『あば、どうしたの』って。さっき電話で亡くなったって連絡きたよ、、、」母の実家でいろいろな準備を手伝ってる間、ずーっと右肩が重いと辛そうだったっけな。母は末っ子だったんだけど、私を産んでから、母は回復が思わしくなく入退院を繰り返してたんだけど、祖母が私のこと見てくれるために遠い道のり歩いてきてくれたっけ。母も私も可愛がってもらえたから最後まで私の母の肩にしがみついていたんだろうね。
 どうもそういう話が多いんだけど、遭遇するんだよね、またそういう場面に。

 中学の保健体育の時間、1、2組合同で1クラスに女子だけ集まって授業受けてた時、K奈が「やめて、やめてこないで。くるなーーー」と、一点を見つめて、叫んで、失神した。救急車で運ばれていった。次の日は普通に通学してきたので聞いてみた。「悪い霊といい霊はわかるんだよ。昨日はもともと校庭にいるのわかってたんだけど、嫌な予感がしたんだけどさ、こっちにきちゃったね。」K奈は1回じゃない。中学校の中では2回しかない、この現象、2回とも私現場にいちゃうからね。2回目は私、職員室清掃の時、同じことが起こったが、2回目は救急車ではなく親が呼ばれてた。大丈夫かと聞いたら、彼女の母親が、「よくあることなの、びっくりしたでしょ。ごめんね」、、、って


 自分の周りには起こっても、私はみたこともないしね。そういうことは起こらないだろうと思ってたんだけど、、、


 高校生の時、1日目、夜中2時ごろ、足首を掴まれた。怖くて、目を開けようとは思わなかった。物凄い力でベッドがめり込むんじゃないかというほど。足がどんどん沈んでいく感じがわかって必死だった。体から力が抜けて、ほっとしたのと同時に眠りに落ちてしまった。夢だろうと思っていたのだが、足首には掴まれたあとがアザになって残っていた、、、2日目、たぶん同じ時刻、今度はお腹をすごい力で押されて、息もできないほどに。(そのように感じた)腰がくの字に曲がって、マットレスが破壊されるんじゃないかと。やはり目は開けられなかった、、、3日目、たぶんね、同じくらいの時刻、首を絞められた。窒息して死ぬ、殺されてしまう、と思った。戦おうと思い、目を開けてやった。首を絞められていたんじゃない、赤ちゃんが、首に乗っかって私の顔付近で遊んでいたのだった。無邪気だからタチが悪い。お願いしたところで、赤ちゃんだもの、わかるわけがなかった。次の日無事に目覚めたのだから、まあ大丈夫だったのよね。アザは残ってなかった、、、。
 私の初めての不思議な現象は高校生のコレ。その後は、実は大学生の時の彼のアパートが、きっと霊の通り道で、そのライン上にいろんな方がいらっしゃってました。そうライン上にベッドがあったもので、霊聴はしょっちゅう。おばあさんやおじいさんがよく通り過ぎていった。部屋に座っていることもあったけど。でも、K奈が言ったように、悪くないものは怖くはないのだ。
 栃木に来てからは暫くはなかったんだけど、遅番で仕事してる時は少女が仕事を覗き見してたり、その子家に連れてきちゃったり。暫くしたらいなくなったけどね。アリーナから帰る途中の宇都宮の道路脇、田んぼのコーナーにおばあさんが立ってるところがある。(勝手に通称おばあさんの田んぼの小道)
 信じるか信じないかはあなた次第。どうでもいい話だし、そんなこと気のせいだって思うのが普通だけど、でもね、思うのよ。
 人の目に映るものって、脳が認識してるだけ。人間が見えないものもあるはず。人間の脳で解明できないこともたくさんあるでしょう。私の目と、あなたの目に映ってるものが同じってなぜ思う????
 これは、大昔のデカルト、「我思う故に我あり」言わんとしてることは違うんだけど、過程の部分は似てるかな。

さて、どうでしょうか笑笑

大学受験失敗から予備校生時代

大人になってもう一度世界史を勉強しようと思った

 大学受験の真っ只中にあろうことか好きな人ができておかげさまで見事に受験は失敗した。私はあっちもこっちもうまくやっていける方ではないので、あの頃勉強が手につかなかった。その理由とは別に、私は団塊ジュニアなので人口が多い世代で、さらに上の学年から雪だるま式に浪人生も増えていってというのもあり、私の周りの友達は大体浪人した(笑)

 みんなそれぞれの場所で浪人生活を送り、私は地元の予備校へ通った。中浪時代にお世話になった予備校へ。前のブログでも書いたけど、3バカトリオでまた通った。
 浪人生活って結構しんどい。中浪時代とは違って高校卒業って立派な大人の仲間入りの歳。社会人でもなく、学生でもなく今でいうニートなわけである。自分自身に負けそうになる。だからといって勉強に集中できるかといえば意外にそうでもない。高校時代に好きだった人とはまだ連絡をとっていたし、でも彼は東京で浪人生活を送っていたので会えないし、遊べないし、今と違って家電(いえでん)でのやり取りだからまめに連絡も取れない。まだまだ未練はあって、やつも私が未練あること知ってて微妙な距離を保ちつつ切れないようにヤツは連絡をくれた。

 でも毎日会える人に目移りするわけですね。浪人生活も終盤戦、という時に、同じ予備校のとあるシャイな男子が(でも模試でマークなら全国3位、記述なら全国1位という予備校のエース)が朝、通う駅で待ち伏せしてくれて約束して、帰りちょっとしたプレゼントをいただいたのです。しかもその日はイブ。
 クリスマスイブって付き合ってる人がいる時もいろんな理由からロマンティックな夜を過ごしたことないし、自分自身、あんまりイベントごとってどうでもいいんだけど、この時のイブが一番嬉しくって思い出に残るイブだ。彼は予備校のエースで、実は1っこ上の人。話もたまにで、あいさつ程度だと思っていたんだけど、私は。でもお互いにその予備校長いから先生を絡めての交流はあったんだけどね。彼が弘前大学受けるっていうからじゃあ弘大でいいかってう安直な考えで大学を選んだんだけど、彼は長崎大学の医学部に行ってしまった、結果的には。
 というわけでろくに勉強もしない浪人生活も終わり大学生になるわけだが。予備校に貢献してた?私はバイトをもらえた。当時の私は、青森県から出ることを考えていなかったし、青森県は知ってのとおりなかなか就職も難しいところ。手堅く公務員になろうと思って、大学の講義も法律関係の選択が多くなっていた(私は文系で経済学科、経済学なら専門でできるので、公務員試験に必要なのは他ほぼ法律関係)。

 ある時、当時の予備校の物理の先生と、まあ生き方について話す機会があった。予備校の先生たちも若く、20代前半から30代前半までで、だからご飯に行ったり、飲みに行ったり仲良くさせてもらっていた。 話の過程で、多分私は言ったのだろう、

「結婚して子供は欲しい。でも夫婦がうまくいかなくなった時、生活が不安で離婚できないと情けないことを言うのは嫌だ。それが理由で結婚生活を我慢するのも間違ってる。だったらしっかりした就職をしないといけない、なら公務員が一番だと思ってる」

「お前さぁ、今からそんなことガチガチに考えてどうすんだよ。人生は思ったようにいかないし、予測できないことばかりだし、予測できるような人生なんて逆に考えたらつまんねーだろ」
私も若かったんだねー、そして子供だった。
 彼は横浜出身。私に言葉の意味を教えるべく、自分がなぜ今この地、弘前市にいるのか語ってくれた。横国(横浜国立大学)の工学部を出て1級建築士になった彼は売れっ子だったらしい。独立開業し、目まぐるしく忙しい日々を過ごしたのだそうだ。そんな中、奥さんに言われてしまった「あなた誰?人間の顔してないよ」って。改めて自分の顔を鏡に写した時初めて自分がおかしくなっていることに気づいた、俺は誰だった?って。

 そして、建築事務所をたたんだ。自分探しをする旅に出た。全国各地に散らばった学生時代の友達に会いにいった。自分を取り戻そうと思って。その途中で弘前市が気に入り、移住することになったんだそうだ。奥さんもすごい人だなあって感心もしたし、今、私の言葉でここで文章にしても説得力に欠けるかもだけれども、彼の言葉には経験からくる説得力があって、その時から私は考えを少し変えました。 

 いろいろ先を考え、前始末をするのは正しいし、必要だ。でも、何が起きるかなんて本当のところ実は予測できるかといえばある程度のこと。何が起こるかわかったもんじゃない。ならその時、対応できる力が重要だった。 対応力って?性格的なものもあるかも知れないけど、実は教養が一番大事だ。いろんな有事に対応するためには多岐にわたる知識とそれを知恵に変える力が必要だ。これから学ぶみなさん、また大人の皆さんも、やっぱり学びは大事なのです。
 勉強勉強ってうるせーなって思うかもしれないこと書いてるけど、受験のために勉強するわけではない。人がこの地球上にどうやって生かされているかも一般教養から学び取れるのです。「人間万事塞翁が馬」とは言うけれど、知識を蓄え、ぜひ今後の人生を色んな意味で楽しんでいきたいですね。

。。。。。予測不能だからこその楽しみ方

映画を観よう

スパイダーマン
ノー・ウェイ・ホーム

 (ブログ公開日 2022.1.20)

先日1/11に映画館に実に1年ぶりくらいに行った(気がする)。もともと映画が大好きだったのだが、夢中になる趣味が増えると一時的に置き去りにしてしまう癖がある。

 特にマーベル作品はアベンジャーズが前作で一時の終焉を迎えてからは寂しくて続編が出ても映画を見る気になれなかったのも事実。ロバートダウニーJR(RDJ)のファンなのでお許しください。RDJかっこいいよね。おじさんだけど、なぜあんなにセクシーなのかな。私も歳なりに魅力的に年齢を重ねていきたいよ。

 ところでアメコミのヒーローモノの時系列って難しいよね。全作品復習したいのだが時間もないけど。今回のスパイダーマン、過去の作品のスパイダーマンたちも出てくれるということで、絶対見にいきたかった。制作側の事情で出演は無理なのではと思っていただけに嬉しかったし、だから余計ってあるかも。

 まあ見てない方、ぜひ見に行ってください。これは映画館で見るべき映画。マーベル史上ある意味Best5には絶対入るであろう作品。そして字幕で見てほしい。最近の方々は吹き替えで見るらしいね。字幕版が吹き替え版より先に映画終わってしまうのは悲しみ。(吹き替えがダメと言ってるわけではないぞ。吹き替えには吹き替えの楽しみ方がある)

 俳優の生の声と演技と、そして、字幕がどういう変換されているか楽しんで。字幕にするのに翻訳家って技術高くないとできないね。プロの仕事だなあって感心してる。 この後続々映画が来るよ。まずはナイル殺人事件。オリエント急行殺人事件の2作目。それとロバート・パティンソンの新しいバットマンなど。春にはファンタビ3もくる。ワクワクするね。ぜひみんな映画館へ行こう。字幕スーパー版で会いましょう。

アゲサゲ引きこもごも

これは2022.3.20のもの あげマコ参照資料

 (公開日 2021.12.22 )

 先日行われたウイングアリーナ刈谷での三河戦。少し賑わってっていたことがある。

 2戦目の日曜日、前髪を上げてセットしてたこと。通称「アゲマコ」という。実際は分けマコじゃんってツッコミたいくらいなんだけど、まあ今できる範囲の「アゲマコ」かな笑笑 

 マコさんの三河時代からのファンは待ちに待った感じなのかな?ウイングアリーナで暫くぶりのプレーということで、プラスで「アゲ」にしてくれたら感極まりないということらしい。 

 わたしは正直そのあたりはどうでもいいんだが、言ったら刺されそうだが、わたしにとってはただのアウェーの試合。今はbrexのマコさんだし。そして短髪じゃなく、昨シーズンの髪型がステキでカッコよくてファンになったわけだし笑笑(きっとすごいプレイヤーでもあの当時ならファンになっていなかったと思う) 

 さんざんこのブログで書いてきたことだけど、出会いや運命って信じていて、昨シーズンのあのタイミングだからきっとマコさんのファンになったわけで、冷たいと思われるかもだけれども、どこかのタイミングで縁が切れたらきっと今ほど追いかけないし写真も撮らなくなる。
今は大好きなんだけど、客観的に自己分析するとそう思うなぁ。
好きでも、ここまでかなって自分の中で線引きくらいはできる人生経験はしてきたし。でもさ、また新しい出会いも来るんだな、そういう時って。

 あ、伝え方難しいんだけどマコさんのこと冷めてるとかそういう意味じゃなくて、人の縁って不思議だし、ほんのちょっとの誤差で未来が変わってしまう。だから今、宇都宮brexが好きで、マコさんが好きで、なべちゃんを尊敬していておかげさまでいつか宇都宮に引っ越したいとまで思っていて(真岡に家があるけど笑笑)。
それって導かれたってことよね。
みんなに出会えたのも、このほんのちょっとから生まれた奇跡かな
つくづく思うのです。。。
さあ、26日だけだけど、このほんのちょっとのタイミングで導かれた大きな奇跡に会いに行くぜ💪

中学浪人〜大好きな人がいた高校時代

高2 1992/7

高校受験を失敗して浪人することになった。

私は団塊ジュニアだし人口も多く、それに青森県は、当時は私立受験は1回、県立は1回で計2回しか受験のチャンスがないので浪人する人も他県に比べたらいる方だ(と、大人になって知った。)

 中学校の先生に相談し、何校かある中から予備校を決めた。通い始めたら、中学1年の時同じクラスだった男子2人もそこで浪人するらしく、元々中1の時は話す中だったので(K也は定期テストを競争したり、アイスを賭けたりする仲。もう1人のN樹は席が隣だった。誰からも愛され、笑ってごまかすようないつもニコニコしてるやつ。マコみたい笑)自然に3人で通うようになった。楽しかったなぁ。3人でいる時、私服だったし、いろいろ悪いことも3人でしたなぁ。制服じゃないから補導されないし。辛いと思われがちだが、確かにもう1年、中学の勉強するのはダルいんだが、今振り返ると楽しかった。この後、高校も同じで、大学受験に失敗した時も3人でかつての同じ予備校へ通う羽目になり、その時、

「あなたたちはどうしてまた3人でここに戻ってくるの?3年前あんなに勉強したでしょ」

と当時の予備校の先生にいわれた始末。ハリーとロンとハーマイオニーみたい。全然恋愛はなかった3人だけども。彼らがいたから、勉強もしたし、負けたくなかったし、楽しかったし、言いたいこと言い合えたし。今では年賀状のやり取りしかないけど。

 なんやかんや3人とも無事弘前高校に合格。高校の準備など、やはり彼らは良い相談相手になった。不安もなく高校に通い始めた。

前のブログで、中学時代は怖いものがなく一番性格が悪かったと書いたが、高校に通うときは心を改めようと思った。一つ年上で入学するので、周りの人に先輩扱い、特別扱いされるのは避けたかった。同じ同級生として接して欲しかった。かっこよく見せたいとか馬鹿にされたくないとか言う人もいると思うが、私の望みは何よりみんなと同じ歳であるように過ごすこと。

だから自分を変えたんだ。そうしないとダメだと思った。

今までの、人を馬鹿にするような態度を改め、自分がアホになろうと決めた。実際は受験に失敗してるのだから、普通に弘前高校に入ってくる人たちよりアホなわけだし。これ事実。

 写真は高校2年生のクラスメイトと。弘高祭のときなはず。私の隣に写ってる女子は1年の時も一緒。最初の入学式、ドキドキしながら良いクラスメイトに出会えるかとか勉強ついていけなかったらどうしようとか思って待ってた時、彼女は入学式の列、席につく前、私に話しかけながら椅子につまづいて転んだ。最初に話し、友達になってくれた人。彼女とは高校2年の時もクラスが一緒で仲が良かったが、1年を終えて、2年のクラスが発表になる前、2人で、S先生のクラスになるんじゃないかと話したっけ。実際、同じクラスになり、担任はS先生だった(厳しい英語の先生だった)

なんというか、ジョジョ考察で書いた運命論とはちょっと違うんだけども、縁がある人との出会いというのは最初の出会い方も記憶に残っている。ある芸能人が結婚報告の時、ビビビ婚って言ったことあながち間違ってないと私は感じる。

似たようなエピソードがある。

 入学後、程なくして目にした男子、態度や見た目が嫌いだった。悪目立ちし、どうやら男子の間では一目置かれてるのかもしれないが私は彼から漂うオーラが嫌いだった。他のクラスだし、まあ友達でもないので関係ないので私が見なければ良いだけのこと。実際彼は私のことなど知らないわけだし、今後関わることのない人のはずだった。

2年の時同じクラスになった。嫌だと思うからダメなんだと、言い聞かせて、でも話したら面白い人だった。2年の時はN樹も同じクラスで、席も隣で、N樹は誰からも愛されキャラだったので、男子には人気があったんじゃないかな。彼の周りは、今で言う陽キャも陰キャも集まる感じで、私の苦手なやつももれなくN樹をからかっていた。(要するにN樹のおかげで私も2年のクラスに馴染むのが早かった)。とても楽しいクラスだった。

 3年の時、苦手だった彼とまた同じクラスになった。3年の時はかなり仲良くなった。(2年の時はクラスメイトくらいだったような)。あろうことか本当に仲良くなった。彼は実はモテ男であったらしい。歴代の彼女が何人いたかは私は詳しく知らないし、聞いてもないけど。

一緒にいる時間も電話で話す時間も多くなった。彼には彼女がいた。私は知ってて好きになってしまっていたらしい。気づくのに時間がかかった。

最初の印象が最悪だったやつなのに。

ある出来事がきっかけで自分の気持ちに気づいたのは大学受験間近の頃。なんか騙されたような、嫌いだった相手なのに勝ち逃げされてしまったような悔しさが当時は感じていたかな。なんの意地を張ってたのか、高校卒業するときも自分の気持ちを伝えることをしなかったけども(まあ、彼は私の気持ちは分かってたはず。私もバレてるの承知でお互いやりとりを繰り返していた)。

彼は東京の大学に行くとわかっていたし、私は正直どうなるかわからなかったし、告白したとて仮にうまくいっても、恋愛下手な私は彼と付き合っていける自信もなかったから。

 結局、高校卒業しても何年かはモヤッとしたままでいたね。

(これ、高校時代の同級生が目にするかわからないけど、もう時効ですね)

 今だから言えるけど、私は恋愛って漫画やドラマの世界だって思ってて、周りの人たちのも見てきたけど、なんだか他人事で、私にはそういう恋愛 は一生来ないと思っていた。ここでは書けないけど、この3年生の時のやりとりは私にとっては実にドラマチックで、現実にはドラマ以上にドラマチックなことがあるとわからしめた出来事。

どこか冷めてて、クールな私でもこんなに感情的になるほど人を好きになることってできるんだなって、初めて自分の知らない自分がわかった出来事。これだけでもすごいことだと思う。知らない自分が他人によって知ることができたんだもの。幸せなことでしょ。

 私は後悔している。あの時自分の気持ちはちゃんと伝えるべきだったと。付き合えるとか付き合えないとかでなく、恋愛だけでなく、自分の気持ちは相手に伝えないと後悔する。

そして、感情を表に出すことも必要だとわかった。クールなフリするのはやめた。ちゃんと相手と向き合うために、感情も気持ちも吐き出すことはしよう。

 恋愛において、相手がいる方を好きになったら告白できないじゃんって、好きな人の好きな人を傷つけるかもしれないっていう人いるけど、先に進むかどうかは本人次第。それに、気持ちを伝えないことで相手を傷つけることもある。関わる人たちのこと本当に考えるならちゃんと正しく伝えるべきだ。誰も傷つけたことない人なんてこの世にいないし、逆に、傷つけたくないからっていう人は傲慢だと思うよ。

(もちろん誠意がないこととか言わなくてもいいことはあるが)

 だから、この時から私は自分の気持ちに正直になろうと決めた。腹に隠すのはやめた。迷うのもやめた。

1度きりの人生。みなさんも後悔しないように。

次回 「予備校で出会った先生の言葉」編

かな