
ⅱ.青森市合併後。浪岡地区の今。そして。
現在は、当時の活気があった街とはかけ離れてしまった。元々弘前市と青森市を結ぶ国道7号線沿いにあり、JR奥羽線が中央を走り、土地が安いこともあって、私がいた頃は両市のベッドタウンとして、注目されていた最中であった。今は見る影もない。青森市街から遥か離れている浪岡地区に手を入れている余裕も青森市にすらないだろう。あの頃、人口が30万に足りない青森市は浪岡町の2万の人口がほしかただけだ。浪岡町でなくてもよかった。当初は浪岡ではなく他の町村との合併を考えていた節があるがそこの町村が合併を拒んだらしい話がある。賢い選択だ。浪岡と合併したばかりの頃は人口30万に達し念願の中核都市になった訳だが、今現在の青森市は人口27万ちょっとで減少傾向にある。
私の父は合併反対派の人間。当時の総務課長。実際に行政を握るNo.2である(当時、共同通信社を賑わしていた張本人)。そんな父の元、だから私も合併反対なんだろうと言われれば影響がないわけではない。しかし、合併後どんな様になるかは容易に想像がつく。あの当時まだ具体的ではなかった頃、浪岡町民っていう聞こえより、県庁所在地で、自分が青森市民であると言いたかっただけ。実際、町民に問うても、「合併したら何がダメなの?青森市出身ですって言える方がかっこいいじゃない」と言ってる人がどれだけいたことか。他、青森市との合併に協力したら、青森の仕事回してくれるらしい(土建関係)とか、そんな噂がどれだけ聞こえてきたか。そんなわけないであろう。仕事もあるかもしれないが、ライバルも増える。努力するなら別だが、甘い汁だけ吸えるわけなかろう。
そして、結果、浪岡地区には手入れをせず、浪岡でやれた仕事は青森の会社にとられ、倒産、インフラはボロボロ、大きな病院は一階建ての診療所に。帰省するたびに、道路が穴だらけ。車で帰るので、リアルに寂れた感が身に染みる。浪岡中学校は水泳部が強く、私の同級生は千葉すずと一緒にアジア大会でメドレーリレーを泳いだ子もいるくらい強い部で(その子の他にも全国クラスが多数いる)、プールは50mプール。今は水も入れてもらえず、体育の授業ではスイミングに行くらしい。アホらしい。本当に。こんなに変わるのだ。青森市と弘前市の間にある地区が過疎の村のようになってしまうのだ。普通の地域であれば考えられないだろう。青森自体の行政力もあるだろうが、あの時の安易な民意で浪岡町は死んでしまったと思っている。でも合併が決まってからはこの末路にとっくに想像がついていた。
大学の講義では住民自治は素晴らしい制度であると学ぶが、もっていけるのは議会まで。そこで否決されたら終わり。結局民意は届かない。
だからこそ、有権者の一票は重いんだ。そもそも合併推進派の町長を当選させたのは浪岡町民。後になって合併は反対だって言ったって無駄。自分達のもっている一票がどれだけ重いのか心して有権者であることを自覚すべきだし、しっかり勉強してくれ。子供たちよ。
私が地域貢献したい理由はここにありました。栃木県は東京から近い。でも東京と違い、人間らしい生活もできる(語弊があったらすみません)。自然豊かだし、いい景観の写真が撮れるスポットもたくさんある。そして目指せる地方分権がそこにある。
行政だけではなく、経済も併せて、これからは地方から中央に向かっていく時代。日本経済をスポーツ振興で盛り立て、まだまだ伸び代がわからないbリーグが先導してほしい。そして、大手のスポンサーがついてなくても、地域のブースターさんが支えている宇都宮ブレックスが鍵になる。まさに地方から中央に向かうベースがもうできている。今はまだまだ大手のスポンサーがついているところが有利な気がするが、これから先はどうなるかわからない。そうなった時、元々地域ブースターさんで支えている宇都宮ブレックスは壊れない。
なべさんは、宇都宮に貢献したいと言ってくれた。私は地元にも、今住んでいるこの地にも何もできてないが、そう言ってくれたなべさんを応援することはできる。だからとても尊敬しているのです。私にはなべさんについて行く理由がある。
私に、何ができるのか。何もできてないし、これから先もどうすべきかわからない。目標があってもどう動いていいかわからず、毎日もがきながら生きています。残りの人生半分過ぎました。
さてどうする。模索する人生はまだまだ続くのです、たぶんね。