伝え方と聞き方②

富岩運河にて 2022.4.17

2022.4.17は富山市まで行ってきました。急に思い立って決めた富山遠征。全然行くこと考えてなかったんだけど、今シーズンも残りわずかとなると寂しくなってしまいましてね。行けるうちに行ってしまおうとなりました。

現地でお仲間さんと再会。他まこドラさんたちにもご挨拶できまして、毎回毎回思うけど、遠征ってお金かかるんだけど、実に内容が濃い。アウェーまで応援に行けるブレ友さんたちも少ないせいもあるかもだけれども、よりつながりが強固になれる気がするし、応援団が少ないせいか、選手たちがしっかり手を振ってくれる気がする笑笑

こういう言い方はなんだが、「お金がかかる分も回収できる」と思った今シーズンの遠征でした。

さて本題ですが、今回の遠征の内容はあんまり関係なかったんだけど、関係あるのはお仲間さんのこと。何回か遠征シリーズで書いているんだけど、あんまり会えない別地域に住んでる人たちだけど、距離感があんまり苦にならないんですね。それはなんでか考えてみました。私はあまり人見知りではないですが、そんな私でも気を使わないわけではありません。どこまで踏み込んでいいのか、私の発言に対してどういうふうに思っているのか、またちゃんと理解してくれているのか。。。人同士の付き合いってここがとても重要だよね。ここが掴めないと、次からはあんまり会いたくないって思ってしまうでしょ。疲れるから。

 私は割と言いたいことを言いたいようにいってしまう方ですが、人の考えを聞くのも好きです。だから建設的な意見を出せる人は尊敬するし、また会って話をしたいと思います。前回も書いた通り、伝え方も大事ですが聞き方も大事で、ちゃんと聞けないと内容を理解できず、そこからは建設的な意見は生まれません。そして、建設的な意見を出せる人は普段からしっかり考えている人です。さまざまな事象に対し、ありとあらゆる角度から物事を見ようとしているからこそ考えが生まれるし、またその考えを言葉にして表せるということになります。普段から、またこの辺りは子供の時からの訓練が必要なことかもしれませんね。思ってるだけではいざという時相手に正しく伝わるような表現はなかなか難しく、また一方的な考えでは、意見を出した時薄っぺらい説得力の欠ける意見になってしまいます。

お仲間2人はどう思っているか本当のところはわからないんですが笑笑、この2人はバスケのことだけではなく、またまこドラのことだけでもM6Hのことだけでもなく、自分の価値観のもとにしっかり考えて意見を言えて、そして聞き方もわかっている方達です。だからこそ、私が考えを述べてもただ追従することはせず、説得力があるからこそ、こっちも、反対意見であったとしても「そっかー」と素直に聞けるわけです。

一番嫌いなのは、その場で意見を言わず(なぜなら、自分の意見に対して反対意見が出たり、それによって悪い評判が立つのが嫌だから)、後になって、どこか違う場で表面上だけ大人ぶった意見をする人です。私には、話し合いのテーマを他の誰かに出させておいて、意見の方向が定まってから、マイノリティを批判するというやり口の人は卑怯でしかないと思っています。ですが、SNSでも見るように、また大衆の意見でもよく見るように、多数派の考えの中にいないと、ダメなんだという風潮が日本にはまだまだありますよね。言論の自由や表現の自由が等しく付与されているにもかかわらず、マイノリティは白い目で見られることが多いですね。

私はよく、わがままな意見が多いとか変人だとか、普通でないとか言われがちなんですが、わがままでない人っていないと思っています。人と人と付き合う時、相手方の気持ちを汲み取ったり、空気を読もうとは誰しもしていると思うし、それがコミュニケーションをとるということかもしれませんが、所詮、自分の口から出る言葉は自分の価値観から出る言葉。結局誰しも自分本位なのです。

 今シーズンも終わりに近づいていますが、私にとっては実に濃いシーズンでした。色んな人とおしゃべりしたりするけど、ましめな話もふざけた話も、意外に薄っぺらでわかったような表面だけのお話って多いんですよね。その中で貴重なお仲間さんに出会えたことに感謝します(これ、本当ね)。

縁とか出会いってどこに転がっているかわからない。大事にしよう、本当に。

平成の大合併〜出身地がなくなるということ〜 ②

2022.1 年明けまだ雪深い実家前の公園にて

ⅱ.青森市合併後。浪岡地区の今。そして。

 現在は、当時の活気があった街とはかけ離れてしまった。元々弘前市と青森市を結ぶ国道7号線沿いにあり、JR奥羽線が中央を走り、土地が安いこともあって、私がいた頃は両市のベッドタウンとして、注目されていた最中であった。今は見る影もない。青森市街から遥か離れている浪岡地区に手を入れている余裕も青森市にすらないだろう。あの頃、人口が30万に足りない青森市は浪岡町の2万の人口がほしかただけだ。浪岡町でなくてもよかった。当初は浪岡ではなく他の町村との合併を考えていた節があるがそこの町村が合併を拒んだらしい話がある。賢い選択だ。浪岡と合併したばかりの頃は人口30万に達し念願の中核都市になった訳だが、今現在の青森市は人口27万ちょっとで減少傾向にある。

私の父は合併反対派の人間。当時の総務課長。実際に行政を握るNo.2である(当時、共同通信社を賑わしていた張本人)。そんな父の元、だから私も合併反対なんだろうと言われれば影響がないわけではない。しかし、合併後どんな様になるかは容易に想像がつく。あの当時まだ具体的ではなかった頃、浪岡町民っていう聞こえより、県庁所在地で、自分が青森市民であると言いたかっただけ。実際、町民に問うても、「合併したら何がダメなの?青森市出身ですって言える方がかっこいいじゃない」と言ってる人がどれだけいたことか。他、青森市との合併に協力したら、青森の仕事回してくれるらしい(土建関係)とか、そんな噂がどれだけ聞こえてきたか。そんなわけないであろう。仕事もあるかもしれないが、ライバルも増える。努力するなら別だが、甘い汁だけ吸えるわけなかろう。

 そして、結果、浪岡地区には手入れをせず、浪岡でやれた仕事は青森の会社にとられ、倒産、インフラはボロボロ、大きな病院は一階建ての診療所に。帰省するたびに、道路が穴だらけ。車で帰るので、リアルに寂れた感が身に染みる。浪岡中学校は水泳部が強く、私の同級生は千葉すずと一緒にアジア大会でメドレーリレーを泳いだ子もいるくらい強い部で(その子の他にも全国クラスが多数いる)、プールは50mプール。今は水も入れてもらえず、体育の授業ではスイミングに行くらしい。アホらしい。本当に。こんなに変わるのだ。青森市と弘前市の間にある地区が過疎の村のようになってしまうのだ。普通の地域であれば考えられないだろう。青森自体の行政力もあるだろうが、あの時の安易な民意で浪岡町は死んでしまったと思っている。でも合併が決まってからはこの末路にとっくに想像がついていた。

 大学の講義では住民自治は素晴らしい制度であると学ぶが、もっていけるのは議会まで。そこで否決されたら終わり。結局民意は届かない。

 だからこそ、有権者の一票は重いんだ。そもそも合併推進派の町長を当選させたのは浪岡町民。後になって合併は反対だって言ったって無駄。自分達のもっている一票がどれだけ重いのか心して有権者であることを自覚すべきだし、しっかり勉強してくれ。子供たちよ。

 私が地域貢献したい理由はここにありました。栃木県は東京から近い。でも東京と違い、人間らしい生活もできる(語弊があったらすみません)。自然豊かだし、いい景観の写真が撮れるスポットもたくさんある。そして目指せる地方分権がそこにある。

 行政だけではなく、経済も併せて、これからは地方から中央に向かっていく時代。日本経済をスポーツ振興で盛り立て、まだまだ伸び代がわからないbリーグが先導してほしい。そして、大手のスポンサーがついてなくても、地域のブースターさんが支えている宇都宮ブレックスが鍵になる。まさに地方から中央に向かうベースがもうできている。今はまだまだ大手のスポンサーがついているところが有利な気がするが、これから先はどうなるかわからない。そうなった時、元々地域ブースターさんで支えている宇都宮ブレックスは壊れない。

 なべさんは、宇都宮に貢献したいと言ってくれた。私は地元にも、今住んでいるこの地にも何もできてないが、そう言ってくれたなべさんを応援することはできる。だからとても尊敬しているのです。私にはなべさんについて行く理由がある。

 私に、何ができるのか。何もできてないし、これから先もどうすべきかわからない。目標があってもどう動いていいかわからず、毎日もがきながら生きています。残りの人生半分過ぎました。

 さてどうする。模索する人生はまだまだ続くのです、たぶんね。

平成の大合併〜出身地がなくなるということ〜①

2022.1 年明けまだ雪深い実家前の公園にて

ⅰ.浪岡町とは。合併に至る経緯。

*私見を含みます。また振り返っての文章なので、間違いがあったらすみません。

2005.4.1 浪岡町は青森市と合併し消滅した。

今は青森県青森市になってしまったが、元は青森県南津軽郡浪岡町であった。南津軽郡に属していたので当然のように学区は中弘南黒地区(中津軽郡、弘前市、南津軽郡、黒石市をまとめた地区)。なので当たり前のように弘前の高校を選び、大学も地元の国立を選ぶなら普通にJRで通いなれた感じだからまあいっかくらいの感覚だ。

 この頃は浪岡町に終焉が来るとは思っていなかった。

 中学になると社会科で地理や歴史、公民を勉強するが、地図帳を見るのが好きであったし、人口密度やその街の産業など調べるのが好きだった。自分の住んでいる浪岡町の特性や、他と比べての強み、また弱いところなど、自分なりに分析して父と話したりしたものだ(父親は浪岡町の職員であった)。小学校6年の時の夏休みの自由研究で、浪岡町の城跡、浪岡城について全校生徒の前で発表したりなど思い入れがある。りんごの生産量は弘前市が全国一位であるが町村で見るなら浪岡町が一位であった(その当時)

*浪岡城とは

築城主 北畠顕義(始祖 北畠親房 後醍醐天皇側近「後の三房」の筆頭。『神皇正統記』が有名)途中の系図は諸説あり。1460年代に築城。1578年大浦為信(のちの津軽為信 弘前城築城主)により落城。参照資料Wikipedia

合併問題が起こっている頃、ちょうど長男の出産のために里帰りしていた時だった。当時の浪岡町役場の町長が合併推進派であったこと、青森県知事、青森市長、代議士と懇意であったため、今思えばこの町長が当選したのは合併を進めるためだったとしか思えない。しかしながら、どんな選挙活動をされていようが、一票を投じるのは浪岡町の有権者である。結局、町民の意思(民意)なのであろう。そう思うしかない、今となっては。しかし、いよいよ具体的に決まりだすにつれて、町民は気づき始めた。新しく合併反対派の町長にとって変わっても、合併が議会で可決してからでは遅かった。合併の是非を問うための住民投票を行うも、反対派の署名がおよそ9割であっても、県で賛成多数で議決、合併決定書が出された後では覆るはずもなかった。県に出される前から浪岡町の町民は署名活動を行い民意を主張すべく議会に提出するも2回とも否決。そもそも合併推進派の議員多数の中、通る訳などなかった。

 まだ大学生だった1999年当時は、政府主導で地方分権を推進する観点から合併を促す動きではあったが、浪岡町は単独で行く方針を貫いているはずだったし、まさか合併になるとは。編入合併という形になるので、2005.4.1をもって浪岡町の法人格は消滅した。

 合併自体が悪いと言っているのではない。地方分権を推し進め、国家の機能を分担していくべきであるし、その考え方からも、あの当時、合併を促す方針は時代背景としては間違ってない。(当時は規制緩和、金融ビックバン、郵政民営化、第3次ベンチャーブームの時代。国家の機能が成熟し、機能を縮減すべく、一部は地方や民間などに委ねていく流れ。転換期)

 しかし、地方の在り方を今一度考えるということはいい。しかし、浪岡町にとって、青森市との合併は一番避けなくてはいけない合併の形である。このまま単独で行くか、せめて近隣の町村と合併するか、山一つ超えた青森市と合併するなど、考えたこともなかった。浪岡町は地理的には青森市と弘前市の間に位置する。弘前市と浪岡町の間にはいくつか南津軽郡の町村が間にあって、弘前市との合併はまずない。浪岡町にとって一番いいのは単独で行くこと。青森市とは隣り合っているが実は山一つ挟んでいて、浪岡町から青森市街に行くにはなかなかの距離がある(冬場は山を越えるのに道路が凍結して、地元民でもなかなかしんどい)

町民にとって、一番あってはならない合併が実現してしまった。

次回へ続く

ⅱ.青森市合併後。浪岡地区の今。そして。

 

Happiness

本日4/7 午後 TSUTAYA宇都宮駅東店 Tully’s coffeeさんにて

  今日はお休みでした。

 仕事の疲れが全然取れない今日この頃。若い時からなかなかいい睡眠が取れないんだけど、年齢が上がるにつれてもっと眠れなくなって、ますます疲れが取れない日々です。(なべさんくらい枕持ってますw)

今日は写真の整理とブログの更新はしたいと思っていたんだけど、お家でやるのもなんかだし、いつものタリーズへ。真岡から宇都宮までって道路混むし、30分以上かかるんだけど車走らせてる間っていろいろ頭が冷えるというか、冷静にいろんなことが考えられるからブログのネタもたくさん浮かぶし、仕事で頭に血が昇ってる時も帰宅までの運転の時間に落ち着くことができる。また試合の後なんかは大好きな音楽聴きながら余韻に浸ることもできるしね。

  だから意外にロングドライブも好きなのです。

そんなこんなでタリーズでアイスコーヒー飲みながら写真を見ながら

「マコさん、この人なんでこんなにかっこいいんだろう」

って1人でにやけてたんですが、ふとこの時間ってとても幸せなことだなって感じました。

昨日ね、職場でもちょっとしたいいことがあってね。異動してからはなかなか体力的にしんどいし、人間関係また最初から構築しないとだし、しかもスタッフ数3倍だよ、前と比べて。疲れてて参ってたんですね。そんな時、お客様に声かけられてご案内していたのだけど

「お姉さんの履いているそのパンツも、ここのですか?それも見たいんですけど。。。」

「はい、そうです。ご案内いたしますね」

「ありがとう、それめちゃかわいい。履いてみたい」

接客してて、何が嬉しいかって、私は接客態度がいいとか、丁寧だとかより、服を褒められるのがとても嬉しいです。同じものが欲しいとか、着てみたらそんなふうになるんですね、かわいい、とかいってもらえるのが何より嬉しいんです。元々接客が好きでもないし、服のセンスがあるわけでもない。ただ自分が似合うものは知ってる。着たいものを着たいようにしてるだけなんだけど、実はこれがその人を一番に素敵に見せるコツだと思ってるよ。

もう一つ。 私、実はネタによってblog、Amebaでも上げてるものあるんだけど(いじめや克服したこと、中学高校、挫折などのネタ)、まだまだほとんど読んでもらえてないんだけど、どこかの塾の先生から「いいね」もらったりフォローしてもらったりされて、嬉しかった。

いじめを克服したり、受験の失敗とか挫折の経験とか、世の中にいっぱいあると思うけど、乗り越えられなくて、もしくは乗り越えたつもりでいて、実は自分の中でないことにしちゃってたり(実はこれが一番多い。忘れることは必要だけど、次に活かせるように、ちゃんと反省する。って難しいんだけどね)教育関係の職についてる人の一番の解決すべき問題はきっとここ。なかなか導くのに難しい問題だと思う。私はその時その時に導いてくれる人に巡り合ってて、だからblogに残そうと思ったんだけど、この文章を、教育現場にいる人の目に留まってくれたことはとても嬉しく、書いてよかったと思いました。1人でも多くの方が読んでくれて、誰かの何かの足しになれますように。

人間って1人では生きていけない。必ずどこかに帰属していて、それが人と他の生物との違いなんだそうです。(自己とは何か?かつての大学の講義 哲学概論で学んだこと)

 人との関わり合いの中で、普通にそこにある日常に幸せがありました。

ブレックスの写真を整理しながらしみじみと思う、今日の1日でした笑笑

優しい人

比江島慎選手 2022.2.5 広島戦(広島グリーンアリーナ)

(マコさんの写真は、この内容のイメージ像です。内容はあまり関係ないです)

マコさんの表情を見ていると、本当に優しい人なんだなって感じる。

オンラインサロン内で受けるサービスや、ほかSNSなどで時折見せる言葉や表情、いろんな立場の人のいる中でもそれぞれに気を遣った言葉を選んで発言してくれているなってわかる。

私たちは1人では生きていられないし、人間同士の関わりの中で生きている。だからどうしてもわかってしまうよね。同じ言葉でも発する相手の表情や態度でわかってしまう。この人は本当に自分の事を思ってしゃべってくれているのか、、、

優しい言葉でも人のことを下に見るような表情。きつい言葉でも寄り添い、相手の今後を考えた発言。知らず知らずのうちに私たちは体で理解してしまう。

ある時、お互いに知ってはいたものの、それすら知らないふりを続けるだろう人がいたのだが、そのひととたまたま近くで顔を合わせる機会があった。そのときは急いでいるふりをして軽く会釈してやり過ごした。なんとなく気まずい感じね。その後程なくしてまた会ってしまった。どうやら目的地が同じらしい。2回目なのだからとりあえず挨拶や軽い言葉は交わしておいたのだったが。その後、なんとなく気まずい私は少しタイミングをずらして目的地へ向かったのだが、その目的地でなんとまた顔を合わせてしまった。目的地は人混みの中。あれだけ人がいる中で、どうしてまたしかも正面からぶつかってしまうのか。その時の彼の表情がとても穏やかで優しかったのを覚えている。彼はきっと人見知りだ。話しかけない方が彼のためだし、気を遣わせると思っている。だからこちらも知らないふりをしていたのだが、だが、彼はとても優しい顔で微笑んでおり、

「お先にどうぞ」と言ってくれた。

「いえいえ、先に行ってください」

優しい表情で軽く会釈をし、彼は先へ進んで行った。

よくあるエピソードな気もするが、相手によってはめんどくさい態度もされるし、話しかけるなオーラを出す人もいる。人間関係って難しくて、私は誰にでも話しかけてしまう方だから、人によっては鬱陶しいタイプだと思うよ。だから距離感つかめない相手には気も使うし、空気を読もうとする。

さっきのエピソードの彼はそういう雰囲気を出さない人だった。おとなしくてなかなか他人と仲良くなれない感じな彼であるが、人間性というか心の底の底にある部分がとても優しい人、なんだな。

後にも先にも、これ以上は関わり合わない彼であるがとても私に温かいものをくれた彼でした。

ただのそれだけの、それでいてとても影響のある、こんな出会いもあるんです。

伝え方と聞き方(自分の意見を述べると言うこと)

 思ったことがありまして、、、

最近の、まあちょっとした出来事と、異動した職場でのやりづらさと合わせて、気づいた事。

なんでやりづらいのか?

異動した先ではやるべきことがある。と思っていたのだが、その前に私が変わっていかなければいけない事もあったわけです。この一ヶ月気付かないで過ごしてきました。

なので、いろいろとそう簡単ではないし、うまく行くわけがないのです。考えてみれば相手は私がどんな人か知らないし、信頼してもらえるわけがなかった(当たり前)。自分の行動で信頼は勝ち得ないといけないんですがどうにもこうにもうまくいかないわけです。

自分にとっていい事だろうが悪い事だろうが、はっきり言ってほしい。私はそういう性格なのですが、相手がそうであるとは限らない。自分がそうだから、どうしてもはっきり言う癖があるんですね。言い方を気を付けないと、また一生こちらのことを聞いてもらえない。コミュニケーションって難しいと痛感した一ヶ月となりました。

しかし、そうはいっても言うべきは言わないといけない。相手は意見されたと思うらしいのですが(文句を言ってるわけではないんだけど)、私がまだ信頼されてないせいかもしれないですが、まあきっと相手は面白くない。2回目からは理論武装してこちらの言うことを最初から聞かないように構えて来られました。一ヶ月経って今はちょっとずつですが私も相手も少しずつお互い妥協して前に進めてはいます。コミュニケーションって相手がいるから成り立つ事。相手は自分じゃないので、どうにかこうにか伝わるように言葉も選んでいかないといけないと思うのですが、一方的に言うだけではコミュニケーションは図れないので、聞く力もないといけないわけですよね。相手が理解しなければ伝えたことにならず、それを理解するには相手が言ってることもこちらが正しく聞く力がないといけないわけです。

表裏一体、伝える力と聞く力。

これがSNSになったときはもっと大変。文章になるので、自分が意図しない捉え方を相手方がするときもあります。こちらもわかりやすい文章は心がけますが、自分が聞き手(この場合は読む側)に回るとき、客観的に読んで理解することが冷静にできるか。人だから、どっちからかの側の立場に立って読もうとする癖って誰にでもあると思っています。そして相手の顔が見えない分、文章でしか確認しようがないので、余計に難しいんですよね。

気をつけないといけない。

だからと言って、相手に合わせるばかりで、「意見があっても言わなければ大事には至らないから」という理由で、考えを出さないことがいいことでそれが大人のする態度であるとも思いません。むしろ、言わずにやり過ごすことは私の中では卑怯であり、はっきり意見を言う人に責任を押し付けているように思えるからです。建設的な意見はたくさん意見のある中からでないと生まれてこない。言うべきが必要です。そして聞く力(理解力)がないとその意見が建設的かどうかも判断がつかないと言うことが起こります。(誤ると、思い違いで間違った方向に発展し、場が炎上する。SNSの場合)

日本は民主主義の国。相手を傷つける発言は良くないけれども表現の自由があることをありがたく思います(そうでない国もまだまだあります)。大事なのは伝える力と聞く力を身につけること。心がけよう、私。

お仲間さんと旅②〜大阪戦編〜

2022.3.16 大阪戦 おおきにアリーナ舞洲 宇都宮ブレックス 比江島慎選手 遠藤祐亮選手

 お仲間さんとの旅第2弾は大阪戦。

 この試合もツインズのマッチアップが観れるということでとても楽しみにしていた。今回は第1弾の時に参加できなかったみきみきを交えての3人。(他🍋6とわたし)

 今シーズンが始まる目前にSNSを通じて会話するようになっただけの、マコ友さん。のはずだったのに、まさかみきみきのマンションのゲストハウスにお世話になるとは。
笑える。

 2022.3.16 大阪戦(おおきにアリーナ舞洲)の試合は終始宇都宮ブレックスの流れであったし、チームの雰囲気も非常に良くファンとしては嬉しい内容。何だかこの日は選手のみんな明るく機嫌良さそうに見えたなぁ。私たちは選手の楽しそうな様子を見れて余計に嬉しくなるわけだし、そんな雰囲気だからノリにノッた勝ち方ができたのかもしれない。だけど、点差が開いたことや一度マコさんが足を気にしたこともあってか4Qあたりになってくるとマコさんはあまり出て来なくなった。私や🍋ちゃんはそういうのあんまり気にしないんだけど、みきみきはさみしそうだったな。久しぶりにマコさんのバスケが見られたんだもの、当たり前だよね。私は宇都宮ではないけど、近隣に住んでいるし、ブレックスのホームゲームは時間がある限り観戦に行こうと思っている。🍋ちゃんはそもそも趣味がバスケ観戦みたいな感じだし、みきみきに比べるとマコさんのバスケ見れている方なんだよなぁってしみじみ思うやつだった。気付かされたというか、当たり前のようになってしまっていた。いかんなぁ。移籍の時期が近づくと寂しい気持ちでいっぱいになるが、三河時代からのファンはそういう寂しい思いしたんだものねぇ。試合ごとに感謝しなくては。
  

 ところで🍋ちゃん、みきみき、私(本当は他にもいるんだけど今回は不参加)がお揃いで持っているアレ🐨。3人揃うこともあり、そのうえ席が3人並んでるせいもあり、この機会を逃すはずもなくやるでしょ。そのこと、マコさん、遠藤さんにいじられたみたいで、こちらとしてはネタにしてくれてありがとうといったところ。どんなん内容でもいいからチームのみんながマコさんのこといじってくれるのはマコ推しからすると嬉しいんだよね。なべさんもいつもマコさんのこと気にしてくれているし、そういうところみれるのも幸せなんだよね。
この応援できる日々が長く続きますように。。。大好きな黄色三兄弟がバラバラになりませんように。。。

 今回の旅もあらためて、この不思議なというか妙な縁を感じずにはいられなかった。マコさんが好きだけど、アウェーまでも許す限り行きたいと思う今。そして共通の推し仲間と一緒の旅。ほんの半年前にSNSでなかよくなっただけ、共通はマコが好き、たったそれだけだけど一緒にいる間、居心地もよく、本当に楽しかった。きっと距離感がちょうどいいのかもしれない。喋らない時間も、1人でいる時間も、そして一緒に行動する時の間。常に一緒に行動したいタイプでも、だからといって常に1人でいたいわけでもない。そういう意味での距離に気を使わなくてもいい2人だ。私にとっては(向こうが合わせてくれてるかもしれんが笑笑)。
 

 本当に不思議だね。みきみきがマンションに着いた時「何でここにおるん?半年前に知り合ってまだ2回しか会ってないよね笑笑」って言った時「ほんとだね」って。でもね、なんか実は何も考えてなかった。ごく普通に友達の家に行くような感覚だったよ。


 マコさんが結ぶ不思議で、妙な縁。でもとても嬉しかった出会い。私にとっては本当にマコ様は神様なのかも。
 

 ありがとうございます。そして私と付き合ってくれてる皆様、出会ってくれて感謝。🍋ちゃん、みきみき、今回も、そしていつもありがとう。

お世話になりました

 (公開日 2022.3.1)

この3/1からわたしは職場が変わります。今の職場にバイト時代からも合わせて、かれこれ何年いたかなぁ15年くらいいたのかもしれない。いいことも悪いことも、人間関係でもいろいろあったし、出来の悪い私なのに、同僚たちには迷惑かけっぱなしだったと思います。自分のことばっかり主張してさ、こんなに頑張ってるのに。どうしてどうして。私ばっかり頑張ってるって思ってた時期あったかも。思えば本当にわがままだったし、好き勝手に言いたいことばっかり言ってたと思うよ。それに気づいたのは代行業務に携わるようになってから。自分自身のスキルがあがって、いろいろできるようになって、店舗を回すのにスタッフにどういう風に働いて貰えばいいか考え、どうやったら効率よく回せるのか、そういう目線で見た時、初めて過去の自分と向き合えるんだよね。あの時の私は、こっちの立場で見れてなかったなぁとか、それなのに好き勝手いって周りを振り回してんだなぁって。当時の店長と代行者、相談相手には本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。
 今、異動がリアルになってつくづく思います。なぜ自分が社員を目指したのか。何を考え、目標にし、達成させたかったか。そのために必死でやってきてそういうふうにやってきたら、昇格もついてきて、、、でも、本当の私の目標はまだ達成できていません。毎日毎日運営していくのにやっとで、目指す運営も理想に掲げてた代行者像にもなれていない、不甲斐ない自分。
もっとできることがあっただろう。もっと上手に時間使えただろう。この何年間、何をしてきただろう。みんなのために何をしてあげられたのか。

後悔しかない。
 

 人生もきっと一緒。このブログで後悔しないように、なんて私よく書いてるけど、自分が全然できてないね。正直、後悔しない人生なんて嘘っぱちだし、後悔があるから成長もあるとは思うよ。
でも、店舗における私の働きは、この長い時間はもったいなかったし、この間にやめていったスタッフにも申し訳が立たない。人の時間にも関わることだったのだから。
新天地においても、新しい目標は決まってます。達成できるまで、頑張るしかないし、もちろん私だけでは達成できるわけなく、全員に目標に向けて協力を仰ぎ、導くのが私の仕事だ。また、スタッフのみんなに迷惑をかけ、感情を露わにし、揉め事になったり、泣いたり、凹んだり、、、しながら毎日を繰り返すのだろう。
どんな状況においても環境を受け入れ、成長していけるように、せめて自分にはいい聞かせよう。あらゆる種、生物の世界でも環境に適応できない種は滅びゆく。受け入れ、成長するものは進化を遂げるではないか。


 こういうふうに振り返り、決意を新たに進もうと思えるのはお世話になった店舗のおかげ。みんなありがとう。私はわがままだったよね。付き合ってくれてありがとう。感謝の一言だよ。
そして、これから先にどのような未来があるのか、、、とても楽しみにして、前へ進んでいこうと思います。

徒然なるままに(恋のお話)

スタッフさんからいただきました

 (公開日 2022.2.25)

本日で、この職場での遅番はおしまい。最後の遅番でした。いつもの閉店業務を一緒に実施する男性スタッフがいるんだけど、バイトの子で現在大学3年生の男の子。彼は中高バスケ部で、今も社会人バスケに参加しているバスケ好き。彼のお母さんは宇都宮BREXのなべさんのファンで、彼も時間見つけて家族でアリーナで観戦しているし、私の長男のバスケ部の先輩。共通の話題も多いから結構私は木曜日の遅番を楽しんでいました。
 アリーナでのお話や、私がブログに書いているお話、やつの将来のこと、そして恋愛のお話など。彼はいいやつなので、私のくどい人生哲学をよく聞いてくれました。
 今日は恋愛のお話。今まで結構長く付き合ってた彼女のこと。今後のこと。新しい出会い。そして、、、私がいつも彼に言ってたことは、このブログでも前に書いたけど、

 「自分の気持ちに嘘はつかないこと」 「ちゃんと伝えること」

じゃないと後悔するから。人と別れる時って辛いよね。ましてや長く付き合ってれば家族ぐるみの付き合いになるし、自分達の気持ちより、

「お母さんと仲よかったのになぁ」とか

「お母さんとうまくやれてるから結婚してほしそうだなあ、親は」

とかそういうこと考えちゃうんだよね。でも、親は関係ないんだ。自分の気持ちに正直になれって言いました。そして、もし、相手がまだ自分に未練があったら?別れないで付き合いを続けることが優しさだと思ってる?私はとても誠意がない行為だと思います。別れたばかりの時は辛くても、またその子にも新しいパートナーができます。同情で付き合いを続けたら、その分出会いが遅れるし、私だったら、好きな相手が他に好きな子がいるのに、気持ちがよそに向いてるのに一緒にい続けられる方が辛い。辛すぎる。

 そしてもう一つ、気にしてたこと、、、彼らは3年生なので本格的に就活が始まります。彼は教育学部なので将来は県の教員採用試験を受けて先生の道へ。一方新しく彼女になるかもしれない相手は関東のどこかで就活を。将来を考える年頃に新しくお付き合いするってなると、具体的に結婚のこととか考え始めるよね。だけどさ、やっぱり、結婚難しそうだから、付き合うのやめるとか躊躇するとか、それもやっぱり違うよね。今の気持ちに正直に進んでいくべきだ。その上で未来のビジョンが2人違ってきたらそれは2人がどうするかその時決めればいい。どういうふうになるかわからない2人でもそれが運命。なるようにしかならないんだ。

 何度もこのブログでおんなじこと書くようだけど、縁ってあると思う。出会いがあれば別れもくる。この二ついつも隣にある。将来のこと気にして前に進まないより、周りの人達の気持ちを勝手に考えて自分の気持ちに正直にならないより、今の自分の気持ちを大事にして進んでいこう。

 きっとそれが自分にとっても相手にとっても一番誠意があることだと思うのです。
 

結果、新しく前に進むことを決めたらしいよ。とても幸せそうでいて、照れてました。いいなあ、この歳になってもまだ恋がしたいと思ってしまった笑笑(マコさんに片思い中ですけどね)。
 本日で彼にする、哲学の講義は終了いたしました。新しい職場に新しい彼女連れてきてくれるの楽しみにして、私も3/1から頑張りますか。

次こそ旧浪岡町がなくなるその時。平成の大合併。出身地がなくなること。何のために合併する必要があったのか。そして、現在。
(データ調べるのに億劫で書けてません。そして重苦しいお話になりますけれども)

広島戦〜楽しかったお仲間さんとの旅〜

2022.2.6 広島戦(広島グリーンアリーナ)

先日、2月5日と6日、広島グリーンアリーナにて広島戦が行われた。私にとっては初の遠距離アウェー戦。これは前に紹介したお仲間さんとの約束のアウェー戦。計画してたうちの1人が都合が合わなくなり一緒に観戦できなくなってしまったのが残念であったが、私ともう1人は予定通り広島で落ちあうことができた。

私は仕事の都合上、半期が始まる時からのスケジューリングだったので、これを逃すともう休みが取れない。コロナが蔓延し、Bリーグでも、BREXでも試合が中止や延期になっているこの状況下で予定通り進められるか不安であったが、結果無事に二日間観戦できた。
今回の遠征が達成できて本当によかった。今回思い知らされたのだが、このブログを書くことに達する前、運命論やいろいろな縁について、人との出会いなど散々書いてきたのだが、今ほどそれを考えさせられたことはない。

高校受験に失敗したこと、大学受験に失敗したこと、お陰で2年学年が下がったこと、そのおかげで出会った友達、栃木に来たこと、田臥選手が栃木に来たこと、マコさんの宇都宮BREX移籍、長女のせいで(お陰で笑笑)BREXの初観戦、そこから始まるブレ友さんとの出会い、お仲間さんとの出会い、まさに今まさに私のアリーナ劇場が大盛況だ。

広島の遠征は本当に楽しかった。1勝1敗ではあったが、相手の広島のチームも良いチームであり強いチームであり、BREXがいい状態ではなかったものの、ゲーム自体はとても楽しく、興奮して観戦できた。家族を離れての2泊3日の旅。友達と、知らない土地を迷いながら、コロナのせいでご飯屋さんが時短営業で結局広島らしいものが食べれなかったけど、現地応援のBREXブースターさんの何人かの方とご挨拶もできたし、とても満足できる旅でした。
帰りの道中、道がわからず迷ったり、おしゃべりに夢中になって、曲がるところ曲がらずまっすぐ行き過ぎたり、駅が見えてるのに辿り着けないとか、みどりの窓口で別れたのに結局友達と同じ新幹線だったり、新幹線の改札間違えて、お土産買う時間無くなって、結局、車内販売で、もみじ饅頭が売り切れてて会社のお土産が博多通りもんになったり。米原付近の雪の影響で遅延し、東京駅から急遽新幹線の切符を買うことになって、しかもまたまた迷ってしまったし。でもどれもこれも楽しい思い出。

一分一秒、何かが違ってたら出会えなかった出来事がたくさん。導かれたとしか思えない、いろんな出会い。宇都宮BREXを応援して、マコさんのファンになって、マコドラができた時躊躇せず真っ先に入会したこと、今のお仲間さんとの出会い。なんて素晴らしい。これは縁だ。何かの縁。いつかこの縁に終わりがくることも知っているけど、あるうちは大事にしよう。そして、この先、もっといろんな出会いも待っているはず。
とてもとても楽しみ。
私に関わってくださってる皆様、本当にありがとう。

 これからもよろしくお願いします。